地震とか起きるといつも考えちゃう。

新潟と山形で大きな地震があった。
こういう時いつも自分がどういう風にあるべきかを考えてしまう。

2011年東日本大震災以前と以降でアーティストの災害時の対応が大きく変わったような気がするし、アーティストの創作物自体へも多大な影響を与えたんじゃないかと思う。
地震が起きてしばらくは、CMの自粛が始まり公共広告機構のCMばかりが流れていた。何度も同じCMが流れた。その声や音楽のトーンの明るさと現実で起こっていることのギャップがすごい違和感でとても不気味だった。
「今、日本は大変な状況なんだな。」
と感じざるを得なかった。
 関西圏のライブハウスもイベントを中止したり、いろんなことを自粛した方が良いというムードが日本全体に広がっていった。
様々な論争がSNS上で繰り広げられ個人と個人の考えがぶつかり合った。
発電所の問題で、節電といって電車は電気と空調を切って走ったりしていた。今でも電車に乗ると思い出す。あの時の節電ってなんだったんだろう?って。

アートは一般的には娯楽という位置付けで捉えられているものだと思うので、当時、そういう「生きる」ことに最低限必要じゃないことを一生懸命やると怒る人もいた。
「それどころではない。」「不謹慎だ。」
と。
地震が起きてから「はちみつ」という曲を書いた。
関西圏はあまり揺れなかったので、正直なところ自分には地震の実感がなかった。
実感というものがないまま、誰かの「〜なのかもしれない」という気持ちを汲み取ろうということ自体が失礼なような気がしていた。
俺は自分自身、人にわかったつもりになられることが当時ものすごく嫌だった。
災害が起きて、大切な人を無くして、かわいそうに大変でしょう?
なんて絶対思うべきではないと思った。
だから曲を作ったし、地震の翌日もライブをした。
日常がどれほど美しく尊いものなのかということを俺たちが忘れないことが大事だと思った。ものすごく心を使って考えたことだった。
自分ができることを最大限に頑張ってやって少しでも良いから経済や人の気持ちの流れを止めてはいけないと思った。
普通に過ごすべきだと思った。

人それぞれ、感じ方や対応が違うし正解が違うから、今でも大きい地震があったりすると考えてしまう。自分はどうするべきなのか。
きっと、こうしておけば間違いない。とかいう正解があることではないんだと思う。だからこそ、いちいち真に受けて食らって考えるべきなんだと思う。

今回も大きな地震があって、心配だな。と思ったりしたけれど、それを心配だな。と表現することが正解なのかどうなのかも難しいなと思った。自分は自分で平然としているべきだと今回もまたそう思った。だから、そうした。それで間違っていなかったと思う。けど、次、それで間違ってないかどうかはわからない。
ちゃんと毎回毎回考えないといけない。

毎回、考えてしまうな。
悲しむ人や苦しむ人がいないのが一番なんだろうそりゃあ。
でも、そうはいかないから、だから
考えてしまうなぁ。
できることがあるならするけど、
それは多分俺にとっては歌うことだったりするんじゃないかと思う。