プランクトン

父はいつも私にこう言った。「お前には才能がある」と。
私は父の期待には答えられなかった。父は、演劇の人間だったが、私はそう言ったものからは遠い存在だった。 思慮に富んだ発言をする事も、ましてや表現なんて大それた事をする事も、私にはどちらも向かなかった。 そういう人間は父曰く「プランクトン」だった。才能のある自身よりでかい存在である何者かのために生まれた。 プランクトンがいなければ、クジラは育たない。私たちは必要ではあるが、私たちがプランクトン以上になる事は できない。私は才能あるクジラのための、つまりは捨て駒にもなれない、他と取り替えの効く存在だった。 才能という言葉に父は怯えていた。自身に才能があるのか、そしてそれは枯渇してはいないかを。私は才能と
いう言葉をプランクトンが考えた言葉であるように感じていた。父に、その事を伝えることはなかったが、きっ と私の考えはあっている。才能という言葉は、自身がプランクトンである事に気づく社会装置として作られた 言葉であると、私はそう思う。本物のクジラは、自身がクジラである事を疑わない。つまり、私が思うに、父 もまたプランクトンなのだと思っていた。 父の言葉を鵜呑みにするのであれば、私は、私自身がプランクトンであるという事にいち早く気づくことがで きる才能を持っていた。そのため、父が私に施した様々な教育を、私は無駄なものとして諦めていたし、父は その態度によく腹を立てていたように思う。自尊心という別の言葉に変え、幾度も励ましてくれた事もあっ たが、私の才能は幼少期からすでに発揮されていたように思う。
ある朝、私はプランクトンらしい生活を慎ましく送る準備をしていると、同じくプランクトンの妻が息子の習 い事について相談してきた。どうやら飽きもせず、また新たな習い事に通いたいらしい。この二人のプランクト ンから産まれたにしては、余りにも才能がない。様々な鏡を見せても自身がプランクトンである事に気づかない ようだ。また高い月謝を払って、新しい鏡を用意しなければならないのだと思うと、嫌気がさしてくるが、父
として、私ができることは、本人の力で気付ける環境を提供する事だ。 私の友人にも、プランクトンと気付くことができなかった者がいた。彼は大きな海を自由に泳げる事を熱く語っ
てくれた事も多々あったが、泳げば泳ぐだけ天敵に出会う可能性が高い事を、まだ当時は知らなかった。彼 は高校生の頃、秋刀魚に捕食された。岩陰から、まんじりともせず見上げていた時に、彼が捕食される光景 を見ることができた。彼は自身をクジラと錯覚していた。さぞ驚いたことだろう。自身が思っていた身体の何 百分の一のような相手に捕食されるのだから。そこでようやく彼は自信がクジラなんかではなく、秋刀魚のよ りも小さい、プランクトンである事を知った。それからは見るに耐えなかった。海を泳ぐ事もできず、プランク トンである事を認める事もできず、ただただプカプカと無気力に漂うようになった。息子にそんな思いをさせ ようとしている私は、父親失格だろうか。
二十歳になった息子に、私は柄にもなくプレゼントを用意した。掌の上に乗っかる小さいサイズの木彫りのク ジラだ。彼はまだプランクトンである事を気付いていない。妻も、自身の子供がクジラであるような発言を最近 はよくするようになった。私はその度に、そんな甘いものではないと、プランクトンからクジラが産まれてくる 事はないと妻に語った。妻はそれを受けてか、「どこかで拾い間違えたのかしら」と嬉しそうに笑った。私はこ の 20 年間、息子をよく見てきたが、他所のクジラのを取り違えたことなど一度もないと確信している。紛れ もなく私たちの子供だった。プレゼントを渡すと息子は私の本意などには全く気付かず、初めて奇怪なモノに 出会ったように見つめた。私はそれを見て、ついに現実を教えてやる時が来たと、この無知で全く疑う事を覚 えない息子を千尋の谷に突き落とす事を決心した。 私は慎重に言葉を選びながら、彼に誤読させることの無いよう説明を始めた。私はプランクトンであるとい うこと。そして私の父もまた、プランクトンであったということ。妻も同じくプランクトンであるし、その二人 から産まれたお前もプランクトンだと。そしてこの世の中にはクジラも秋刀魚もいる。私たちは精々頑張っても 秋刀魚に食われる程度だと。上には上がおり、その秋刀魚も捕食される側なのだと。この雄大な海の中で、 二十歳にもなって、自身がプランクトンであるという事を知らないのは...
私は言葉に詰まり、私は私の才能が確かであってほしいと初めて願ったのだった

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