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2Dシューティングと演出のはなし。

(2022/08/07に提出したレポートのリライトです)
2DSTGに関してゲーム・スタディーズと音響の話を簡単にしてます。
戻り復活のSTGに目立った「演出」がないのはなぜか?なんでダラ外、レイクラなど…その場復活のSTGにばっかり著名な「演出」があるのか…?という話題です。たまたまゲーム・スタディーズの講義を受けてて、それで書いた文章ですが、プレイしたことある人なら理解してもらえるはずです。

本文

 近年の2Dスクロールシューティングゲーム(以下、2DSTG)においては、ノン・ダイナミック・ミュージック(注:ゲームの進行・プレイヤーの入力に伴い変化しない、非可変性・直線性を持つ楽曲のこと)を用いた楽曲とステージ展開のシンクロニゼーションが行われる例がしばしばみられる。本レポートでは、まずそのようなステージ展開のシンクロニゼーションが可能となる背景的要素として、2DSTG特有の要素である「ミスからのリカバリープレイ」、いわゆる「復活プレイ」の様態の違いを提示する。その上で、提示したようなゲームシステムがいかにゲームプレイ中の音楽聴取体験を特別なものにしているかを、 時間フレームの問題や提示されるゲーム体験と関連させ、ムービング・パノラマとの共通性を例示しながら論じる。以上のことを通して、2DSTGの音響体験やそれに関わる手法がいかに従来のゲーム体験と比較し特殊であるかを論じ、本レポートの結びとする。

「復活プレイ」の様態

 他の様態のゲームと異なる2DSTG特有の要素として、「復活プレイ」の存在がある。復活プレイとは、プレイヤーのミスによって自機の装備が失われた状態からリスタートし、再び自機の装備を整え、次のステージへとゲームを進めていくリカバリープレイのことを指す。《グラディウス》シリーズの復活プレイのパターン構築は特に有名であり、現在も Webサイトや YouTube上に多数の復活プレイの動画やアドバイス、それに関わるコラムが掲載されている状況にある。《グラディウス》シリーズの「復活プレイ」では、シリーズによる細かな違いはあるものの、ゲーム内ではおおまかに以下のようなフェーズによってゲームのリスタートがなされる。

  1. プレイヤーのミス、自機の消失

  2. スクロールが停止、画面が暗転し、ステージ背景や敵がいったん消失

  3. 画面に「START」の文字が出現

  4. 再びステージ背景や敵、自機が登場しプレイ再開

 以上のような流れでゲームがリスタートされる。この場合ミスの際にステージ BGMはいったん停止され、ゲームの再開とともに再び最初から流される。また、プレイ再開時には あらかじめゲームによってステージ中にいくつか設定されたリスポーン地点からの再開となるため「戻り復活」と呼称される。一方でもう一つ、戻り復活と対照的なリスタート方式として「その場復活」と言われるものがあり、その場復活ではプレイヤーのミスののち、 以下のようなリスタートがなされる。

  1. プレイヤーのミス、自機の消失

  2. スクロールや音楽は継続された状態で自機が再登場

  3. プレイ再開

 その場復活は、文字通り自機の再登場に際して暗転による仕切り直しは無く、まさに「その場で」再スタートを切るという点が特徴である。BGMの中断もなく、ゲームスタートからの一連の流れは失われることはない。以上の 2 つのパターンが2DSTGにおけるリスタートの要素を構成している一方、復活プレイ、つまり「ミスからのリスタート」と 2DSTGの音楽聴取体験やゲーム体験を考えるときに重要な点がある。それはノン・ダイナミック・ミュージックとのシンクロニゼーションを行っているゲームのほとんど(例:ダライアス外伝、レイクライシスetc…)がその場復活を採用していることである。ここに複数の考えるべきポイントがある。なぜ戻り復活ではいけないのだろうか、またその場復活の何が楽曲とステージ構成のシンクロニゼーションを特別な物としているのだろうか?

2DSTGのスクロールと物語性

 2DSTGは、縦もしくは横の強制スクロールによってゲームが進行していくゲームである。 そこにノン・ダイナミック・ミュージックの展開とステージの展開等を合わせることのアトラクション性を考えたとき、2DSTGといくつかの類似性を持つ娯楽装置がある。トム・ガニングは 19 世紀において「継起性の芸術を変容させ」、時間や持続への意識といった、「運動の多形的な性質」を提示した装置としてムービング・パノラマを挙げている(ガニング、2021、p.104-105)。ムービング・パノラマは絵巻物状の巨大な絵画をローラーによって展開するものである。 その多くは走る列車の窓から見える風景を模しており、そこに音楽や、風景について解説する者を伴う。

ムービング・パノラマの構造。

 観者がムービング・パノラマで見る風景は、当然ながら止めたり巻き戻した りすることは不可能で、一度スペクタクルが始まればその時間軸は終了するまで止まることはない。2DSTG も一部の例外を除き、強制スクロールによってミスを起こしたりポーズボタンを押さない限り時間軸は進み、自機も同じように進み続ける。また2DSTGの攻略・ 解説本を見てみると、ステージの背景やボスを絵巻物風に図示しているものが見られることからも、この 2つの共通性を見て取れるだろう。

