かっこいい許し方の話

俺は人生で記憶に残るようなかっこいい許し方をされたことがある。

小学生の頃、俺はものすごく習い事をさせられている(今思うと本当ありがたい)子供だったのだ。
特にものすごく裕福な家庭だという印象はないのだが、小学生から塾に通わせてもらっていた。
確か、5年生くらいからだったか。
当時のスケジュールは、月水金土が柔道で、土曜日は午後から合唱団。
火木日が塾だったと思う。なんかめっちゃ忙しかったのを覚えている。
おかげで今、忙しいとその時の後遺症でものすごく気が焦るし、忙しいということが心底苦手だ。それはまた別の話だけど。

塾の数学の先生で黒松先生という人がいた。
体格はがっしりしているのだけれど、イケメンで
めっちゃがっしりした松田翔太みたいな感じだった。だいぶ曖昧だが。

で、めっちゃ授業がわかりやすいのだけれど、怒ると超怖いのである。
生徒からそれなりに慕われてはいたが、やはり怒った時が結構怖いのでみんなビビっていたと思う。

そんな黒松先生は柔道という共通点もあって、俺のことを結構可愛がってくれていた。
井上康生がまじでどれくらいやばいのかという話をしたり、野村の一本背負いはここがヤベェとか、古賀の引手を持たない背負い投げの話だとか、とにかくまぁ柔道が好きなのだ。黒松先生は。

ある時
「お前は体が大きくないから背負い投げとか一本背負いとかを極めていけば大きい選手にも勝てるかもしれへんね。今度、参考になりそうなビデオがあるから貸してやるわ。」
ということで、とある高校柔道の大会のビデオを貸してくれた。
金鷲旗と手書きでラベルに書かれた、ダビングテープだ。
おそらく、マスターテープを黒松先生が誰かに借りて、それをダビングしたものなのだろう。とてもレアそうである。

「これの決勝大会がほんまにすごいから、みてみ。」

ということで、塾から帰って早速ビデオデッキ(当時はDVDなんて持ってない)にテープを入れて再生する。
引きの映像で試合が淡々と流れて行く。
高校生でもこんなに強そうなやつがいっぱいいるのかぁ、、、
すげえなぁ、、、
なんて思いながらみていると、母親が帰ってきた。
「ちょっとみたいテレビあるから交代して」
というのだ。
「ちょっと待って、次の試合決勝やからこれだけみたいねん!」
と抗議するも
「いや、もう時間やから早よ寝なさい。」
という親権の濫用である。
小学生の時なんていうのは家庭内のヒエラルキーでもかなり下位の方で、自分より下なんて飼ってたハムスターとセキセイインコくらいである。時々セキセイインコより低くなるときもあったように思う。
仕方なくテープを止めて、母親がチャンネルを変える。
NHKの英会話講座が始まる。
「ははぁん。なるほどな。大人になっても勉強しようという姿勢は素晴らしいな」とでも当時の俺は多分思ったと思う。
そうでも思ってマウントを取らないと気持ちが治らない。
まぁ、それなら仕方ないか。と寝支度をして翌日の学校に備えて眠った。

翌日、学校が終わって一目散にテレビの前を陣取って昨日の続きをみなくては。と少しだけ巻き戻してから例の決勝の一本背負いを楽しみに前の試合くらいから見始めた。
そして待ちに待った決勝戦。
互いに選手が向かい合い、礼をする。
緊迫した空気が流れて審判が「ハジメェっ!!!」

といった瞬間である
ざざっとノイズが入った直後

「今日は旅行で使えるワンフレーズ!」
と、業務的に楽しそうな英会話講師が写し出された。


一瞬何が起こったのか全くわからなくなって、巻き戻してみる。


「ハジメェっ!!!」

ざざっ

「今日は旅行で使えるワンフレーズ!」


身体中から血の気が引いていくのを感じた。

おそらく、旅行で使えるワンフレーズと聞いて、これは覚えなくてはいけないと母がとっさに録画ボタンを押してしまったのだ。

半狂乱になりながら母親に電話をする。

「テープが!英会話で!消えてる!!!」
「はい?何?忙しいねん。え?そんなもん消えたらあかんねやったらちゃんと直しときや。ハイハイ。ほなな」

と、そういうわけで、わざわざダビングされた貴重な柔道の映像は綺麗さっぱり消えてしまったのであった。
これがもし、国家機密だとしたら処刑されるレベルの出来事かもしれない。
なのに母親は、悪びれること一つしない。

しかし、母親に怒りを向ける暇などないのである。
処刑、されるかもしれないのだ。

何せ、あの黒松先生である。
優しい顔をしているが、怒ると怖い。
柔道を語る時の先生の楽しそうな顔がよぎる。
あんなに大事にしていたテープなのに消してしまった、、、
誰が消したとか事故だとかそんなことは関係ない、母親がどうとかそういう次元の話じゃないぞ、、、
とことの重大さがどんどんと膨らんで行く。

なんとかしないと、、、と知り合いやおじに聞いてみる。

おじも柔道をしていたのでもしかしたら何か手がかりがあるかもしれない、、、

しかし、やはり相当に手に入らないもののようでどこにも情報がない。

そんなに貴重なものを貸してくれていたのか、、、と
さらに恐ろしくなってくる

母親が帰ってきて、少しは申し訳ないと思ったのか、当時まだ発展途上のインターネットを使って情報を調べてくれたがやはりそれでも見当たらない。

これはもう、明日が俺の命日に違いない。

そう思いながら眠れぬ夜と眠たい学校を終えて

「言い訳せずに、謝ろう、、、」

そう決めて決死の覚悟で黒松先生のデスクに向かう。

「おお、どうやった?凄かったやろ」

「あー、あの、、、すみません、、、ダビングしてしまって見れませんでした、、、」

と一部始終を説明すると
黒松先生は怒るどころか笑いながら

「消えて焦ったやろ?めっちゃ色々考えて今までどうしよどうしよおもてたんやろ?」
という。
「はい、、、すみません。」
と答えると

「もうええよ、その時間めっちゃ苦しかったやろ?それがもう反省になってるやろ?」

と許してくれたのである。

俺はこんなに気持ちよくカッコよく何かを許してもらったことなど
この後にも先にもない。


こんなかっこいい許し方をしたいのだが、そういう機会はまだ俺には訪れていない。


その後、高校生になって、一度だけ黒松先生の母校で柔道の練習を一緒にさせてもらったのだが、死ぬほどハードな練習な上に泣きそうになるくらいボコボコに投げられまくった。



もしかしたらあの時のことまだ怒っていたのかもしれない。