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フクロウの声が聞こえる

空気が湿度を失い始め、大地を焦がしたあの夏の熱気はどこへやら。
早くも10月。夕暮れはだいぶ前倒しされました。
明るい時間は日に日に削られ、視界から太陽を奪っていきます。
夜の時間が長くなり、その静けさの中で虫の音だけが響いています。
あれだけはしゃいだ夏の喧騒を、
まるで遠い過去のように包み隠す月夜の静寂。
浮かれた夏とは裏腹に、僕たちは深い内省の時間を秋の夜長に迎えます。

好きですね、僕は。センチメンタルな気分に浸れるこの季節が。
ちょっと前に夏が一番と豪語していましたが、やっぱり秋も捨て切れません。
秋は秋でまた格別と言うものです。しかしまあこの調子なら、たぶん冬も同じことを言うでしょう。

それはともかく、僕は秋になると必ず思い出す歌があります。
その楽曲は発表された時期が夏の終わりなので、秋によく聞いていたということもあるですが、その年以来、翌年も翌々年も、毎年秋なると必ずどこからか聴こえてくるのです。
みなさんにもあるでしょう。季節を象徴するような1曲が。
僕にとって秋といえばこの曲です。
小沢健二とSEKAI NO OWARIが2017年に発表した
「フクロウの声が聞こえる」

毎年スズムシが鳴く頃になると、頭の中にこの曲が響いてくるのです。
発表されたのが2017年9月2日なので、その年の秋によく聞いていたのですが、
それ以来ずっと、僕の心に残っています。

もちろん曲自体が素晴らしい作品なので長い間印象に残り続けているという解釈もできますが、どうもそれだけではないのです。他に理由があるのです。
じつは僕、この曲に縄文を感じたのです。

それは始め理屈ではなく、感覚として入ってきました。曲を聞いた瞬間に、これは縄文を歌った曲だと直感したのです。

直感とは不思議なもので、初めに答えがやってきます。
通常の思考のプロセスはあらゆる推論を立て、取捨選択を繰り返しながら答えに近づいていくものですが、直感の場合、まず明確なひとつの答えが向こうからやってきます。あとはその真理の根拠となる資料を探して土台を固める作業になります。
この曲に縄文を感じた思考の流れは、まさにそんな感じでした。
そこから僕はこの曲と縄文のつながりを立証するための調査に取り掛かったのです。

楽曲「フクロウの声が聞こえる」はサビ部分で
「渦を巻く 宇宙の力 深く僕らを愛し 少し秘密を見せてくれる」
と歌われます。渦巻きといえば縄文では永遠性をあらわし、生命が朽ちてはまた再生する循環を図にしたものです。それを小沢健二は宇宙の力と歌っています。
これは縄文の宇宙観と通ずるものだと思います。
しかしこの曲で表現される縄文性はそれだけではないのです。

ジャケットに描かれるフクロウのイメージ。
僕はここに縄文を想起しました。
フクロウといえば世界中の神話で知恵の象徴として登場します。ギリシャ神話ではアテーナーの守護神がフクロウです。アテーナーは知恵と美術の女神なので、その女神の知恵を具象化した鳥がフクロウとされたのです。この概念はエジプトやローマでも同様にみられ、それぞれの地域で知恵の象徴として信仰されてきました。

僕は世界におけるさまざまな文明の起源は縄文にあると信じているので、フクロウ信仰の源流もこの島にあるはずだと思い、調べてみました。
やっぱりあるんですね。それも縄文時代の関東に。

前回の記事で土偶について書きましたが、今回も取り上げます。
土偶は時代や地域により様々なデザインの変遷が見られます。そして縄文時代後期後半から晩期前半にかけて製作された土偶に「みみずく土偶」というものがあります。

みみずく土偶 埼玉県鴻巣市滝馬室出土 
東京国立博物館ホームページより引用

この土偶は名前の通りみみずく=フクロウを模したものとされています。
土偶自体は縄文時代に全国で製作されましたが、このみみずく土偶の形式は千葉・茨城・埼玉といった関東平野を中心に限定された地域のみでの分布が見られるということです。
このことから縄文時代後期後半から晩期前半当時、関東一帯にフクロウをトーテムとする民族が居住していたと推論できます。前回の記事で紹介した千葉の加曽利貝塚からも発掘されています。

