エネルギー

「さぁ、いい子にするのよ。そしたらおもちゃを買ってあげるから。 すてきなおもちゃをね。きっと気にいるわ。」
ジョージ・オーウェル -1984 年 [ 新訳版 ]

6月、父親が死んだ。母親から LINE をもらった。「父亡」の二文字だけが送られてきて、これではわからなかっ たが、弟からすぐ電話が入り、そこでようやく父が死んだことを知った。母は言葉にできなかったのだろう。 責任感か、それでも私に伝えようとした意思を感じ、母の姿勢には胸をうつものがあった。 「父亡」の二文字が送られてきた頃、私は夕飯の支度をしていた。牛肉に塩と胡椒、そしていくつかのスパイスを揉み込んでいたとき、調理台の上においた携帯が鳴ったので画面を見た。母の名前の下に「父亡」の二文 字が通知されるのを見ると、肉の油とスパイスで覆われた手を洗い、昨日買って以来初めて洗濯した手拭きタ オルで入念に水気と、かすかに残った油分を落とし携帯を手に取った。そしてしばらく母からのメッセージをみつめた。


実家は、私の住む都心からは新幹線を使っても四時間はかかり、そこからさらに 1 日数えられるほどの本 数しか運転していないバスを乗り継いだ場所にある。今から出るには少し遅いのもあり、翌日の昼に向かうこ とにした。仕事はどうにか都合をつけられるが、翌朝に事情を話し欠勤する旨を上司に伝えなければならない。 それから、身内で死人が出るのも、行かなければならない葬式に遭遇するのも初めてであった私は、先延ばしにしていた喪服の購入を、こちらで済まさなければならなかった。向こうは、新幹線を降りてしまったらもう、 まともに服が買える店なんて一つもないのだから。


朝になると、普段と同じように前日に仕込んだ朝食を食べ、いつもとは違うキャリーバックを持ち、折りた たみ傘を持ったのを確認し、いつもと同じ時間に家を出た。会社の近くにある喫茶店に入り、いつもと同じよ うに「ブレンドをひとつ」と頼んだ。「出張ですか?」毎朝、顔をあわす喫茶店のバイトの女の子がそう聞いてきた。
「いや、父が亡くなったんで、今日は田舎に帰るんだ。」と答えると、彼女は視線を一旦ずらし「そうですか、 それはお気の毒に...」と神妙そうな顔をした。私は、気の毒なことをしたと感じた。彼女と会話するのは注 文以外では初めてであったからだ。毎朝同じ時間にくる常連に、すこし変わったことがあった事に気付いた彼 女は、勇気を振り絞って、きっと話しかけてきたに違いなかった。その最初の会話が血縁者の死では、彼女と してはどうにも居た堪れない気持ちだろう。無言の中、彼女が珈琲を出してくれると、何もなかったように、むしろその珈琲と彼女の少しの気遣いに救われたような笑顔で「いつも、ありがとう。」と言い、席に着いた。

 出社時間までの 時間、毎日こうやって喫茶店で何かをするのが習慣だ。考えを巡らせることもあれば、読 書をすることもある。最近は描いたこともなかった漫画をかいていみている。と言っても一コマだけ描いて満足し てしまったりで、いまだに何かまとまって描けた試しはないのだが。別にそれでいいのである。 要は私の人生の中で、有意義だったと思えればそれで良いだけなのだ。 コマしか書かなくても、ノートは 少しずつだが埋まっていくし、何かしら発見ができたらいい。漫画を描き始めてわかったことは、普段読む漫画 がいかに様々な技術が盛り込まれており、そしてそれが読者の私に今まで不自然だと思わせない質の高さで提 供されていた事だ。以前は漫画だけではなく、小説や、詩、そしてスケッチなど色々手を出した。その度に、 少しだが気づきを得られ、今まで何も気にせず接していたものが、いかに素晴らしいものだったかがわかるようになった。 作者たちは様々なモノをインプットし、それを自分なりに手を加えたり、掛け合わせたり、様々な手段で作品 という形に変換をするのだろう。一体どんなものをインプットすれば、私が出会ってきた素晴らしいモノ達のよ うな変換を行えるのだろうか。


そうこうしている内に、時間もよくなってきたので最後に一服をし私は会社に向かった。早速上司の元に行き、 事情を説明し、今日は欠勤したい 旨を伝えた。快く受け入れてくれた上司に、私は挨拶をすると、同僚た ちに気を使いながら、そそくさと会社を後にした。スーツを購入するには、まだ店が開いていない時間であった ので、私は再び喫茶店に戻ることにした。戻ってきた私をみた彼女は、すこし困惑したような顔をしながら「忘 れ物ですか?」と聞いてきた。「すこし時間を潰さなきゃいけなくてね。ブレンドをひとつお願いします。」今日、 私と彼女は少しは距離が縮まっただろうか。彼女は気を使ってか、いつもと違うテイクアウト用の容器に珈琲 を入れ差し出してくれた。「ありがとう、助かるよ」と答え、再び席に着いた。 身近な人が亡くなったのはこれが初めてであった私は、先ほどの漫画の続きを描きながら、死について考え ていた。かれこれ実家には 3 年も帰っていない。父とやりとりしたのもそれが最後だろう。特に病気していたと言うことも聞いたわけでもなかったので、それは本当に突然であった。しかし、三年も会わないでいると、 身内ではあるが、居なくなってしまったという実感を得るのにも時間がかかるのだろう。まだ父がこの世からい なくなった事を私は受け止めていないように思える。私の知る限りの映画や物語の上で、身内が亡くなった事 を受けた登場人物たちは、皆電話越しで涙していたりしていた。特に仲が悪かったわけでもないが、こうもあっ けないモノなのだろうか。 そこでふと、悲しくなってみようと思った。父との思い出を再生しながら、かならず文末には「だが、その 父はもういない」とつけてみることで、私は泣けるのかどうかを試してみた。 子供の頃、釣りに連れて行ってくれた思い出や、私が大学に合格した事を喜んでくれている父の姿、弟の母
への非行を叱る父、成人した私をバーに連れて行ってくれた事などを思い出したが、何をやっても涙が出るよう なことはなかった。 漫画も中々進まなくなってきたところで、ようやく店が開く時間になった。テイクアウト用のコーヒを持ち外
に出ると、近くのコンビニでその容器を捨てた。雨が降り始めており、私は折角買うスーツが濡れない事を心配 した。靴も購入しておいたほうがいいだろうか。この雨で靴が濡れてしまっては、葬式中に気になってしまうか もしれないと思った。


葬儀が執り行われる朝、靴を履く私を母は呼び止め、ボタンの掛け違いを正すように言った。

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