臨機応変さを身につけるには?

今回は臨機応変ということについて、私の考えを書いてみたいと思います。

最初に断っておきますと、私は科学的根拠というものを一応重視はしますが、科学至上主義の様な考え方には賛同できない立場です。
例えば数学の証明は、公理は絶対的に正しいという前提のもとにスタートしますが、そもそもその公理に誤りが存在した時点で全てが破綻します。
よくある自己啓発的なネタで「~大学の実験で良い結果が出たので、この方法は効果がある」みたいなものについても、例えばその実験を行う上で存在する前提条件の中に何らかのバイアスが存在した時点で、誤った結論が導き出されることにもなりかねません。

以上のことから、私は最新科学の成果というものは一応尊重しつつも、最終的には自分の経験や直感も頼りにして自分が従うべき指針を決めていくようにしています。
今回のテーマの臨機応変ということについても、これから述べることには私の直感から導き出された考えが多く含まれています。

それでは本題に移りますが、まず、この世の中で生きていく上で、臨機応変とか柔軟性があるということの対極にある、いわゆる「融通が利かない」というのは非常に問題のある状態だと思います。
物事が上手く進むためのカギとなるのは、いかに臨機応変な振る舞いができるかということに尽きると言っても過言ではありません。

では、この臨機応変さは努力で身につけられるのか?という疑問がありますが、結論から言うと十分身につけられると直感的に思っています。
一見すると、臨機応変さは性格的なものなので遺伝によってほぼ決まってしまい、神経質な人は一生神経質であり柔軟な振る舞いなんてできないのではないか?という気がしますが、私の経験ではそんなことはないと思います。

それでは、臨機応変さを身につけるために一番重要なカギとなるのは一体何か?というと、答えは「持っている知識の量」であると考えています。
過去の自分の体験を振り返ってみると、例えば社会人に成りたての頃は、仕事においてまったく融通が利かず上手く進めることができませんでした。
しかし、何年か仕事を経験すると、気づいたらかなり臨機応変な立ち振る舞いができるようになっていました。

これはなぜかというと、やはり長年の経験によって、その仕事に対する様々な知識が備わったことで、どこに力を入れればよいか、どこで手を抜けばよいかということが瞬時に、そして的確に判断できるようになったからだと思います。
そして、それが可能になったのは、繰り返しになりますが、頭の中に十分な知識が備わったからという結論になります。

臨機応変さを身につけるカギとなるのは「知識の量」ということになりましたが、では、次にどのような方法で効率よく知識を身につけていけばよいかということについて注目したいと思います。
知識を体得する方法として考えられるのは、主に次の3つです。

  ・実体験によって得る
  ・人から教えてもらう
  ・自分で勉強する

これらの内、実体験から知識を得るのは一番インパクトが強く、深く記憶に刻まれますが、一番時間がかかり効率が悪い方法です。
また、人間は自分にとって未知の行動をなかなかやりたがらない臆病な生き物なので、積極的に新しい体験をして知識を広めていくということは、多くの人にとって本質的に困難な所業であると言えます。

次に、2つ目の人から教えてもらうということについても、たまたま人に恵まれた環境で育てられた人はラッキーですが、そうではない人は生まれながらにして既に大きなハンデを背負った状態となります。
よって、当然この様に優秀な人間に教えてもらうという運頼みな考えは、知識を得るための手法としては有効性に欠けていて、私の中では論外になります。

そこで、やはり3つ目の自分で学ぶということが一番重要になってきますが、それは更にいくつかの種類に細分化されます。
考え得るのは、テレビやインターネットなどの動画や音声から学ぶ方法、雑誌やインターネットの記事などから学ぶ方法、書籍から学ぶ方法の3つ。

この内、動画や音声から学ぶのは、実体験や人から学ぶのと同じで時間がかかりすぎるため、最短で知識を習得するのには向いていません。
また、これらは受け身の学習であるため、その点からも知識が身につきにくい方法であります。

残るは雑誌やインターネットなどの記事と書籍、つまりいわゆる活字文化から学ぶ方法ですが、このうち自分の知りたい情報を狙いを定めてピンポイントで素早く手に入れるには、雑誌やインターネットの記事がよいと思います。
一方、じっくり自分の中の知識の基盤を固め、良い人格形成を促すには本を読むのが最適でしょう。

本の読み方については、今までの記事でさんざん書いてきましたが、ポイントをまとめると、まずは自分が興味がある本を読むことです。
そして、私が尊敬する立命館アジア太平洋大学の現学長である出口治明氏も言っているように、「速読は百害あって一利なし」であり、自分にとって最も心地良い速度で精読をするのが、知識を得たり他人の価値観を知る上で最も優れた本の読み方であると思います。

一方で、受験勉強みたいに同じ本を暗記するほど繰り返し読むというのは、知識の習得スピードが劣化する点でお勧めできません。
本は基本的に再読はしないという方針で、どんどん読み散らかしていけばよいと思います。

また、最近考えている重要なポイントとして、基本的に興味がある本を読めばよいのですが、一方で食わず嫌いはよくないどころか逆に人の精神を蝕む極めて有害な態度であると思っています。

以前ツイッターでフォロアーだった人で、常に現政権の批判的内容ばかりを頻繁に呟いている極左思考的な人がいました。
内心鬱陶しいなと思いながら見ていたのですが、どうやらその人の思考回路は政治と文学にしか関心が無いようであり、更にその中でも自分の元々持っている思想信条に近い内容が書かれた本しか読まないという、かなり頑固で偏屈な傾向を持っている印象でした。

このような態度で本を読み続けていると、いつしか思考は偏り、臨機応変さとは真逆の方向に進む病的で危険な精神状態になると思います。
こういう人は、往々にして自己啓発本やビジネス書みたいな類の本を子馬鹿にする傾向があるようにも見えますので、そのような食わず嫌いな態度ではなく先入観を捨てて色々なジャンルの本を読んでみるのが、臨機応変な精神状態を身につけるのに効果があるのではないかと思います。

以上のように読書を中心として幅広い知識を得ていくことが、ゆくゆくは臨機応変に行動できるようになるための一番の近道であると、自分の経験と直感から強く信じています。
ただし、私もこのような境地にようやく達したのはごく最近のことなので、今後何年か後に自分の仮説が正しかったのか、振り返って検証してみる必要があると思っています。

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