みみずく形土偶 加曽利貝塚出土

同じ千葉県の我孫子市からも。

ミミズク土偶(下ケ戸貝塚出土)=千葉県我孫子市教育委員会蔵

しかしこれらの土偶はその顔の造形がフクロウに似ているためみみずく土偶と呼ばれているだけであり、当時の縄文人が実際にフクロウを模して製作したのか確証は得られていません。
もどかしいですね。
そこで僕は、これらの土偶がフクロウを模したものであると断定するために、この島の過去を探ってみました。
その痕跡は、長野県から見つかります。

長野県に伝わる民話に「フクロウの染め物屋」という話があります。

世界の鳥たちが色を持たず、みな白い羽で見分けがつかなかった遠い昔。
神は鳥の羽に色をつけることを思いつきました。そして世の鳥たちにフクロウの染物屋に行って自分の好きな色柄に染め付けるよう提案しました。
来る日も来る日もさまざまな鳥たちが訪れるフクロウの染め物屋。
店は大変繁盛しました。
やがておおかたの鳥の染め付けが終わった頃、最後にやってきたのは真っ白なカラスでした。カラスは他の誰とも違う、世の中一番の色に仕上げてくれとフクロウに注文します。
「それなら…」とフクロウはひとつの瓶にあらゆる塗料を混ぜ、その色でカラスを染め付けました。
結果頭のてっぺんから足の先まで真っ黒に染め上がったカラス。
その黒く染まった自身の姿を見てカラスは激怒します。

この出来事を機に、カラスはフクロウをいじめるようになりました。

それからというものフクロウはカラスが怖くて昼間外に出られなくなりました。
だからフクロウはカラスの飛ばない夜にしか姿を見せなくなったのです。

フクロウの染め物屋 長野県の民話

この民話ではフクロウが世界の鳥たちに色を与え、種を区別したと描かれます。まさに知恵の象徴を具現化したような話ですね。
そして結末部分のカラスとのいざこざが、この島のその後の歴史を暗示しているように思えます。この島でカラスといえば八咫烏がまず思い浮かぶことでしょう。
僕は縄文の昔にフクロウ族とカラス族の争いがあったのではないかと考えています。やがてそのいざこざが、10000年続いた縄文時代を終焉させる大きなきっかけのひとつになったなったのではないかとも睨んでいます。

みみずく土偶は縄文晩期を境に作られなくなっていき、フクロウも記紀神話には登場しません。いっぽうの八咫烏は記紀神話を代表する鳥でありのちの時代、神武を導き大和朝廷を成立させます。
後世の歴史における両者の待遇の差はこの「フクロウの染め物屋」の話が起点となっているような気がするのです。

アイヌ神話でフクロウは鳥の神とされています。インドでは女神ラクシュミー(吉祥天)を運ぶ鳥としてフクロウが登場します。そしてフクロウとカラスが仲違いする昔話が日本と同様にインドでも伝わっています。
世界中に残るフクロウ信仰はかつてフクロウが聖鳥であったことを証明するものではないでしょうか。

さきほどみみずく土偶は千葉・茨城・埼玉といった関東平野を中心に限定された地域のみで発掘されると書きました。それは縄文後期にフクロウをトーテムとする民族が関東に暮らしていたことを証明する遺物であると僕は推論しています。そしてフクロウ族がカラス族と敵対していたことは、世界各地に残る昔話から読み取れます。
昔話とは一般人に伝わる口伝だと以前の記事で書きましたが、どうやら今回の記事でもその口伝が役に立ちそうです。

みみずく土偶の発掘される埼玉。その地域に残る昔話にこんな話があります。

三本足のからす 埼玉の昔話

あらすじ
ある年の夏、武蔵の国ではひどい暑さと日照りが続き、田畑の作物はみんな枯れてしまった。それもそのはず、どうした訳かこの年に限って空には太陽が2つも輝いていたのだ。焼けるような暑さはそのためだった。

