超怠け者の私が、やるべきことを続けられるようになった方法について

自己啓発関連の本や記事、動画などを見ていてちょっと目に付く違和感のあるフレーズに「人生を変える~」というものがあります。
自己啓発業界はこの言葉で溢れかえっていますが、果たしてそれらを学んで本当に人生が変わったと言える人は、どれだけいるのでしょうか?

私の仮説では、世の中に出回っているほぼ全ての自己啓発は、元々の天才か家庭環境に恵まれた育ちの良い人にしか効果が期待できないのではないかと思っています。
生まれ持った才能があれば、何をやっても上手く行くことは言うまでもないという気がしますが、育ちが良いことが何故自己啓発が上手くいくことと関係があるのか、少し考えてみましょう。

そもそも人生を変えるためには、ただ頭の中で願望を抱き続けているだけでは何の意味もなく、どれだけ現状を変えるための行動を起こし、それを続けることができるかにかかっているとも言えます。
その行動を続けるためには、常に前向きな気持ちが必要となりますが、ある時自分自身をふと振り返ってみて、私にはこのような前向きな情熱と言えるようなものが全く無い事に気づきました。

自分に特別な才能が無い事はもちろんですが、一方で地道な努力をコツコツ続けることに快感を感じる気持ちも全く無い事が、自分自身をよく見つめ直すことで見えてきました。
そして、ふと自分の親の事を考えた時に、まったく同じで努力して上を目指そうという気持ちがまったく見られない人間なので、やはり意欲のある親の基で育つか否かというのは、生涯に渡ってモチベーションの炎を燃やし続けるために重要な要因なのではないかと感じています。

具体的な話をすると、私の父親は組織に馴染んで会社勤めを続けることができず、自営業を始めたものの売り上げを増やして事業を大きくしようという意欲も皆無であり、ただ人間関係が苦手なために自営の道を選んだという人でした。
そして、常に家でゴロゴロしてテレビを見て無駄な時間を過ごすという生活をずっと続けていました。

そのような父親に嫌悪感を抱きつつも、社会人になった自分を振り返ってみると、同様に休日はダラダラ過ごして多くの時間を無駄にし、努力して何かを成し遂げたいという情熱はほぼ皆無です。

考えてみると、努力を続けられるというのは実は最も恵まれた才能なのかもしれません。
例えばアニメのドラゴンボールの主人公である孫悟空は、とにかく修行好きで修行を続けることに何の嫌悪感も無いどころか、ワクワクして仕方が無いという感じでしょう。
だからこそ、サイヤ人としては劣等の部類でありながら、次々と周りのライバル達を追い抜いてより強さの高みを目指すことができているのだと思います。

アニメの様な非現実的な世界だけでなく現実世界においても、例えばスポーツなどで10年に1人の逸材と周りにチヤホヤされただけで努力を怠った選手よりも、若い頃はまったく注目されていなかったにもかかわらず血のにじむような努力を続けられた選手の方が、最終的に大成しているという例は多く見るように思います。

再び自分に目を向けると、私はとにかく飽きっぽい性格で、努力というものが大嫌いであり、少し努力を始めてもすぐに先が見えて失望してしまい、一気にモチベーションが無くなってしまうという性格です。
そして、これは間違いなく親から遺伝的、環境的に受け継いだものだな、ともはや苦笑するしかありませんでした。

ここで、それでは努力することをやめて、適当なお気楽主義で行けばいいじゃないか、という考え方もあります。
おそらく、政治の世界で共産主義的思想の持主が主張している「がんばらなくてもよい社会」という考え方は、背景にはこのような努力したくない考えの人々の一定の支持があるのでないかと思います。

しかし残念ながら、共産主義は現実的に上手く行かず、当の昔に破堤しています。
そして現代の資本主義社会では、自分は頑張らないでほどほどでよいと高をくくっていると、あっという間に周りに追い抜かれ地盤沈下を起こし、最低限の生活すら保障されなくなる危険性に満ちています。

以上の様な考えから、私は現代に蔓延する自己啓発は、才能がある、あるいは元々努力を続けられるほどモチベーションが高い人にしか効果が無く、私も含め大多数の凡人でやる気もそれほど高くない人々には、まったく意味の無い巨大な詐欺市場であると考えています。

しかし、既に述べたように改善することを諦めてしまったら、資本主義社会では瞬く間に淘汰されてしまいます。
当然才能も意欲も低いので、超一流になることは不可能ですが、何とか落ちこぼれずに食らいついていくための方法は、多くの人にとって望まれるのではないでしょうか。
私の自己啓発に対する考え方は、このようにどんなに才能が無く、努力が大嫌いな人でも一定の成果が出せるものが本物だと思っています。
そして、そのような自己啓発は市場には一切存在せず、自分の頭で自分に最も合うものを考え出すことで、初めて手に入れられるものであるという認識にようやく到達しました。

