速読の本質について

前回の記事では、速読訓練を続けていく上で陥りがちなジレンマを克服した考え方について書きました。

そこで、今回はしばらく訓練を続けた結果到達した、速読の本質に関する自分なりの考え方について書きたいと思います。

速読について人による捉え方は様々であり、インチキと言う人もいれば確かに存在すると言う人もいます。
これは、それぞれの人の実体験による直感から導き出されるものなので、色々な見方があって当然だと思いますが、私の考え方としては速読は大きく分類して2種類存在すると思っています。

1つは従来の読み方の延長上に存在し、端から1行ずつ順番に読んでいく読み方を極限まで速くした速読です。
これを実現する方法は、眼の筋肉を鍛えて視点移動をスムーズにし、次に脳の処理速度を鍛えて理解スピードを上げ、更に5文字ずつ読んでいたのを10文字ずつ読むみたいに、一度に読み取れる文字数を増やしていくことです。
この1行ずつの読み方の限界速度は、分速2500文字くらいであり、日本人平均の5倍程度のスピードと予想されます。

もう1つは複数行を同時に読んでいく、従来の読み方とまったく異なる次元の感覚による速読です。
これは、縦書きの本であれば視野の広さにもよりますが、視線を波のように上下に動かしたり横一直線に平行移動したりして、2行以上を同時に見て理解していきます。
この読み方は、最低でも分速5000文字くらいであり、上を見れば分速何万文字、何十万文字というように上限が無い超人的な速さとなります。
世間でよく言われる速読というのは、このような読み方のイメージだと思います。

ここで、前者の1行ずつ順番に読んでいく読み方を、便宜上私は左脳速読と呼び、後者の複数行同時読みを右脳速読と呼んでいます。
これは前者が論理的な理解を重視する左脳的な読み方であり、後者がイメージで理解する右脳的な読み方だからです。
実際は脳の働きは左と右で綺麗に2分されるような単純なものではないようですが、単純化した方が話は分かりやすいので、私はこのように呼んでいます。

ここで非常に身も蓋も無い話をしますが、私が思うに右脳速読というのは所詮大雑把な読み方であり、詳細を把握することは不可能だと思っています。
その根拠は、速読はインチキだと科学的に証明されたみたいな記事を近年よく目にするように、おそらく速読の訓練をすることで1行ずつ読んだ時と同レベルの理解度で複数行を読めるということが科学的に証明されたケースが、実際に見られないからではないかと考えています。

こう考えると、右脳速読は高速であるが所詮大雑把な理解度の読み方であり、低速だけど高精度な左脳速読と使い分ける必要があることが真実だと思われます。
しかし、世の中の速読事業者は、あたかも右脳速読が左脳速読と同等の理解度を達成できると錯覚させるような過剰宣伝をしており、これが正しい速読の理解が世の中に浸透することを妨げ、速読を習得できる人を極端に少なくしてしまう元凶なのではないかと思います。

このように、右脳速読は所詮大雑把な理解度しか得られないと割り切ることが重要ですが、そうは言ってもまったく速読の訓練をしないで複数行を同時に読むよりは、訓練を日々続けている状態で読んだ方が相対的に理解度は高いと思われ、これが速読の訓練をする意義だと思います。

また、速読訓練をしていない人は、複数行を同時に読んでいくことに対して常識とあまりにもかけ離れているので心理的な抵抗がありますが、この心理的抵抗を緩和する意味でも、速読訓練が有効であると思います。

以前の私の心理状態を考えると、この大雑把な理解の右脳速読なんて価値がないものであり、左脳速読のようにしっかり内容を論理的に理解できる状態で分速1万文字くらいに到達できなければ意味が無いと考えていました。
これにより速読がなかなか習得できず、日常生活に速読を有効利用することができないでいました。

しかし、最近ようやく、文章は基本的にいい加減な理解度の右脳速読でガンガン読んでいけばよい、その上で本当に精度の高い理解が必要な場合に限り、限定的に左脳速読を併用すればよいという境地に到達し、いちおう自分では速読を習得したと言えるレベルに達したのではないかと思っています。

速読習得の肝は、いい加減な読み方の右脳速読というものを、自分の心の中でどれだけ許容できるかにかかっています。
つまり速読の訓練内容、訓練方法、訓練量などは二の次の話であり、一番重要なのは意識改革の方であるというのが、速読の本質であると今は理解しています。

常に左脳速読で文章を読んで、読後の満足感や詳細理解度を重視する代わりにあまり多くの文章を読めなくてもよいと割り切る道を選ぶか、右脳速読を駆使して大量の文章に接する機会を増やす代わりに満足感や理解精度をある程度犠牲にするか、もはやこれは価値観の選択になります。
二者択一であり、スピードと精度を両立することは不可能です。
最終的には個人の嗜好による選択なので、どちらを選んでもよいと思いますが、私の実感としては後者の方が人生における総合的なメリットが大きいように思います。

では、最後に左脳速読と右脳速読をどのように使い分ければよいか、私の考えを述べたいと思います。

例えば、仕事において重要な文章であり、誤解することが許されない内容のものは1行ずつ丁寧に読む左脳速読を使います。
一方で、仕事関連ではあるけども、自分の守備範囲に直接関係無いが一応概要を把握しておいた方がよさそうなものは、右脳速読で素早く処理します。

受験勉強においては、細かい部分まで暗記するくらい正確に抑えておく必要あるので、最初は左脳速読で読むのが適切でしょう。
ただし、同じ参考書を何度も繰り返し読んでいるうちに、脳に知識が定着して右脳速読でも十分処理できるようになってくるかもしれません。
こうなると、繰り返し学習の効率が格段に上がります。

普段の読書においては、基本的に右脳速読で浅く広く大量の本を読んでいくのが効果的だと思います。
その上で、より正確に内容を把握して人に説明できるようにしたい部分などは、限定的に左脳速読で詳細を把握すればよいと思います。

小説については、実際に右脳速読で読んでみましたが、まったく内容を把握することができませんでした(笑)
やはり、小説はドラマや映画を見るように詳細なストーリーを頭の中で映像化する必要があるので、細部までしっかり味わう左脳速読が適しているようです。

以上の様に、用途に応じて左脳速読と右脳速読を巧みに使い分けていくのが、最も現実的で有効な速読の活用方法だと思います。

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