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お前は誰なん。

最近、友人に子供ができた。
バンド界隈の友人で、普段は温厚なのだが酒を飲むと大暴れして脱いで全裸で道の端っこに転がって眠ってしまうような、どうにも危なっかしくて頼りない彼に子供ができた。
送られてきた写真には小猿のような赤ん坊と、きれいに整えられた頭髪でスーツ姿で赤ん坊を抱いて満面の笑みの彼の姿が写っていた。

嬉しいなぁ。と素直に思った。
そのあと、ちょっとだけ、ほんのちょっとだけ。
もうあのなんの目的もなく笑って酒を酌み交わした時間は戻らないのかもしれないな。
と思って、時間の不可逆なことに気づいてちょっとだけ怖くなった。

俺はというと、アホみたいにライブをしている。
アホみたいにというのは文字通り、正気の沙汰とは思えない本数の(この人たちどうやって生計を立てているのかとか考えたら終わりが見えるような)ライブをしている。
フロアに人はまばらで、床の見えるようなガラガラのライブハウスで歌っている。

それなりに歳を重ねたので、なんだか尊いっぽいことを日々思う。
音楽全体が、とか下の世代が、とかなんかよくわからない大きなことも思う。
自分がたまたま長い間音楽をやってきて、たまたまいい出会いがあってちょっといいところまで行ったくらいの話で、どうやらなにやら行き着いた感じっぽい雰囲気みたいなものだけが無駄に肥大して困っているくらいである。
世話好きなところがよく出る時と悪く出る時がある。
俺がガキの頃に嫌いだった小山の大将に、これは、紛れもなく一歩ずつ近づいているのだという実感がある。
しかしだ、それを恐れて怖気付いて指を加えて色んなことを見てみぬふりするくらいなら小山の大将の方がマシなのである。

自分はものすごく、なんというかライブハウスにいろいろ教えてもらったな。という感じがあって、なんだか知らない間にその文化とかにものすごく愛着を持ってしまっていて、だから大事にしたいなと思うのだ。
思いすぎているくらいかもしれない。
ライブハウスの店長とかブッキングの人と打ち上げとかで話すと決まって活動の仕方の話になる。
最近は「バズる」ってことにみんな重点を置いているよね。
みたいな話である。
どうやって「バズる」のかなんてそんなノウハウをライブハウスにずっといる人たちがわかるわけがないのである。
成功事例を何個か上げて、それでも「運だからね」という結論に帰結するしかなくて、ちゃんと育ててもバズってみんなどっか行っちゃうからね。
なんて自虐的にカラカラと笑う。
そんな様子を見て、「こんな未来、ガキの頃の俺は想像してなかった。ていうかしたくね〜。」と思うのだけれど、そんなことは関係ない。
現実はいつも少し、想像とは違うのだ。
そんな愛すべき地下の住人たちの傷の見せ合いのような時間ですらもはや自分は愛おしいと思ってしまっている。

だから、そんな現在がめっちゃいやだったので
めっちゃライブをしていたのである。
オレ、オンガクスキ、ライブ、スル。
ソレ、オレノヤリカタ。
って感じでめっちゃライブをした。
それなりにいろいろ考えてライブをした。
めっちゃライブした結果、お客さん、微増、時々停滞。
なのである。
いやーたまげた。
たまげたよ。これはたまげた。
は?である。
こんなにも通用しないもんかねぇ!!!
と、なんか柔らかくてでかいものを本気で殴りたい気持ちである。
SNSダァ?そいつあそんなに偉いのかねぇ!!
などと言って、ビール瓶で頭かち割ってやりてぇくらいのもんである。

いい曲を書いて、いいライブをしたら必ずお客さんは増えるよ。
と言いたいじゃないか。
「なんでもっとお客さん煽らないの?やる気ないの?」
と言われて沸騰したみたいに怒って
「盛り上がりさえしたらいいライブなんすか?」
と食ってかかっていたあの頃のオレが悲しむ顔は見たくないのだ。

