トラウマ

幼少期のトラウマが与える人格へのなんとやらとか
そういう話をきくたびに、確かにと頷いていた自分なので
誰かの欠落感に触れるたびに、昔なんかあったのだろうか。とか勝手に考えていたりした。
先日、まぁまぁグロテスクな幼少期を過ごして大人になった友人にそういう話の流れで「トラウマとか言ってていい年齢じゃないでしょ。」
と言われ、ハッとした。
なんかわかりやすく「あぁ、私のこういう部分はあの経験によるものなのね。」という自覚が持てるくらいの出来事がある方がまだ救いが見えたりもするのだろうか。と思ったり。
幸せでなんの過不足ない過程に育つこともそれはそれでトラウマになるのだろうか、と考えたりしているうちに
「ま、みんな何かはあるか。」
という所に落ち着いて、空が今日も綺麗だな。と呑気な気持ちの私です。

多くの情報がSNSを入り口にして目に飛び込んできて、脳みその管を通って(イメージ)それがトゲトゲしてたりするとその管の内側に傷をつけてゆくので印象に残っていたりするけれど
ほんと、なんでもない平和なことを書いている人だっているわけで、そういう意味ではトゲトゲしていることってなんかずるいよなーなんて。
家の近所の喫茶店、コロナ前まではふらっと立ち寄ってお気に入りの席に座ってポケーっとコーヒーを飲むのが好きだったりして
ある日いつも通りにポケーっとコーヒーを飲んでいたら、目の前にまあまあ大きい文字で「パン手作り講座やってます、詳しくはスタッフまで」と書かれた紙が貼ってあることに気づいた。
そういえば、ずっとここに貼ってあったな。なんて思いながら
パンを作ることになんて生まれてこの方興味がなかったし、パン作りに関する俺の知識なんて、30秒話せば終わってしまうくらいのものだから今まで気づかなかったのだろうきっと。と納得した。
その時
「ああ、人生じゃんこれ。」
と思ったのだ。

人は、知っていることや興味のあることと、そうでないことをフィルタリングして自分で選びとっているというのは有名な話で
自己啓発本なんかはここから「なので、ポジティブなことを積極的に意識下に入れていくことでどんどん幸せになってゆくのです。」
と続く。
正直、手前の情報までは、へぇ。と思うのだけど
その次の、なので幸せになるためにこうしましょう。と書かれた瞬間
つばでも吐いてしまいたい気持ちになる。
その情報自体には、善意はあれど悪意はないし、知っていたらどちらかというと本当に幸せに過ごせるのだろう。
その情報自体の価値を、自分のフィルターで曲げているのだ。
パンを作ることに興味を持たなかったからその情報に気づくのが遅れたように、幸福であることや自己肯定感を高めることにそもそも興味がないのだ。
そして、それによって巻き起こる日々のだるい色々を
世の中の不平等や才能の有無で語ってしまうのはただのアホである。
つまり、文句ばっか言ってる人間というのは、問題意識が高いように見えて実は単純に文句をいうのが好きなだけなのである。
テレビに映るグラビアアイドルをみて、好きなんだよね、付き合いたいわー。
というおっさんとなんら変わらず、彼らは別にアイドルと本気で付き合いたいと思っているわけではない。
ただ、可愛い女の子を見たら付き合いたいなという行動をとるのが好きなだけなのである。
本当に本気なやつは、色々もう行動している。
いざ、口に出したことを本当に本気で思っている人間はそれはそれで本気すぎてやばいと言われるのである。

世の中には本当にトラウマという状態もある。
それは間違いないことだけれども
俺の口にできるようなトラウマなどというものはただの頑張りたくない自分に対する「本気じゃないだけじゃん」を言われないためのただのしょーもないプライドの高さとほぼイコールで、ついでに同情もしてもらえるかもというポイント還元!的な軽さのもので
さして古い付き合いでもない人間に、ほんの少し深い話をする足がかりとして自分のトラウマの話をする人は、ポイント還元が目的である。
しかし、そのポイント還元により失うものもあることに彼らは気づいていないのである。

冒頭の友人のように、トラウマ?は?っていうタイプの人間の方が俺は好きだし、そういう人はポイント還元なしで生きているので価値に対する迷いやブレが少ないように思う。
トラウマの話を人にすると、話している自分でも驚くほど納得するしその瞬間「自分はトラウマのせいでこういう生き方を選ばざるを得ないのだ、、、」とパズルのピースがはまるが如く、トラウマの用意した人生を生きることになってしまう。
だいたいにしてトラウマの話をする人は噂話も信じやすいし、誰かに知らない間にコントロールされていることにも気づかない。
か、もしくはめっちゃマインドコントロールがうまい人間か。

自分の中にあるトラウマや思い込みに騙されずに、無意識のフィルタリングを解きながら生きていけたらいいよね。
だから、こうしたら幸せになるよ、とか言われたくないわけ。それもフィルタリングだから。トラウマが云々とかではなくて、単純に情報の使い方は自分で決めたい。というだけの話。

ひねくれてるとよく言われるが、それをいう人がいればいるほど
俺は生きやすいのである。