霞みゆく比喩の瓶

こびりついて崩れた果実と砂糖はすっかり固まってしまっていてジャムの蓋はびくともしない。
蓋をあけるのをすっかり諦めて差し込む朝日に中身を透かしてみる。
ガラスの瓶を隔てた内側のマーマレードは琥珀のように柔らかく光を屈折させている。

「自分の内側にあって、その時切望している何かがこのジャムの瓶のように固まってしまって開かないのならそれは悲劇だ。」なんて思うと少し憂鬱な気持ちになる。
僕がジャムに求めるのはその「味」だ。
しかし、それを得られないとわかった時たまたま眺めたその瓶が「美しさ」を持っているのだと気づく。
「まるで琥珀のように」と浅はかな気持ちで形容できるのは、ジャムの瓶の中のマーマレードが「美しさ」を与えることを目的にこの世に生まれてきたものではないからである。

人生にも似たような瞬間があると思う。
例えば、歌手になりたいと必死に開けようとした蓋は夢と理想と現実で凝り固まってあけることができず、一度蓋をあけることを諦めて光に透かした瞬間、必死に歌手を目指して頑張っている自分やそのおかげでキラキラと輝く自分の周りの世界のことに気づき美しいなと思う。
そんなような、実に汎用性の高いシチュエーションなのではないかと思う。

マーマレードを机の上に観賞用として飾る人間はそんなにたくさんはいないだろうと思う。

僕はバターの染み込んだ冷めきったトーストにマーマレードを塗り込んでいる。
一瞬の美しさに全てを許してしまいそうになることはマーマレードにとっても自分にとってもトーストにとっても嬉しい出来事ではないのではないだろうか。
ちゃんと、こびりついた蓋をこじ開けて「それ」を味わって初めて一歩向こう側の美しさに触れられる気がする。