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宇宙のせいにしよう、4月2日-4月8日

2024/04/02
市役所の人が優しい人だった、なんか、明るくて、軽くて、ずっと話していたいと思わせる人だった。


LINEとかメッセンジャーとかDMとか、メッセージを交換できるアプリは、わたしとわたしがメッセージを送信する相手との間に、宇宙を生む。

わたしとあなたとの間には、宇宙がある。

知ってた?

わたしが送信したメッセージは、あなたに届くのではなくて、宇宙へと放り出され、そのまま宇宙を漂っている。
相手に届いたように思えるメッセージは、届いたのではなくて、相手がそのメッセージを見ることができる場所に立ったということ、そしてたまたまわたしが送信したメッセージを見ている、ぼんやりと、浮かぶ文字を、文字だけを、文字の光だけを、見ている。

表情、経緯、理由、感情、音、メッセージを送った人がわたし、ふうかという人間であるかどうかさえ、実はわからない。
わたしたちが、空で光る星を見て、その星の名前、年、質、属性、誕生日、その星が今も存在しているのかどうかさえ、わからないことと同じ。

四角い機械に浮かぶ文字の羅列で、全てを伝えようとするのはきっと無理で、わたしが、空に浮かんであなたの瞳の中で輝いていても、きっと虚しさを感じるだけだ。

見えないとわかっていながら、伝えようともがくのはなぜだ。
あなたがわたしを見て綺麗だと思うことが、ちょっぴり悲しいのはなぜだ。

だから、対峙した時、あなたが目の前にいて、あなたの全身がわたしの瞳に写っている、嬉しくてたまらない。
わたしの全てをもって、あなたに届けようと努力できる、無限に広がる宇宙の中で、ぼんやりと光を放ちながら浮かぶのではなく、あなたの手を取って、目を見て、言葉を、わたしのこの声で。


スマホでのメッセージのやり取りがどうもどうも、苦手で、なんか、苦手で、あーだこーだ考えていたら、それは膨大な宇宙のせいだ、ということに気がついた。
手に負えなくて、いいの、宇宙なんか、知ろうとしなくて、いいの、漂うだけで、いいの。

2024/04/03
雨の音が鳴る朝、目が覚めたら、時刻11:06。


戦場のピアニスト。

ホロコースト、ナチスドイツ、ユダヤ人、ゲットー、ポーランド、生きる、人間、憎しみ、愛。

今はもう、作品を通してでしか過去を振り返ることは難しい中で、言葉で、説明で聞くことよりもずっと、その出来事が現実で起こっていたことだと信じることはできないくらい、戦争があまりにも自分にとってファンタジーであったと自覚した。

どうしてだろう、どうして、わたしは彼らではなく、彼らはわたしではないのか。

彼らが彼らじゃなければいけない理由などないのに、もしかしたらわたしだったかもしれない、彼らがわたしでない理由はどこにあるのか。

わたしが今ここで、食べるものに困らず、誰からも迫害を受けず、友達がいて、家族がいて、働き、学校に行き、趣味を楽しみ、音を生み、好きに話ができる、わたしはなぜわたしなのだろうか。
食べるものがなく、明日が来るのかさえわからず、家もなく、家族もなく、ただ1人ぼっちで、逃げ続ける、わたしと彼らとの違いはなに。なに。なに。

わたしがここで生きている、この映画を、過去を、現実で起こったことだと信じられないのは、想像しても「難しい」って言ってしまうのは、過去を作品でしか知り得ないのは、それで知った気になってしまうのは、信じられないのは、明日もまた笑うのは、なぜだ。

わたしは彼らじゃない。
彼らはわたしじゃない。

なぜ言い切れるのか。

明日、彼らはわたしかもしれない。
明日、わたしは彼らかもしれない。

「神に生かされていると思え」

神という存在のものが、わたしたちが認知できる全てを超えた存在のものが、わたしたちを生み、生かし、死なせているなら。

もしかしたら、それは宇宙なのかもしれない。

宇宙によって生かされ、宇宙によって命の終わりを迎える。

わたしは宇宙からやってきて、宇宙に還る。

彼らは宇宙によって、神によって死んだのか。
それが、彼らの運命だったと、本気で言えるのか。

生と死は、誰かによってコントロールできるものじゃない、誰か他の者の手によって、始めさせたり、終わらせたりできるものじゃない。



教育者として、あらゆる子どもたちと対峙するとなった時、「もしかしたらわたしの人生だったかもしれない人生」を歩む子どもたちの文化や生活、背景に対して、「知らなかった」を理由にしたくないと思い始めている、わたしだけが歩んだ人生から生まれた基準で全てを決めてしまう、それだけは避けるよう努力したい、し、そうしてしまう可能性が、少なからず、あるということに自覚的でありたいと強く思う。
わたしが経験していないこと、知らないこと、見えないことなど無限にある、それでも、彼らの存在と、彼らの「生きる」を守る教育者でありたい。

