Matterについて

結果的に選ばれてしまったものと選らばれなかったものにもともと大きな違いはないはずなのだけれど、どちらかを選ぶという事は人の目に触れる事ができるかできないかに関わる事だから、結果として存在する・しない事ぐらいの大きな違いになってしまいます。

今まで何冊かの写真集を作ったのですが、個人で作る時も出版社の方やデザイナーの方と作る時もどちらもやはりそのような選ぶ事の問題に悩まされます。その時、誰かを介して画像を選んでもらうという責任逃れができるに越した事はないのですが、その場合にもやはりすべてのデータを送るわけにもいかないし、すべての画像を肯定するほどの口実も持ち合わせていないので最低限の画像の選択を行う必要があります。

その際には、多少なりとも私の中にある物語的イメージを元に、それに沿った形として画像を選ぶ事をするのですが、一旦その私の頭にある物語を取っ払って見直した時、選択したものよりも選択しなかったもののほうに惹かれるということは少なくありません。

それらの選択はその場において必要不可欠であるとも思っているのですが、長期的に見るとすべてその場に置ける自分の気分といってしまえる程の理屈で選択を行っているのではないかと疑ってしまいます。

そんな、選ばれなかった写真たちの納得がいかないような理由で、可否の決定を行いいくつかの写真集を作って行った結果、選ばれなかったものたちが一定数以上集まり、それらはそんな私の意識と離れたところで一つの意味を形成しはじめているように感じました。

これはもう無視できないぞと、これらの膨大な量の選ばれなかった画像を何かしらの形で、消化していく事が必要だと思い始めたシリーズがMatterという今回素材として提供させてもらった作品です。今回はそのアーカイブの中から一部を選んだものになります。そしてその中からさらに編集してもらって一冊の写真集を作ってもらうという意味では、当初のMatterとしてのコンセプトは意味をなさない状態になってしまいます。

けれどそこが良いと思っています。

例えば音楽だったらリミックスだったりカバーだったりサンプリングだったりコラボレーションだったり、遥か昔から当たり前のように行われていることが、写真の世界では未だに個人主義的に一つのイメージを制作者から切り離すことなく大事に守る価値観が根強くありますが、そんなことは現実世界を素材としてカメラという道具を使い選択している時点で破綻しているはずなのだから、もっと写真・その画像を素材として多様な形に作り直されるサイクルが当たり前にある事の方が面白いな、と思っています。

今回まさにその様な事を、贅沢すぎる関係者の方々によって行われる実践の場に参加できた事をとても嬉しく思っています。

横田大輔

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