裏切り、復讐、許すというマウント。

こないだ、めっちゃ感じのいい喫茶店を見つけてふらっと入ってみた。
おばあちゃんが一人でむすっとした表情でカウンターの向こうに立っていて、俺はトーストとコーヒーのモーニングセットを頼んだ。
おばあちゃんはむすっとしているがどこか憎めない感じの人で、俺はすぐに店のことを気に入った。

しばらくして、トーストとコーヒーを持ってきてくれたのだけれど、トーストの表面が不思議な質感になっている。
カビが生えていた。
しかし、もともと自分はといえば、スープに虫が入ってても何も言わずに出して飲むタイプの人間なので、その日も同じように(トーストは流石に手をつけずに)コーヒーだけ飲んで会計をした。
おばあちゃんが「焼かない方が良かった?」と聞いてきたのでそこで初めて「トーストなぁ、カビ生えとったからパン変えたほうがいいかもしらんで。」といって、トースト代とコーヒー代を両方払おうとした。

そう、今日の文章で書きたいことは、いい感じの喫茶店の話でもなければトーストにカビが生えていた話でもない。
この、俺のやり方の話である。

120パーセントの善意でこの時俺は発言しているのである。
それが非常に嫌味なのである。

トーストのカビに気付いた時俺は頭の中で「最近は自粛期間もあったし、パンがいつものようにはけなくってカビが生えてしまったのだな。それがそうだとしたら、経営ももしかしたら大変なのかもしれない。」
という思考を巡らせていたのである。余計なお世話である。
そして、会計の時にたった200円ほどのことだからいっか。と思って募金でもするようなつもりでトースト代とコーヒー代を払おうとしたのである。

これをとても嫌味な人だな。と思う人は絶対に居る。
し、無意識のうちにマウントを取ろうとしているのである。
自分の嫌いなところでもある。
善意と、自尊心を満たすための行動の境目の基準が自分の中にないのである。そして、これは善意ではなくただの同情である。いつか安達祐実も言ってた。同情するなら金をくれ!と。
それは真理だったのだ。マントラ〜。
おばあちゃんだってそんな200円は絶対に受け取れないのである。
「いや、それはもらえません。」と言わせてしまった後に、ものすごく後悔した。
おばあちゃんのプライドを踏みにじってしまったんだなぁ。と、おばあちゃんの申し訳なさそうな顔をみて思った。

善意型マウントは本当にたちが悪いし、俺はそれをよくする。
許すことや施すことで知らず識らずのうちにマウントをとっているのだ。
自分にそんなつもりがなかったとしても。
無意識のマウントである。

俺はそういうことを結構してしまう人間なのだ。
しかも、すぐに気づけない。

こないだ、飲んでる時に「裏切りと復讐」についての話になった。
正直ずっと自分は、裏切りだとか復讐だとかいうことにピンとくることなくその酒の席は終わった。
それからずっと考えていたのだけれど、復讐だ!とか裏切りだ!とか言える人の方が健康なのかもしれないな。と思った。
自分は、復讐や裏切りの感情を全て、許しているという自己陶酔感に変換していたのかもしれないなー。と思ったりした。ある種のマウントである。
そして、それは飲み過ぎても吐けない体質の人に似ているな。とも思った。
吐けない二日酔いはものすごく体力がいる。

ただ、自分はその憎しみに対する鈍感さのおかげで今まで復讐というものを成し遂げたことがない。
それはなんだか、オスとしては敗北の感が強いけれども、個人的には誇らしくもある。
例えばその憎しみを自己陶酔感へ変換する作業のことを言い当てる言葉を探すと、自分の中ではなんとなく、それは「愛」という言葉が近いような気がする。
完全な「愛」とは少し違うかもしれないから、「哀」とかを当てれば、言葉の響きと意味の合いの子になってぴったりな気がする。

俺は憎しみを素直に持てる人はオス的な意味ではとても尊敬できるなと思う。自分は憎しみというものを持たされた時に、それを振るう腕力もなければそれをうまく扱う勇気もあまりない。
憎しみのために命を削る誠実さも実直さも持ち合わせていない。

そして、許すことが自己陶酔感のための手段だったとしても
一つの復讐が成功してしまうよりは自分が安心できる。

ちょっとダサい感じのことを書いてしまってるかもしれないけれど、
人に嫌われたくないばっかりに逆に嫌われたりするけれども
情けないかもしれないけれど
この体と魂にはなんか、これくらいがちょうどだな。って思っちゃう。

そして、毎回ちゃんと自分の心に本当に正直であれば無意識のマウントにも気付いて行けるようになるんじゃないかなー。とも思う。

人を傷つけるのは自分がだらしないからや。って俺の尊敬する人がいってたけれど、俺は俺のやり方で自分のだらしなさを一つずつ摘み取って行こうと思う。

誰も傷つけたくないし、できれば永遠の愛を信じていたい。
そしてこのまま、憎しみには鈍感なままで生きていきたい。な。俺は。