2024/04/04
なんかさー、昨日の文章暗いね!
映画を見終わって、明日のお仕事に持っていくお弁当を作り出すあなたと、映画の感想をひとしきり話して、1時半、だから昨日の文章を書いたのは、実は今日なのだ、実はね。
だけど、わたしが起きて眠るその時までが今日で、朝起きたら眠る前のことは昨日なのだ。だからそれは昨日なのだ。
ちゃんと着いてきてるかい。

明日は、久しぶりに学校に行って、久しぶりにそこで友達に会える日。休みはいいけど、ないと困るけど、やっぱり学校で友達に会えるって思うと嬉しい。

2024/04/05
久しぶりのみんながいる学校、嬉しい。
実体があって、ハグができる、手を握れる、目を見て会話ができる、なんて嬉しいのだろう。
わたしの言葉が、なにものをも通さず、まっすぐあなたに届く、この喜び、話す唇は止まらなくて、喉が渇く。
長期休み明けの友達との再会は、いつも心が満たされる。

憂鬱の春、新学期の緊張と焦りを吹き飛ばす、友達の偉大さ。

春休みずっと考えていた卒論のことや、先生からもらったメールの内容でなんとなく自分自身の課題にしていたもの、それらのことを先生たちに直接お話しできること。

わたし、春休み中は、こんなことを本で読んで、こうなんじゃないかって仮説を立てて、こう思ったんです。そんな会話を先生とできる喜び。
その後に続く、10倍くらいのフィードバック。
さらに思考が巡り、新しい課題、道のり、未来が見える。

2024/04/06
眠くて眠くて仕方ない、ここ数週間。

夜中はちゃんとぐっすり寝たいのに、「やばい!寝坊した!」と2時間おきくらいに起きてしまう、その緊張感が不快で安心して寝られない。

「あ〜明日寝坊する〜、無理〜」って思いながら眠りについて、寝坊した!の危機感で目が覚める(実際寝坊してない)、いい加減この睡眠生活を改善したい。

2024/04/07
春になって電車が観光客でいっぱいになった。

さいきん少し心が疲れていて、友達に会ったらいいリフレッシュができた。
一人でいると、さらに落ちてしまうことが多いわたしは、元気になりたいときは友達と一緒に過ごすようにしている、友達に話してしまえば、そこまで深刻なことではない、そんなに思い悩まなくていいのだと思える。友達の力、偉大。


すずめの戸締り。

終始映像がひたすらに綺麗だった。

言葉とか、画面の切り替わりとか、音とか、全て『新海誠』で溢れていた。どの場面を切り取っても、『新海誠』が感じられた。

新海誠監督の作品は、ストーリーうんぬんよりも、わたしはきっとそれが好き。

2024/04/08
ラーゲリより愛を込めて。
「戦場のピアニスト」を見た時に、最後のシーンでナチスドイツ兵がソ連兵に捕らえられていたところが印象的だった。支配の矢印が変わり、ナチスドイツ兵は自分達がユダヤ人に対して行ってきたことを、今度は、彼らが受けていた。

それと似たようなシチュエーション、日本兵がソ連に捕らえられたときのこと、それが「ラーゲリより愛を込めて」だよ、と教えてもらい、観ることに決めた。

自分の幸せがあって人にも幸せを届けることができるんじゃないかって思っているところがある、わたしが周りの人からの優しさで満たされているからこそ、わたしも周りの人に対して優しくありたいと願う。

だからこそ、人間が人間らしさを失ってしまうような環境で、どれだけ自分のためより、他人のためを思えるか。
普通だったらありえないような仕打ちの中で、いかに優しさを失わずに他人のためを思って、言葉、行動の選択ができるか。

自分にとっても絶望的な状況の中で、どれだけ周りの人に優しく柔らかくあれるか、わたしにはわからない。

優しく柔らかくあることが、怖いと感じるかもしれない。

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