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ポピュラー音楽のステージング研究の現在地 #2

はじめに

ポピュラー音楽のライブ演奏におけるステージング(楽器演奏と演奏者の身体性・ステージ演出etc…)研究の手がかりになりそう?な文献をまとめてみました。主にテクノミュージックに関連した文献が中心になっています。
次回以降はギター/竿ものの音楽ジャンルに関する文献を探すつもり。
#1はこちらです。↓

久保田晃弘「私たちはもっとうまくできます――ライヴ・コーディングの起源と意味を再考する」

(所収:細川周平編著『音と耳から考える――歴史・身体・テクノロジー』アルテスパブリッシング、2021年、p.580-601)

【まとめ】
「プログラムコードを実行しながら操作することで、音や映像をリアルタイムに生成するパフォーマンス」であるライヴ・コーディングのポータルといえるTOPLAPを例にその起源や意味について論じなおし、「単なるコンピュータを使った音楽パフォーマンスの一手法としてだけでなく(中略)パフォーマンス、ステージ、即興といった、さまざまな演奏/演劇概念に対する再考を促す」ものとしてライヴ・コーディングを捉え考察していく。前半では既存のラップトップによる音楽パフォーマンスへの批判や、ダンスとライヴ・プログラミングに共通性をみるというTOPLAPの思想・方法論を検討する。後半ではレフ・マノヴィッチ『ニューメディアの言語』の「トランスコーディング」の一事例としてライヴ・コーディングを論じていく。

まず自分がライヴ・コーディング自体に関してそれほど知見がなかったので、ライヴ・コーディング論の入り口として得るものが多かったかも。
ステージ上で音楽ファイルを再生するのみでもパフォーマンスとして成立してしまう現在の電子音楽/ラップトップ・パフォーマンスへの懐疑や、リアルタイムな「プログラミングそのものをパフォーマンス」にし、プログラマーが「演奏者」としてステージに上がる仕組みをつくるTOPLAPの実践、それが可能にしたものなど……改めて「音楽演奏とは何か?」について考える手掛かりになる論考です。

ライヴ・コーディングのパフォーマンス。
リアルタイムでコードを背景に映し出すことが一般的。

山田陽一『響きあう身体――音楽・グルーヴ・憑依』

【まとめ】
クリストファー・スモールの「ミュージッキング」をベースに山田が提唱した「音響的身体」が論じられている。前半では音楽経験と「グルーヴ」概念の身体との関わりについて、後半ではダンスやライブの経験、また民族音楽学との関連から音と身体の「響きあい」について考察を行っている。

内容についてはこちらも参照していただけるといいかも。山田陽一編『音楽する身体――〈わたし〉へと広がる響き』についてまとめています。

『音楽する身体』では触れられていなかったライブ・パフォーマンスとそのパフォーマー・観客らの身体性についても論じられています。

一方で、例えば広いライブ会場において、ステージから遠い観客はステージ上のアーティストを小さい豆粒のようにしか視認することができず、ステージの横にある巨大なスクリーンでしかアーティストの動きを読み取ることができない……といったような「ライブ・パフォーマンスの経験とメディア化されたパフォーマンスによる経験の差異」が起こることがあります。山田はそのような例に関してそれを分析する「本質的意義はな」く、「同じ空間で音楽を共有する経験」こそが重要である……というスタンスをとります。

しかし山田が言うように、ライブのような「音楽を共有する経験」が時代を経るにしたがって、それ以前には存在しなかった「メディア化を巧妙に含みこんできた」にせよ、ライブにおける視覚的な経験を無視してしまっていいのか……?たとえメディアが入り込んでいなくとも「ライブ」では音楽とともに視覚性は多感覚的なものの一つとして重要なパートを担っているのでは……?という点では検討の余地があると思われます。

フジロックのステージ。観客とステージとの距離による体験の違い、それに関連した「メディア化」は考慮に入れられるべきだろうか?


岩宮眞一郎『音楽と映像のマルチモーダル・コミュニケーション』

【まとめ】
色彩が音楽の印象に及ぼす影響や、音楽と映像のアクセントの同期が映像作品に及ぼす影響、大画面映像が音楽に及ぼす影響などの「音と映像の相互作用」について、科学的手法による実験により考察している。

例えばトム・ガニングのいうような映像のアトラクション性+音楽との相互関係について論じる際に、何か科学的な裏付けを用いたいという時にはいいんじゃないかな…?論自体に活用できるシーンは限定されるかもしれませんが、内容も結構わかりやすい解説付きです。


谷口文和「ターンテーブリズムにおけるDJパフォーマンスの音楽的分析」

(所収:日本ポピュラー音楽学会『ポピュラー音楽研究』第7巻、2003年、p.15-34)

【まとめ】
「楽器としてのターンテーブル」の発想に基づく「ターンテーブリズム」と、それによるDJの「演奏」はどのように体験されるのかを論じるもの。「DJパフォーマンスを独自の記譜によって視覚化し分析する」手法を用いてDJが用いるテクニック・動きと出音の結びつき、また聴き手の立場におけるそれの認識について考察している。ターンテーブリズムにおいてはDJの視覚的な側面が重要とされるが、それは「DJの動作と音との関係を聴き手が認識し想像力を働かせる」ことによる「演奏」の意味づけを通した「音楽体験の様式」と位置付けている。

結論で述べられている「音楽における身体の介在」や、音楽の場においての「楽器を演奏する行為」の必要性の問題は、自分が今関心を持っている分野や考えとかなり共通しています。DJのパフォーマンスはピアノ、ギターのような伝統的な楽器の演奏とはかけ離れてはいますが、ターンテーブリズムにおいては、増田聡が「電子楽器の身体性――テクノ・ミュージックと身体の布置」で指摘するような、アコースティック楽器の演奏に見られる「音と身体のミメーシス的関係」を観客に強く認識させることで、「現代の音楽体験」の視点から楽器としての新たな意味づけをもたらすのだと理解できるでしょう。

動きと音の関係性が観客にとって「楽器」としての認識を強化させる。

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