ここから先は、私が最近考えて実践している最も自分にとって効果が出ている方法について、紹介したいと思います。

まず繰り返しになりますが、自己啓発で重要なことは、いかに行動を起こし続けられるかということです。
これを実現するために、以前の私は市場に出回っている既存の自己啓発を一生懸命勉強することで様々な気づきを得て、それがやがて自分の内面のモチベーションを増大させて行動ができるようになると考えていました。

しかし、しばらく自己啓発の勉強をする中で、これは効果としては極めて低い幻想であると気づきました。
おそらくこの方法では、元々モチベーションが高い人にしか効果がありません。
恐ろしいくらいやる気が低い人がどうすれば行動できるようになるか、自分の生活を振り返りながら考えてみました。

そこで分かったのは、とにかく我々は受動的娯楽によって知らず知らずの間に行動できない人間にされてしまっているのではないか、ということです。
「受動的娯楽」というのは、ある時ふと思いついた言葉ですが、私の中ではテレビや動画視聴、ゲーム、音楽鑑賞など能動的な努力を必要とすることなく、ただ視覚や聴覚などの五感をリラックスして開放しているだけで楽しめるような類のものを指しています。

反対に楽器の演奏などは、一生懸命何度も繰り返し同じ曲を練習しなければ流麗に音を奏でることができるようにはならないため、努力が嫌いな人は長時間練習を続けることはできません。
囲碁将棋などの頭脳を酷使するゲームや、スポーツなども同様でしょう。
こういった類のものは、「受動的娯楽」の対極にある「能動的娯楽」と呼ぶことにしています。

この受動的娯楽という言葉で調べたところ、同じ言葉を使って既に本が出版されていることが分かりました。
下記の本にその言葉が出て来ます。

しかし、この本では受動的娯楽よりも能動的娯楽を楽しもうとただ言うだけであり、それができない人がどうやったら能動的娯楽を継続して実践できるようになるのか、具体的な方法論がまったく書かれていません。
こういう所からも、現代の自己啓発の限界が感じられます。

以前の私は、何の制約も無いと受動的娯楽を無制限に続けてしまい、休日をダラダラ過ごして特に努力が必要なことは何一つすることなく、無駄な日々を過ごしてしまうという状態でした。
当然これではダメだと思い、受動的娯楽を制限するための何か良い方法があれば、能動的娯楽や勉強などに費やす時間が自然に増えるようになるのではないか?、そしてそれを続ければ、劇的に人生が変わると大風呂敷を広げるつもりはありませんが、地に足の着いた形で徐々に良い方向に人生を軌道修正していくことができるのではないか?と考えました。

そこで、思いついたのが、以前私がゲーム依存症を克服するために考えた下記の記事の方法です。

この方法の概要は、ゲームをしてよい場合とダメな場合を日単位で決め、それに従うという内容です。
これは元々ゲーム依存症に限定して思いついたわけですが、もっと広く受動的娯楽全般において応用可能なのではないかと考えました。

つまり、日単位で受動的娯楽を楽しんでよい日と禁止する日を決めて、それに従うということです。
受動的娯楽を禁止した日にいったい何が起こるかというと、能動的娯楽の方は禁止していないので、まずはそれらを自然にやるようになります。
例えば、読書やWEBサイトで記事を読んだり、楽器演奏、スポーツをするといった感じでしょうか。

これだけでも受動的娯楽で廃人のような生活をするよりも、よっぽど知的で生産的な生活を送れますが、更にこの能動的娯楽というのは既に述べたようにある程度の努力を要することから中毒性が無く、長時間続けることはできないため、始めてしばらくすると飽きの感情が出てきます。
すると、能動的娯楽に飽きた後は何をするか?
もう勉強したり家事をするなど、生活上優先度が高いことをするしかなくなります。

つまり、普通の自己啓発的な考え方では、やる気を高めて行動ができるようにするという原理を重視しますが、上記の私が考えて実践している方法は発想が真逆であり、受動的娯楽を規制することで、いくらやる気が無くてもやるべきことをやらざるを得ない状態を作り出すというノウハウになります。

基本原則は受動的娯楽を享受してよい日とダメな日をキッチリ決めてそれを守ることですが、この方法を続けていく中で、いくつか自分なりのルールを確立してきましたので、その細かなルールについて、一つ一つ書いていきたいと思います。

まず、受動的娯楽を享受してよい日とダメな日の比率は1:2位を目安に決めています。
つまり、今日が受動的娯楽を無制限で思いっきり楽しんでよい日とするなら、明日、あさっては受動的娯楽を原則禁止する、という感じになります。
この1:2の比率は、既に紹介したゲーム依存症克服法の記事で書いた比率と同じ考え方となります。
ただし、調子が良いと判断した時は、受動的娯楽禁止の日の比率をもっと上げても良いでしょう。

次に、原則としては受動的娯楽禁止の日でも、完全禁止はとてもしんどいということが実践してみて分かったので、いくつかの例外事項を設けています。
例えば、並列作業ができる場合は、その作業をしながら受動的娯楽を楽しんでもよいとしています。
私の例では、食事や歯磨きなどをしている時は同時にYouTubeの動画などを見ても作業を滞りなく進めることができるので、このような場合は禁止日でも受動的娯楽を楽しんでよい条件としています。

