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芥川賞にAI利用でも驚かなかった理由

こんにちは。私です。
今日はとりとめもなくタイトルの話題について語ります。

芥川賞を受賞した作品で、AIを利用して文章を作成した部分があると受賞者が語ったことが話題になっていると聞きました。
さほど驚きはなかったですね。
というのも先見の明があって、AIの発達を予測していたとかではなく、偶然違う分野で同じことを経験していたからです。

私は写真を撮るのですが、去年の春頃、有名な写真の賞をAI生成画像が受賞しました。こちらは受賞者自ら賞を辞退するということになりましたが、めちゃくちゃに物議を醸しました。
「AIが生成した画像は写真と呼べるのか」「そもそも審査員は気づかなかったのか」「今後写真家はAIに取って代わられるのか」などなど。
私も写真をやる人間の一人として、色々考えましたが、結論というかその是非についての答えには辿り着いていません。いまだに考え中です。

そんな中で芥川賞でAIを利用して書かれた小説が文学賞を受賞。
思ったよりも早かったなーという印象は受けましたし、全部まるっとAIじゃない所にはまだAIの成長余地があるのかなと感じました。
でもまるまる一本AIで書いた小説が現れるのも時間の問題でしょう。
さて、その時賞を取ったらどうなるか。
嵐の予感がしますね。

でも、書き物をしている人間としては、やっぱり考えていかないといけない部分。
というのも、けっこうnote記事でも「AI利用しました」というものが増えてきています。それ自体に抵抗がない、といえば嘘ですね。何かこう「AIが考えたのか」というちょっとした残念感があります。でも、AIを利用した記事に素晴らしいものがあるのは事実。
多分AIに書き出しや文章構成を委託するのはもう当たり前になってくるでしょう。そこに抵抗を抱いて使わないのも自由ですが、おそらく効率を重視するならAI活用は必須になってくると思います。
かくいう私も、AIを利用して会社の会議の議題を作ったことがあります。ネタがなかったのでAIに考えてもらったらあっさり出来上がり、しれっと発表したので誰もAIが考えたとは思わなかったと思います。

AIの作ったものと人間の作ったものに明確な線引きがされるというよりかは、混ざり合ってもう判別がつかなくなるというのがこれからの流れなのかもしれません。そこで、人間の側が自分たちで書くことをやめてしまうかどうかが多分時代の分岐点になるのではと考えます。

「という話をAIで書きました」。
と、一文添えるとそれだけでなんだかミステリーになりそうなのは今だけの特権ですかね。今回の記事は純人間製です。AIだったらもっと理路整然としてると思います。
AIが文章をガンガン書くようになっても、私はまだしばらく書き物を続けるつもりでいます。AIは文章を書いてくれても、文章を書く喜びは与えてはくれませんからね。
それでは。


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