速読術と記憶術について

この記事が属しているマガジンについて、以前のマガジンタイトルは「速読・読書・勉強」でしたが、今は「速読・記憶・読書・勉強」に変えました。
「記憶」を付け加えています。
その理由は、以前はあまり興味が無かった記憶術というものに、最近かなり興味が出てきたからです。
そこで、今回は速読術と記憶術について私見を語ってみようと思います。

世の中の動向を見た時に、速読術と記憶術はどちらが人気があるか?と考えると、圧倒的に前者の速読術ではないかという気がします。
その理由を考えると、主に2つの要因があるように思います。

1つ目は現代社会において、昔ほど記憶力の良さが必要とされていないからだと思います。
コンピュータやネットワークの発達によって、必要な情報はいくらでも保存し、好きな時に検索して探すことができるようになりました。
このような社会において、人間の頭に大量の情報を蓄えておく作業は昔ほど重要視されなくなったのではないかと思います。
一方で爆発的に増え続ける情報を効率よく処理するためには、速読術が必須であるという考えが徐々に世の中に広まった結果、人々は記憶術よりも速読術の方により高い関心を示しているのではないかと推測します。

2つ目は速読術によって記憶術の領域もカバーできるという速読万能論的な考え方が存在しているからだと思います。
よく速読術の本などに書かれている謳い文句として、例えば一般人の平均の10倍の読書速度を身につければ、普通の人が1回読む間に速読を身につけた人は10回繰り返し読むことができるので、どんなに記憶力が悪い人でも繰り返しの効果で内容を覚えることができる、だから速読を身につければ記憶力の向上にも役に立つ、という主張がありますが、これがまさしく速読ができれば記憶術は不要という考えそのものだと思います。

以上の2つの考え方が記憶術よりも速読術に人々が高い関心を寄せている要因ととらえていますが、私はこの2つの考え方はどちらも間違いだと思っています。

まず、1つ目の現代社会において記憶力はあまり重要ではないという考え方についてですが、確かに社会人にとっては受験勉強を本業とする学生ほど記憶力が重要なものではないというのは一理あります。
しかし、社会人でも依然として資格を取得するなどステップアップするためには勉強が必要であり、記憶力が高いに越したことはありません。
また、仕事においても、全てではないにしてもある程度の内容はしっかり覚えている人の方が、会議などにおける発言力や説得力に圧倒的な優位性があります。

更に社会人にとって、人の名前をしっかり覚えられるというのは重要なスキルであると思います。
「人の名前を覚えるのが苦手」と自分を卑下する人はそこら中に沢山いますが、これは裏を返すと人の名前をよく覚えられる人は、社会における人付き合いにおいてかなり優位に立てることになります。
以上のことから、記憶術を軽視して速読術に偏る考え方は間違いであると言えると思います。

2つ目の速読によって物事を効率よく記憶できるようになるという考えも、やはり間違いであると思います。
最近読んだ記憶術に関する本について、こちらの記事で紹介していますが、この本でとても勉強になったこととして、人が物事を記憶するためには、その記憶対象に対して頭の中でイメージするなどして選択的注意を向けること、手がかりから記憶対象を思い出すという想起練習を十分に繰り返して内容が脳の長期記憶領域に保存されていること、記憶対象を思い出しやすいようにできるだけ沢山の手がかりと関連付けが成されていること、の3つが重要であることを学びました。

この記憶の原則から考えると、速読によって繰り返し何度も文章を読んでもただの時間の無駄であり、効率よく記憶に残すことは困難であることが容易に推測できます。
まず、ただ読むだけでは記憶対象に対して十分な選択的注意が向けられるとは限りません。
眼はひたすら活字を追っているが、心ここにあらずという現象が起こることもしばしばです。

また、何度も同じ文章を読むことは、単にその文章をスラスラ読めるという脳の回路が発達するだけであり、記憶に必要な手がかりから対象を想起するという回路を鍛えることにもなりません。
更には、ただ読んでいるだけでは思考力が働かず、記憶対象を様々な手がかりと関連付けるという脳の高度な作業もまったく行われないでしょう。

以上のことから、記憶術よりも速読術の方が重要であったり、速読術があれば記憶術は不要という考えは完全に間違ったものであると私は結論付けます。

では、両方とも必要なものであるとして、それぞれの特性は何か?と考えた時に、まず速読術については2つの役割があると思います。
1つは大量の情報について、概要を素早くつかむという役割。
もう1つは、本当にじっくり読むべき情報とその必要が無い情報を仕分けるという役割です。

一方、記憶術については、まさしくその名の通り記憶しておく必要がある情報を効率よく覚える術であると言えます。

このようにそれぞれまったく役割、目的が異なるので、どちらか一方を重要視したり、どちらかはまったく不要という類のものではなく、どちらも必要だという結論に落ち着きました。

速読術については、これまでの記事でかなり語りつくしてきましたので、今後は記憶術について少し重点的に取り上げていくつもりでいます。

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