見出し画像

原始の日本語 植物と虫と縄文人

今年の夏は暑かった。毎日毎日うだるような暑さで、四季の中では夏が一番好きな僕ですが、さすがに、ちょっと参りました。

僕はたくさんの植物と共に暮らしています。植物にも個性があるので暑さに強い子弱い子さまざまです。弱い子は日陰に隠し、強い子は朝の優しい日差しだけを浴びせるよう気をつけていのですが、いかんせん、この暑さで、残念ながら何人かはご臨終となりました。
植物が枯れるとやっぱり悲しい気持ちになりますね。
枯れる前になんとかしてやりたかったといつもながら後悔します。

せめて植物の声を聞けたらいいのに。毎回毎回、手入れするたびに思います。

きっといつの日か、植物と意思疎通ができるはず。僕はそう信じて植物を育てています。
だってこの島に生まれた人間には、縄文の血が流れているのですから。

縄文人は自然と共生して暮らしていました。人間も自然を構成する一部分であると考えて、その秩序を無闇に乱そうとはしませんでした。つまり縄文人とは自然との共存共栄を志した人々です。
一方大陸に住む人々は自然と共生するのではなく、いかに克服するかを志向する人々でした。大陸側で太古の時代に栄えたとされるシュメールやエジプトの地が現在砂漠化してしまっている状況を鑑みるに、その精神性の違いを端的に現していると思います。

日本も長い歴史を誇りますが、現代に至るまで緑に囲まれた素晴らしい環境を保っています。それはこの島に暮らす住人に、自然との共生を志した縄文の精神が受け継がれているからではないでしょうか。 

自然と共に生きることを選んだ縄文の精神が、どのような形で現代まで受け継がれ、僕たちの中に息づいているのか?その軌跡のひとつは日本語という言葉に残っていると思います。

この島の古代の人々は人と自然を同一のものと考え、区別しませんでした。その思想が言語に表れています。

植物は芽や花や葉、または実というパーツで構成されますが、人間も目、鼻、歯、さらに身というパーツで構成されています。漢字で捉えるとまったく別の印象を受けますが、音で捉えればそれらは全て同じものです。

この国の一般的な歴史認識では、漢字伝来以前は文字を持たなかったとされていますから、定説に従えば縄文の人々は話し言葉の音だけで世界を認識していたことになります。彼らは植物の部位も人間の部位も同じ音で表現しました。それは人も自然も同一であるという視座からくるものでしょう。
古代人が人と植物を同じ音で表現したのは、お互いに深く結びついていたからだと思います。植物だけでなく、人はあらゆる自然と繋がっていたのでしょう。

僕は漢字という書き言葉の伝来が人と自然を分断したと考えています。
太古の時代、つながっていたはずの「め」や「はな」は、「芽・花」「目・鼻」とそれぞれに区別されました。ゆえに縄文の精神を深く理解するためには、日本語から漢字を取り払い、音だけで理解する必要があると思っています。余計な意味付けをする漢字を省き、ひらがな・カタカナの音だけで世界を認識すれば、あらゆる言葉のつながり、その多さに改めて気づくはずです。
さっそくですが、ひとつ思いつきました。つなげるといえば橋と箸もそうですね。
かたや岸と岸をつなげ、もう一方は皿と口をつなげます。

また日本人の特性としてよく取り沙汰される話で、虫の声を言葉として聞き取れるというものがあります。
西欧人は虫の声を右脳(音楽脳)でノイズとして処理しますが、日本人は左脳(言語脳)で心地よい音として受けとめるという研究結果が1978年に出されています。その証拠に僕たちはさまざまな虫の声を聞き分けられる耳を持っています。
外国人にはこれができません。虫の声をどれも雑音として処理するからです。そしてこの日本人と虫の密接な関係性を象徴するかのように、日本語の慣用句には虫がよく登場します。「虫の知らせ」「虫のいどころが悪い」「腹の虫がおさまらない」まるで身体の中に虫を飼っているようです。

このようにこの島の古代の人々は植物や虫といった自然界と「音」を通じて繋がっていました。僕が思うに縄文の人々は「音」という聴覚に伝わる響きをとても重要視していた人たちなのではないでしょうか。
だから文字を持たなかったとも言えますし、またこの島には言霊という音声言語に対するゆるぎない信仰が太古より続いています。
神社で奏上される祝詞を絶対に誤読してはいけないのは、この言霊信仰によるものです。

自然界の音の響きに耳を澄ましていた縄文人。文字を持たず音声言語にこだわった縄文人。
どうやら縄文の精神を探究するには聴覚が大きなヒントになりそうです。

意外かもしれませんが、縄文遺跡は日本列島の東の地域に集中しています。その数は西の地域を圧倒的に上回ります。しかし古事記・日本書記は東の歴史を描きません。僕が東国の古代史を調べるようになったひとつの大きなのきっかけに、この記紀による歴史の隠蔽があります。

半径20kmあたりの縄文遺跡数 ブログ 花見川流域を歩くより引用

ちなみに僕は今、日本で一番縄文遺跡が密集している千葉県北西部に住んでいます。
上の画像を見れば三内丸山がなぜそこにあり、鹿島香取の両神宮がなぜそこに鎮座しているのか、お分かりいただけると思います。
これだけ縄文遺跡が関東、東北に密集しているならば、東国の古代史を調べるということは、すなわち縄文の歴史を調べるということです。

僕の記事には遺伝子の記憶という言葉が頻繁に出てきます。遠い祖先から受け継がれてきた遺伝子に眠る記憶を蘇らせるため、古代史を調べています。そしてその記憶に保存されているであろう僕が求める意識とはつまり「縄文の精神」です。

さきほど縄文の精神を探究するには聴覚が大きなヒントになりそうだと書きました。
幸いなことに日本の歴史には神の名を持つ天皇だけでなく「耳」の名を持つ人々も登場します。そしてその中の何人かは東国に関連を持ちます。この名前に耳がつく人を辿っていけば、縄文の歴史に辿り着けるのかもしれません。

縄文の人々は僕たちに「音」とそれを聞く「耳」を残してくれました。
それはとても貴重な財産です。

僕は今日も植物に水をあげながら、彼らの声に耳を澄ませておりました。 

・・・あいかわらずウチの子たちは何も語ってくれません。

縄文の耳にはまだまだ程遠いということです。

しかしながら窓の外からスズムシの声が聞こえてきます。
これからは秋も深まり、虫の声も賑やかさを増していくでしょう。

みなさんも悠久の時に思いを馳せて、
まず手始めに、虫の声に耳を傾けてみてはいかがでしょうか。

そろそろ僕たちは本来の記憶を想い出す必要があるように思います。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?