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古代史とDJ文化

時は1970年代初頭、ニューヨークのサウスブロンクス。
ディスコに行くお金がなかった貧困層の若者たちは、近所の公園にターンテーブルを持ち込みます。彼らは電力を街灯から拝借し、そこで音楽を鳴らし始めました。
公園でレコードを回すDJ。その曲にあわせてダンサーが踊り、MCはラップで会場を盛り上げます。グラフィティライターはスプレー缶でところかまわず絵を描き、不況により荒廃していたスラムの景色を色鮮やかに染めていきました。

世界史における、ヒップホップの始まりです。

70年代 ニューヨーク ブロックパーティの様子

僕は1980年生まれなので、ニューヨークのゲットーで誕生したこのヒップホップが世界を席巻していく様を、リアルタイムで眺めてました。
今ではもう、主要な音楽ジャンルとしてすっかり定番化しましたね。

90年代後半、大学進学とともに上京した僕ですが、当時の渋谷の熱気は今も鮮明に覚えています。マンハッタンレコード、ディスクユニオン、DMR。いずれも当時渋谷にあったレコード屋ですが、大学以上によく通いました。店に行くと棚の端から端まで中古盤を漁っては、レアな音源を求めてた。そんな時代です。

「レコード屋とクラブの街」僕が若い頃の渋谷はそのイメージしかありません。
クラブにもよく行きました。渋谷、新宿、池袋。大箱から小箱まで、土曜の夜はあまり家にいた記憶がありません。週末はどこかしらのクラブで開かれる友人のイベントに参加するのが恒例となっていました。
そういえばクラブ帰り、日曜の始発電車の情景を今でもよく思い出します。乗客のいない山手線は、一瞬でも東京にいることを忘れさせてくれるのです。

そんなわけで、10代後半の多感な時期にヒップホップの熱い洗礼を受けた僕は、その精神性が今でも心の奥底に根付いています。

ヒップホップ文化と一口に言ってもその要素は様々です。ラッパー、ダンサー、グラフィティライター。これらは全てヒップホップ文化を構成する人たちです。その中でも僕はクラブにいるDJという存在に強い憧れを持っています。
フロアの中央で、ターンテーブルを2台並べてレコードをかけている、あの人です。

DJは空間に合わせた曲をセレクトし、音楽が途切れないよう、つなげてかけるのが主な仕事です。会場の雰囲気を感じながら選曲し、その場を盛り上げる人たちです。

クラブではさまざまな曲が流れます。イベントによりヒップホップ、ハウス、テクノ、レゲエ等、音楽ジャンルの指定こそありますが、世界各地で創られた、あらゆる年代の音楽が時系列を無視して響いてきます。最近の曲がかかったと思ったら、次は80年代の曲だったり。時間軸の方向は一定ではありません。またそこで流れる音楽は場所の垣根も超えていきます。さっきまで英語の歌詞を聞いていたはずなのに、今はフランス語で何か歌ってる。そんなことがザラにあります。

一見無秩序な世界に見えますが、その空間は耳にとって心地よく、身体は自然に揺れていきます。流れてくる楽曲の背景にある時代と場所こそ違えども、それらがDJによってつなぎ合わされることで生ずるグルーヴにはある一定の統一感があり、無意識に身体が反応してしまうのです。
そして優秀なDJほど選曲における一貫した哲学を持っています。バラバラな曲を無造作につなげているようでいてその実、きちんと考えられた構成が練られています。曲の音楽性はもちろんですが、季節性や状況性、関わったアーティスト、さらには発売されたレーベルなど、DJはあらゆるところから共通点を見出しては、出自の異なるふたつの曲をつなげます。

僕はこの別個の曲をつなげてかけて、ひとつの世界を創り出すDJの技術に非常に憧れを持っています。世界中のあらゆる音楽を結びつけてフロアに特殊な空間を構築してしまう、その手腕に惚れ惚れします。

さらにDJはサンプリングという手法を使い、曲も作ります。
サンプリングとは今までに創られた過去の曲の一部を流用し、別の曲と組み合わせて再構築し、新たな楽曲を制作する音楽の表現技法のひとつです。
例えばクラシックのメロディラインをアフリカのビートにのせて曲を作ったりします。絵画でいうコラージュの技法を音楽表現に持ち込んだものですね。
出自の異なる世界中の音楽を、切ったり貼ったりしながら組み立て直し、まったく新しい楽曲を生み出すのです。

