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「王族」ではなく「普通の人」に伝わる口伝

「ぼうや〜よいこだねんねしな〜」
いやあ懐かしい。僕は幼少期に昭和の時代を過ごしていますから、土曜の夜7時になると毎週この歌を聴いて育ちました。

昭和世代にはおなじみのテレビアニメ「まんが日本昔ばなし」のオープニングテーマです。毎週欠かさず見たもんです。市原悦子と常田富士男の語る昔話に、何度心を動かされたかわかりません。

そんな幼い頃のテレビ体験が大人になって役に立つとは、まったく思いもよりませんでした。

古代史を調べる時、僕は様々な資料を参考にします。中でも地方に残る昔話は時として風土記にも勝る資料的価値を持つものです。
現に今時分、古代史の知識をある程度得た上で「まんが日本昔ばなし」を改めて見返すと、非常に深い話がたくさんあることに気付きます。

それでは僕の好きな「まんが日本昔ばなし」の放送回をいくつか挙げていきますね。

「三本足のからす」埼玉の昔話
「八郎潟の八郎」秋田の昔話
「ナマズの使い」福島の昔話
※画像は全て「まんが日本昔ばなし〜データベース〜」より引用させていただきました。動画はすべてYouTubeにUPされているので興味のある方はご覧ください。


昔話とはその土地土地で独自に語られてきた伝承です。正史のように朝廷の意図を含みません。そこに住んでいる人々が、王族ではなく自分たちの先祖から伝わる物語を子や孫に代々語り聞かせた話です。

例えば「三本足のからす」という埼玉の話を例に挙げると、八咫烏の描かれ方が畿内とはまるで違うのです。埼玉の人々から見た八咫烏という存在がこの話では描かれます。ここに正史によって隠された歴史の真実の一端が垣間見えてくるのです。

特に東国や東北の昔話には、正史とは別の世界線で語られる内容が多いように思います。記紀では無視される龍や蛇、ナマズなどがよく登場します。そしてそれらは多くの場合、良い存在として描かれます。

東国や東北はヤマト王権の東征により制圧されました。世界広しといえど支配者がその後にとる行動は万国で共通しています。土着の信仰を奪い、自分たちの宗教へ改宗させるのです。しかし征服された側の人々もその圧政にただ黙って従っていたわけではありません。地元に伝わる本来の神を昔話に散りばめて、子孫に語り継いできたのです。それは王権が書き換える歴史から、自分たちの記憶を守るための行為だったのかもしれません。

日本の各地、いや世界の各地で語られる童話、伝説、昔話。いわゆる民話と呼ばれるそれらの物語は、僕のような一般人に受け継がれる立派な口伝と言えるでしょう。

毎週毎週、日本各地に残る昔話を紹介していた「まんが日本昔ばなし」
とてもいい番組でした。幼少期の体験はその人の心の原風景を形成するので、オープニングの映像は今でも鮮明に脳裏に焼き付いています。

幼い頃はこれから始まる昔話に期待しながらも、ただぼんやりと眺めているだけだった冒頭部分。ところが大人になった今、改めて見返してみると、目を見開くような意匠がそこに描かれていることに気づきます。記紀が隠した歴史の根幹が上の絵に集約されているのです。

僕が思うに「まんが日本昔ばなし」の製作陣には日本の真の古代史を「知っている人」がいたのでしょう。そしてその人は視聴者に本当の歴史を伝えたかったのではないでしょうか?そう思わせるほどのメッセージ性をアニメのオープニング映像から感じます。

画像にはご覧の通り、龍に背乗りした少年が描かれています。少年は手に三つ巴紋を掲げています。この巴紋が重要な意味を持つのです。

そもそも「巴」とは何を意味するものなのでしょう?

巴の由来は諸説あります。胎児や蛇、勾玉などを表現したものであるという説です。
しかし僕が注目する由来は他にあります。それは鞆(とも)を図案化したものであるという説です。

鞆とは弓を射る時に使う道具のことで、矢を放った直後、跳ねかえる弦が腕に当たるのを防ぐ防具です。

和語の里(Wagonosato) - 日本語・データ化・考察 -より引用

この防具の形が鞆絵(ともえ)になり、巴になったとする説です。
そしてこの鞆と非常にゆかりの深い人物が歴代の天皇の中におられます。
この国の歴史上、最後に神の諱を与えられた第15代応神天皇、その人です。

応神天皇出生時のエピソードとして、生まれた直後から腕に鞆のような筋肉が備わっていたという話があります。これが元となり彼は大鞆和気(おおともわけ)や誉田別(ほむたわけ)と名付けられました。鞆は古来、ホムタと読まれていたんです。

応神という諡号は崩御後、奈良時代に授かった諱ですから、生前は鞆に関する名前で呼ばれていたわけです。

また全国に4万社あるといわれる八幡神社は、その多くで三つ巴を神紋としています。八幡神とは周知の通り、応神天皇のことですね。
このように応神と巴紋には深い繋がりがあります。

前回の記事でも書いたように、僕はこの国の歴史に徐福から連なる大陸の血筋が大きく関わっていると踏んでいます。
そしてその徐福の最後の正当な後継者である応神天皇が、現代まで続くこの国の礎を築いたのだと考察しています。

龍という縄文からの信仰に背乗りした少年が掲げる三つ巴の紋章。その表現にこの島の歴史の根幹が集約されている気がします。

縄文から続いていた信仰体系は神武、崇神という神の名を持つ改革者により徐々に軌道を変えられていき、応神天皇の時代を最後に完全に別の体系に生まれ変わった。僕はそう解釈しています。

そうした歴史が少年の掲げる三つ巴に示されているのではないでしょうか。

また三つ巴には「3つのものが対立して入り乱れること」という意味があります。
3つのものが氏族を表しているとするならば、その拮抗する氏族たちをひとつにまとめたのが応神天皇という解釈も成り立ちます。

ただその場合、それら3つの氏族はどの集団をあらわすのか?という別の疑問も出てくるわけで。

定説で考えるならアマテラス、スサノオ、ツクヨミの3氏族となるのでしょうが、いかんせんこの島の古代史は一筋縄ではいきません。

記事を書くたび新たな疑問が湧いてきて、結局僕は途方に暮れます。

さらにやっかいなのはこの三つ巴、琉球王国の国章でもあるのです。あるいは遠く大陸のほうからは、卍や三脚巴との関連性も聞こえてきます。
もう完全に沼にハマりました。

とめどなく溢れる古代の謎の究明は、いずれ時間が解決してくれるとの淡い期待にすがりましょう。

ともかく僕のような一般人でもちゃんと口伝を持ってます。話がだいぶ飛躍しましたが、今回伝えたいのはそれでした。

茨城に暮らした祖父母は幼少の僕にいろんな話を語り聞かせてくれました。

おじいさん、おばあさん。あなたたちが伝えてくれた物語は今も鮮明に心の中で光っています。

あれからだいぶ月日は流れたけれど、いまだに僕はダイダラボウも牛久の河童も利根川に住む龍神も、本当にいたと信じているよ。

だって僕たちの御先祖は自らの記憶を守るため、王様が何度変わっても、その話を後世に語り継いできたんだもんね。


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