かくれんぼ

どんな言葉や行動も、愛が根っこにあってほしいな。
なんてふんわり思う日々。

あなたは今日、どんなことを思いどんな考えに触れ、どんな音楽をきいて、どんな命をいただいて、どんな言葉に思いを巡らせ、どんな夢をみるだろうか。
一つ一つの出来事が素知らぬ顔をしながら実は見つけてもらうのを待っている。
ちょうどかくれんぼしている子供のように。
俺たちが出くわす出来事の一つ一つはじつはその可愛らしい子供達の隠れる場所自体であって、実際はその後ろに隠れている子供達(こと、ほんとのこと)をちゃんと探してあげないといけない。
ちゃんと見つけることができれば、子供達は耳打ちで秘密をひとつずつ教えてくれる。
「実はそんなに心配することないよ。君は誰からも嫌われていないからね。」
とかね。

この世界中どこを見渡しても不必要な人間なんか1人もいないのである。
実際はどう、とかじゃなくてこんな検証のしようもないことは「思っている」止まりでいいのである。
恋人に愛を囁く時「いつまで愛してるかわからないけど今は愛してるよ」
なんて言わないでしょう。
いつまでも愛していたいよ、という願いを与えあいたいわけで、確証のないことだから話してはいけないわけではない。
そう願っているよ、信じていたいよ。
という思いの話だ。
だからもう一度いうけれど
この世に不必要な人間なんて1人もいない。
そう思っている人がここにいますよう。
だからもしこれを読む誰かが
「自分なんていてもいなくても同じだ」と思うことがあるならそれは少なくとも世界中で1人は
「そんなことねえよ。」
と強く思っているということです

ぶっちゃけなにが正解かなんかほんとに蓋をあけるまでわからない世界だからこそ
「願い」が占める割合はとても大きいわけで、だからこそその「願い」は希望や愛に溢れたものであってほしいわけです。
絶望的な未来の予想は極端な話またそれはそれでそういう願いなわけです。
世の中がどうか、客観性や冷静さを盾にして愛や希望を見失わないでほしいなと願うばかりです。

あなたは今日、どんなことを思い感じ、その後ろに隠れている子供達にどれくらい会えるでしょうか。ね。