ではなぜ僕たちは、クラシックのメロディラインをアフリカのビートにのせたヒップホップの音楽を心地良いと感じるのでしょう?
それは元を正せば音楽も、出どころはひとつであったからに違いありません。同じところから派生し、枝分かれしたものが現在のロックやJAZZやボサノバ、FUNKなどのジャンルに落ち着いているのです。

それを実際に芸術表現で示したのが70年代初頭にニューヨークで誕生したヒップホップという音楽であり、DJの功績だと思っています。
すべての音楽の根源は同じであり、だからこそ繋がるんだという事実を証明したDJという存在に僕は大きな敬意を表明します。

白人音楽と黒人音楽を結びつけたDJたち。音楽におけるあらゆる垣根は、ヒップホップによって取り除かれました。では彼らはいったいどこからその着想を得たのでしょう。

僕が考えるに、それは遺伝子の記憶からだと思います。

遺伝子に残る記憶がもとはひとつであるからこそ、彼らは全く別の人種が作った異なる音楽同士をつなげることができたのではないでしょうか?
これは芸術活動全般に言えることですが、ほぼすべての芸術表現のベースには遺伝子の記憶が絡んできます。あらゆる芸術家は遺伝子の記憶を頼りに作品を創作します。国や宗教、人種といった特定の文化よりもっともっと深層にある遺伝子レベルの表現をするから、その作品は異文化や他宗教の人間の心にまで響くのです。

僕は白人も黒人も遺伝子レベルでは同じ記憶を保持していると思っています。だから肌の色は違えども、同じものを見て泣いたり笑ったりするのでしょう。
つまり白人が作る曲であれ黒人が作る曲であれ、良い音楽とは共通の場所から生み出されており、その故郷が同じであるが故、つなげても不自然さがなく、美しいものとして成立してしまうのです。

この真理を音楽で表現したのが、DJと呼ばれる人々だったのではないでしょうか。

僕がnoteでやりたいこととは、つまりはDJの作業です。
名だたるレジェンドDJたちが楽曲で表現した偉業の真似事を、僕はnoteでやりたいのです。
しかも音楽ではなく、古代史のフィールドで。

古代の伝承は世界各地にさまざまな言い伝えが残っています。しかし一見バラバラに見えるそれらの物語は、深く追求していくとある種の共通性があることに気づきます。東南アジアの神話と日本の神話に共通性が見られたり、ユダヤの風習と日本の風習が酷似していたり。

僕は神話というものも、おそらく出どころはひとつだったのではないかと考えています。それもやはり人類の遺伝子の記憶をベースに創作された物語であるはずです。太古の記憶が伝承となり、世界各地で語り継がれて来た。それが神話です。

DJたちはmixやサンプリングで世界中の音楽の共通性を証明しました。
僕は世界各地に残る伝承をサンプリングして本当の歴史に近づきたいのです。

そんな動機からnoteの記事を書いています。

しかしだからといって真の歴史を解明することを目標に据えているわけではありません。
そもそもこの世界の真の歴史を知る存在とは、神様しかいないと思っています。
世界にはあらゆる歴史書や遺物が存在しますが、それらを残したのはあくまで人間です。創作物には残した人間、あるいはその一族の意志や意図が必ず含まれます。

仮にある王族が他の王族を滅ぼして実権を握り、そのうえで自分たちの歴史を書き残したとします。その書物に滅ぼされた側の歴史は考慮されません。敗者の歴史は無かったものと抹消されます。

これが歴史は勝者が創るものと言われる由縁です。

しかしながら個人や集団の意志が介入した時点で本当の歴史からは乖離します。
ですからもし、誰の意志も意図も介在しない真の歴史を知る存在がいるとすれば、それは神の視点を持つ者に限られます。
ゆえに万人に共通する真の歴史を記した書物や遺物とはこの世に存在しないのです。

日本では一般的に古事記・日本書紀が正史とされていますが、あれは大和朝廷の歴史書です。朝廷の外側にいる民族の歴史書とはなりません。その証拠に忌部氏の「古語拾遺」も著書が物部氏と言われる「先代旧事本紀」も記紀の成立後に反論のような形で世に出ます。
このことからもわかるように、古事記・日本書紀の歴史は外側にいる民族にとってフィクションとなってしまうのです。