この話を聞いた都の天子さまも大層ご心配になり、誰か弓の名人を連れてくるように命じられた。2つの太陽のうち、どちらか1つがさしずめ魔物であろうから、これを射落とそうと言うことであった。すると、家来の1人が天をつくような大男を連れてきた。この男は、飛ぶ鳥であろうが、どんな獲物も1本の矢で射止めてしまうという弓の名人であった。男は、大きな弓とこれまた大きな1本の矢を持つと、京の都を後にして武蔵の国へ向かった。

何日もかけて武蔵の国にたどり着いた男であったが、じりじりと焼けるような暑さと強い陽射しが男を襲った。男が歩いていると髪の毛に火がつき、またさらに歩いて行くと、今度は着ている服が焼かれるというような凄まじい陽射しであった。このため、男はとうとう暑さのために倒れてしまった。ところがちょうどその時、日が西の空に沈み始め、男は命びろいした。

男が目を覚ますと、それはちょうど夜が明けて、東の空から太陽が上がってくるところだった。そして今日も地平線から太陽は2つ昇ってきた。男は高い岡の上に立つと、どちらが本当の太陽か見極めようとした。すると、1つの太陽がその正体を現すかのように、男の方に迫って来た。

男は弓をひき、迫ってくる太陽に向かって矢を放った。すると、「ギャーー!!」という悲鳴とともに、太陽は落ちていった。太陽が落ちた先を村人が見に行くと、そこには山ほどもある大カラスが心臓を射貫かれ、死んでいた。そして、この大カラスには足が3本もあったのだった。

それからこの地を、魔物を射たことから射る魔と呼ぶようになり、これが入間という地名の由来だそうだ。

まんが日本昔ばなし〜データベース〜より引用

埼玉の昔話「三本足のからす」の内容からわかることは、少なくともこの地域に住む人々は三本足のカラスを魔物として捉えていたということです。記紀神話で太陽の化身とまで言われたあの鳥を、この地の人々は作物を枯れさせる日照りの原因とみなしていました。

「三本足のからす」は縄文から続く信仰の違いを的確に表現している伝承だと思います。
フクロウこそ出てきませんが、この話が伝わる埼玉はみみずく土偶の主要な発掘地です。
今回の記事で紹介したみみずく土偶を媒介にして、2つの昔話の内容を鑑みれば、「フクロウの染め物屋」と「三本足のからす」は時代を超えてつながる、連続性を持った伝承であると考えられます。

「三本足のからす」に登場する2つの太陽。偽の太陽が八咫烏であるとするならば、本当の太陽とは縄文の時代から関東で信仰されてきたフクロウのことかもしれません。「フクロウの染め物屋」に登場するフクロウは鳥の種を分けるほどの権力を持ちながらも、最後はカラスから逃げるように森の中に隠れ、夜にしか出てこなくなりました。つまり夜の世界に閉じ込められたのです。

この物語は僕に別の神話を想起させます。
世界が暗闇に包まれた岩戸隠れの伝説です。
岩戸に籠ったアマテラスと岩戸から出たアマテラス。はたしてこれらが同一人物であったのか?それは歴史を検証してみなければわかりません。 

僕が思うに、縄文の時代とはさまざまな神を信仰する民族が共存していた時代です。
多様性を認めお互いを尊重し、他民族間でも争わず、協調して生きてきたのだろうと想像します。
今回取り上げた土偶は地域によってさまざまな意匠が施されますが、すべてにおいて共通しているのは攻撃性が皆無だということです。
武器を持つ土偶を僕は見たことがありません。
地域を問わず、発掘されるどの土偶をとっても外見はどこかしらほんわかとしています。それはまるで争いのなかった時代がかつて存在したことを、その丸腰の姿で証明しているかのようですね。

冬至が迫り夜が長くなるこの季節、
人を内省に向かわせるこの季節、
毎年僕はその闇の向こうからフクロウの声を聞くのです。
「ホッホー」と低いトーンで鳴くその声は、
心の深部に重い響きを轟かせ、
それはあたかも原始のリズムを奏でるように
僕を遠い過去へと誘います。

土偶を作っていたあの時代。
人々の神であったフクロウは今年も秋の夜長に僕の元へやってきて、意識の深淵、はるかな過去へと内省を促すのです。

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