そういうわけなので、まだいいライブができていないっていうことにしておけばまだ努力の余地がある。
そんな感じでずっと頑張ってしまうので話がどんどん遠いところに行く。
まるで噛み合わないのだと思う。現実はずっと答えを話しているのに肝心のオレはまだ設問をいじくり回しているのだ。
なんと焦ったいことだろう。

なんかもはやここまできたらただ単に逃げているだけのような気さえしてくる。
さも自分のやっていることはゲイジュツテキで、だから誰にでも理解できるものではないのでわかってくれる人たちだけわかってくれればいいと思っていたりして。
なんかある方向への努力を極端に嫌っているだけなんじゃないかと思ったりする。
音楽のエンタメである側面を極端に胡散臭く感じてしまったりするのも
単純に音楽に対しての愛情からくるものだとは思うのだけれど
めっちゃんこ身もふたもないことを言ってしまうと
音楽の神聖性を信じて突き進むよりも包括的に見て商売だと割り切ってちゃんとマーケティングを頑張った方が数字は増えるんだろうということも薄々わかっている。
「1円でも金貰ってる時点で商売やん。割り切れよ。」
と、ある友人はいっていた。
まじでその通りだと思う。実際彼は割り切って結果をしっかり出している。

だけど、それができたら多分オレはもう歌っていないのだ友人よ、、、

ほんっとに面倒な性格に生まれたと思う。
単純に考えればいいやん。とドヤ顔でいう誰かの顔が浮かぶ。
馬鹿野郎。単純に考えたらもうオレは死にたい。死ぬしかないのだ!
このくだらない世界に思い残すことなんかねぇよ!
死にたかないから、ずっとこねくり回しているのである。
「なぜ人は生きるのだろう、、、」
そんなクソどうでもいいことをこねくり回してでもいないと正気ではいられないのだ。
音楽はそれを全てを肯定してくれるのだ。
結局、自分、自分、自分なのかオレは。

そういうところに着地して、ギターを手に取る。
ポロんとギターを弾く。
口元からメロディが出てきて、友達の新しい家族について思いを馳せて
曲を書いてしまう。
ライブハウスを想像して、誰かの目の輝きの中に自分を見つけてメロディを作ってしまう。

もう、これは音楽に呪われているとしか思えない。
いやーありがてぇよ、呪ってくれたのが音楽で。

いやいや、そうじゃなくて。

俺はライブをするのもみるのも好きだ。
音楽が、とか言い出すとよくわからないところもあるが
この、なんだかよくわからない文化をとても美しいと思っていて
どんな音楽だって日の目を浴びればいいのにと思っている。
いいライブさえしてれば日の目を浴びれる。
そういう世界がくればいいのにと思っている。
だけど、特定の誰かたちにとっての「いいライブ」や「いい音楽」
になれない音楽は死んでゆく。
それが現実で摂理なのかもしれない。
全然認めたくねぇ。抗いたい。だからより誰にも理解されない方向に進みたくなってしまう。
めっちゃ悔しい。自分がやっていることが誰の気に留められることもなく
ただ空っぽの空気をズムズムと揺らしてそれで終わるなんて超いやだけど、それよりももっと嫌なのは、別に好きでもない誰かに好かれるためにその人の欲しいものをプレゼントすることなのだ。
いやーこれは超ひねくれているな。
でも、仕方ない。これで無理なら死ぬしかないな。
なんて潔いフリをいつまでするのだ?
おうん?森よ。
お前、歌ってるよな?
全部自分で選べると思ってない?って。

うん。歌ってるな。
じゃあわかってるやろほんまは。
わかってるな。

この性格とやり方で人生で生き切るしかないってことやんな?

ちゃうわ〜〜〜い!!!


という冗談はさておき。

もうちょいなんかさ、目の色変えてやるべきやね。
甘い、ぬるい。
人のこと感動させるなんて、惰性でできるもんじゃないやろ。
子供できて音楽やめて社会の中で生きていくと腹を決めたあいつのこと。
盛り上げなよと煽ってきたおっさん。
割り切れよと言ってくれた友人。
色んな人の顔が浮かぶ。
できること、まだまだあるやん?
な。
お前は誰なん。
まだ、誰でもないやろがい。

なんか、第二章始まった感勝手に感じてる4月の森であります。
ライブハウスで会おうぜよ。