逆に、勉強などをしながら耳で動画の音声を聞いたりすると、どちらにも意識が集中できなくなるので、このような行為は行いません。
自分で色々試してみて、生活の中のどのような行為が並列処理可能か検証していくと、時間を有効活用できるようになります。

それから、その日にやるべきことを全てやり終わり、後は寝るだけという状況になった場合は、受動的娯楽禁止の日であったとしても寝る直前にYouTube動画を見たり、布団に入って動画の音声を聞きながら、そのまま寝てしまうということをOKとしています。

受動的娯楽において、私はテレビというものの有害性をもう10年以上前に認識し、地デジ化を機にテレビは捨てました。
しかし、テレビを見るのと変わらない強い誘惑があるものがあります。
それは、YouTubeなどの動画をLIVE配信で見るという行為です。
LIVE配信は面白くてハマってしまうと見るのをやめられないという特性があり、これはテレビを消して勉強しようと思ってもついつい見続けてしまうという現象と同じことです。
人間にとって、LIVE感覚というのは特別なものがあるようで、録画などとは気持ちの高揚感が異なるので厄介です。
そこで、受動的娯楽禁止の日は、LIVE配信動画は見てはいけないというマイルールも作りました。

次のルールは、基本的に受動的娯楽OK、NGは日単位で決めますが、例外として時刻限定解禁のルールを設けることです。
例えば毎日1時間だけOKみたいな時間の量を限定したルールは、意志が弱く面倒くさがりの私には守ることができません。
なので、基本的には今日はOK、明日はNGというようにザックリとした日単位で決めます。
しかし、既に書いたように1日のやるべきことを全てやった後は解禁してよいというルールと似ていますが、例えば何時まで受動的娯楽を禁止したら、その時刻以降は解禁してよいという様に時刻を決めてそれまでは禁止、それ以降はOKと決めることは私でもできることが、試してみてわかりました。
これは例えば、ある時刻からどうしても見たい楽しみなLIVE配信が始まる予定があり、それを見ることを我慢できない、といった状況の場合に適用するオプション的なルールとなります。

最後のマイルールとしては、この受動的娯楽禁止の日に上記ルールを破ってしまっても、自分を責めないことです。
ルールを完璧に守れないことは人間であれば常に起こるので、それを許容し、再度新たな気持ちで続けることです。
また反省の代わりに、次に上手く行くためにはルールをどう変形していけばより良くなるか?という視点で考えることも重要です。

実際、最初は1:2の比率で受動的娯楽OKの日とNGの日を決めるという単純なルールだけでスタートしましたが、それだけでは中々上手く行かないことが多かったので、既に書いたようなオプションルールを色々試行錯誤して生み出してきました。

以上紹介したマイルールを一覧にまとめると、次のようになります。

① 受動的娯楽を享受してOKの日とNGの日を明確に決める。
OKの日は努力が必要とすることを一切しないと決める完全オフの日と定義。

② OKとNGの日の比率は基本1:2を目安に計画する。
状況によってはNGの日の比率を更に上げる。

③ NGの日でも並列作業ができるタスクをしている時間帯については、受動的娯楽を享受してよいものとする。

④ NGの日でも就寝直前は受動的娯楽を享受してよいものとする。

⑤ NGの日にライブ配信動画を視聴するのは禁止。
テレビの視聴と同じで、ライブ感覚は自己制御が効かなくなるリスクがあるため。

⑥ 基本は日単位でOKとNGの日を定めるが、例外として何時以降はOKとするなど時刻限定解禁ルールを時と場合によっては組み込んでよいものとする。

⑦ ルールを守れなくても特にペナルティは設けず、自分を責めない。
そして、ルールを改良しようとする発想が継続する秘訣。

以上が私の受動的娯楽をコントロールする方法、ルールの全てとなりますが、実際に可視化して運用し易くするために、ゲーム依存症克服法の記事で書いたのと同様にExcelを活用しています。

Excel上にカレンダーを作り、受動的娯楽OKの予定日を白丸、実際に受動的娯楽を楽しんだ日を黒丸で記載していきます。
また時刻限定解禁ルールを適用する予定日は白三角、実績は黒三角で同様に記入し、解禁時刻や備考的な内容も書ける列を設けます。

実際に作って運用している表は次のようなイメージです。

受動的娯楽コントロール

この方法を始めて気づいた良い変化としては、予め何日先をどのように過ごすのか頭の中にイメージして計画するようになったことです。
完全オフの日にして受動的娯楽を無制限に楽しむのか、受動的娯楽を規制して勉強などに励むのか、といった何日か先の行動をイメージすると、実際にその通りに過ごせる確率が高くなり、「今日一日何も有益な事をしなかった」みたいな絶望感を感じる日が劇的に少なくなったことを実感しています。

そして、この小さいな行動の積み重ねが、最終的に大きな成果となって表れてくるのではないか、と期待しています。

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