だから僕も古代史を調べるときに、特定の書物には頼りません。いろいろな書物を見て、あらゆる伝承をDJのように繋ぎ合わせて、こうだったんじゃないかと考察します。間違っててもいいのです。本当の正史とは、神様しか知らないのですから。だからとにかく遺伝子の記憶が反応する説話を抜き取って、別の伝承につなげてみては、それが違和感のない物語になるか確かめる。その繰り返しです。

僕には歴史の学位も頼れる人脈もありません。それでも本当の歴史に近づこうとするならば、神の視点に近づこうとするならば、自分の遺伝子に眠る記憶に問いかけて、地道なサンプリング作業を進めるほかに方法がありません。
つまり70年代初頭、ブロンクスでヒップホップを創った貧困層の若者たちと同じ状況です。

しかしながら、ブロンクスの彼らはその創造力で世界の音楽史を塗り替えました。

僕はそこまでとはいかないまでも、いつの日か、少なくとも自分の納得できる神話ぐらいは紡ぎたいと思っています。

そういえばさっき、真の歴史を知れるのは神の視点を持つ者だけだと書きました。その神の視点に近いのが、僕たちの持っている遺伝子の記憶だと思います。
遺伝子には太古の時代より生きてきた人類の記憶が集積されているからです。
何千何万という、数多くの目に写った情景、感じた想い、あるいは後悔などが遺伝子に保存されているのです。
この記憶を辿っていけば、神の視点で眺めた真の歴史、少なくともそれに近いところまでは到達できるのかなとひそかな期待を抱いています。

以前どこかの記事で、「すべての生命はつなげるために存在している」と書きました。そしてそれは肉体や遺伝子という物理的なものだけではなく、記憶や想いといった観念的なものも含まれると。
DJは曲をつなげて、音楽の真理を表現しました。
古代の人々は多くの伝承を後世に残し、記憶をつなげました。
この2者に共通しているのは「つなげる」という行為です。

僕は約10年、この国の古代史を調べていますが、最近その古代史界隈に異変が起きていることを感じます。
記紀の史実性に疑問を持つ声が明らかに増えました。
それを裏付けるかのように阿波国日本起源論が熱を帯びたり、偽書とされた竹内文書の実物が公表されたり、奈良の富雄丸山古墳から盾型銅鏡が発掘されたり。
何か大きな変革のうねりが発生しているように感じます。

これはあくまで個人的な解釈ですが、日本の古代史界隈の現状が70年初頭の荒廃したブロンクスに似ているように思えるのです。

70年代 ニューヨーク サウスブロンクス地区
地下鉄の様子

70年初頭、不況によりニューヨークにあった既存の秩序は跡形もなく破壊され、その焼け野原からヒップホップという新しい音楽が誕生します。
貧困層の若者はありあわせの音楽を切ったり貼ったりしながら曲を作り、全く新しい音楽へと昇華させました。そしてその荒廃しきった街から生まれたヒップホップが21世紀を席巻していきます。
つまり音楽史を変えたのはスラムで育った若者たちです。その多くは貧しい黒人たちでした。アメリカのエスタブリッシュメントではなく、アフリカ系の黒人たちです。

僕の記事を読んでくれている古代史好きのみなさん、そして今まで語られてきた歴史に大きな疑問を抱いているみなさん、サンプリングのネタは揃っています。
世界中のあらゆる民族がその伝承を現代まで語り継いでくれました。

今、この島の歴史は大きな変革期を迎えています。
ヒップホップがアメリカで生まれ、のちの世界を席巻したように、
新しい歴史はこの島から生まれ、ここから世界に伝播していく。
僕はそう信じています。

そしてその先導者となるのは、既成概念に縛られた学会の重鎮などではなく、
YouTubeで古代史考察を配信する若者や、在野で地道にコツコツと古代史を研究してきた、一般の方々から出てくることを僕は強く願っています。

僕の記事を読んでくれてる読者のみなさん、アメリカの貧困層の若者が近所の公園から自分の音楽を発信したように、みなさんも個人個人で自分の神話を探究してみてください。
その小さなうねりはやがて人類史を変えるような、大きな潮流となるはずです。

公園で生まれたヒップホップが、やがて音楽史を塗り替えていくように。

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