絵巻物風に図示された《ケツイ》のステージ構成。

 そして2DSTGにおいてプレイヤーが自らスクロールを止め、自機をその場に留める行為を起こすことや、スクロールを巻き戻して自機をスタート地点まで戻す行為はゲームシステムとして全く想定されていない。その上で、ホセ・サガルとマイケル・マティアスはゲームにおける時間フレームについて、以下のように分類している(松永、2018、p.253-254)。

  1. 現実世界時間

  2. ゲーム世界時間

  3. 調整時間

  4. 架空時間

 2DSTGでは多くの場合、自機(プレイヤーにとっての味方)の本拠地から、敵の本拠地である惑星や要塞などに向けて進行していくストーリーをとる場合が多いことから、ステージが進行するにつれて、「ゲーム上の出来事の一部に対して「社会文化的なラベル」を与えることから生じる時間フレーム」(松永、2018、p.254)である、④架空時間を考えることができる。強制スク ロールによって、基本的に架空時間は自ら進めたり巻き戻したりすることはできない。しかし、ミスが起こった場合の「復活」の様態の違いが、架空時間への対応の違いを明らかにする。その場復活では、自機がミスによって消失しても、スクロールはそのままで自機が再び 登場することで、自機が墜落したにせよ(実世界では不可能だが)敵へ立ち向かっていくための架空時間は動き続ける。しかし戻り復活では、自機が特定地点へリスポーンされることで、架空時間は時間軸を行ったり来たりすることになる。複数回ステージでミスをすれば、 一度通ったポイントを連続で複数回通過することになる。これはスペクタクルのスクロールの停止と再開、またステージ中の音楽の停止と再開を繰り返すことで、ナラティブ性をある意味で損なっているとも捉えられる。その場復活を採用した2DSTGにおいて、ステージ構成とノン・ダイナミック・ミュージックのシンクロニゼーションで使われるBGM は、長大な1曲をノンストップで流すことを可能にしたものだ。それによってゲームには統一感が生まれ、プレイヤーがナラティブな世界に没入することを助ける。そのステージの展開は前述したように、長い絵巻物として捉えられる。絵巻物の展開とその時間軸を考えれば、それが止まることの不自然さや、そこに音楽とのシンクロニゼーションが生まれること によるナラティブとの関連付けも理解できる。また戻り復活の2DSTGでは、ナラティブへの没入よりもプレイヤーの復活プレイやそれを利用しての得点稼ぎプレイに目線が置かれることが多いことも示唆をもたらす。《グラディウス》シリーズで行われる1000万点到達プレイも、ナラティブを印象付ける架空時間よりもゲームの周回数を重ねることによる現実世界時間へ重きが置かれた結果である。

まとめ

 ここまで、2DSTGにおけるノン・ダイナミック・ミュージックを用いた楽曲とステージ展開のシンクロニゼーションについて「復活システム」の形態とそれがナラティブに影響していることを、ムービング・パノラマやサガル、マティアスによる時間フレームの例を挙げながら論じた。強制スクロールによるノンストップの時間軸があってこそ、そのステージのシンクロニゼーションが可能になり、それがナラティブの重要性を高めるのである。 その特殊な構造の極致ともいえるのが《ダライアスバースト アナザークロニクル》で実装された「無限残機モード」だろう。無限残機モードでは、文字通りプレイヤーが持てる自機の数が無限となる。本ゲームはその場復活システムを採用して いるため、ミスをしたとしてもスクロールが止まることは無いが、残機を全て使い果たすとゲームがストップしコンティニュー画面が登場、コインを入れない限り先に進むことはできない。しかしゲーム開始時に一定のコインを投入することで選択が可能な無限残機モードでは、コンティニュー画面は登場しない。いくらミスをしてもゲームはノンストップで進行 し、何回自機を失おうが必ずエンディングにたどり着くことができる。これはプレイヤーは何らボタンやレバーに手を触れず、自機の操作を行わなくても必ず任意のエンディングを見られるという点で、ある意味ゲーム性の放棄をもたらす。しかしより好意的に捉えるならば、ナラティブとしての2DSTG 作品を提示する感覚が強化され、プレイヤーはスペクタクルをただ受容するのみとなるような、より映画的なメディアへビデオゲーム自体が近づいているとも考えられる。そのような特殊な環境に現在の2DSTGは置かれている。

参考文献(書籍)

  • トム・ガニング著、三輪健太朗訳「継起性の芸術―コミックを読むこと、書くこと、見る こと」同著、長谷正人編訳『映像が動き出すとき―写真・映画・アニメーションのアル ケオロジー』みすず書房、2021 年、p.93-142

  • 松永伸司『ビデオゲームの美学』慶應義塾出版会、2018 年

  • 吉田寛「ゲームにとって音とはなにか―ダイエジーシス(物語世界)概念をめぐって」細 川周平編著『音と耳から考える―歴史・身体・テクノロジー』アルテスパブリッシング、 2021 年、p.466-481




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