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ひいおじいちゃんがフリーメイソンだったかもしれない?自分のルーツを調べた記録

■母親からの思いがけないLINEで始まった



以前、都市伝説トークライブ(オンライン)で満州のことを扱ったのです。

そのライブでは「満州に携わった日本の大物政治家たちが、アヘンビジネスで大儲けをしていた」そんな話からスタートしたんです。

で、一夜あけてライブに参加していた母親からこんなLINEがきました。

「あんたの曽祖父は満鉄の社長。「太平洋の優越者」という本を出してる三瓶勇佐という人で日本の満州侵略に関わった第一人者よ」

こんなLINEが来たもんですから、その日からずっと見ず知らずのひいおじいちゃん「三瓶勇佐」さんに夢中になってしまったんです。

もう少し、母親にLINEで聞いてみたところ、以下のような情報を聞き出せた。

ひいおじいちゃんである「三瓶勇佐さん」には3人の娘がいた。
娘の結婚相手を三瓶勇佐さんがすべて決めた。
女中さん(お手伝いさん)、家も全員揃えて結婚させた。
長女は医者と。
次女には官吏(公務員)と。
そして、三女には学者と結婚させた

その三女が僕のおばあちゃんであり、その結婚相手が僕のおじいちゃん。
法学者で内閣法制局参事官として日本国憲法の制定作業に携わった
文化功労者である佐藤功さんです。

余談ですが、おじいちゃんとは子供のころ一緒にプロレスのビデオをよく見た(というか僕に付き合ってくれてた)記憶があり、プロレスをみる時たいそうな箱から出てくる「菊の最中」をよくおやつに出してくれました。
「ときどき届くのよ」っておばあちゃんが言ってたけど、送り主はどこだったのだろうか。(官邸だったりして・・・)

ちなみに、三瓶勇佐さんの長男(うちの母の叔父)はGHQで働いていたそうで、奥さんは北一輝の姪だったそうです。
(調べきれなかったので確証は持てません)


ここまでの話を聞いて「満州」「GHQ」「北一輝」と、とにかく香ばしすぎるな~と冷静になった時ふとこんな事がよぎりました。

もしかしたら、ひいおじいちゃんである三瓶勇佐さんはフリーメイソンのメンバーなのでは?


そんな仮説が頭に思い浮かびあがった瞬間、知りたい欲が高まりました。

そしてその日から僕は数か月にも渡り、ひいおじいちゃんの事をくわしく調べることにしたのです。

まさに「母親の思いがけないLINEをきっかけに僕のルーツを知る旅」がはじまったのでした。

まず、インターネットでベタに調べてみると、すぐに以下データベースがヒットしました。

■ひいおじいちゃんが載っているデータベースを発見

データベースをもとに母親にくわしく質問したところ、三瓶さん方の親戚にも確認してくれました。

どうやら三瓶さんは宮城に生まれて、17才で小学校教員となり、その後19才で横浜へ向かったそうです。

そして横浜の英語学校で英語を学び、23才のときに「ある人」の紹介でジャーディン・マセソン商会で仕事をするようになったとか。

このときのジャーディン・マセソンの支店長がウォルターという人物で、
ウォルターの目にかかり、28才で台湾支社のジャーディン・マセソン商会の所長になったそうです。

■ジャーディン・マセソン商会とは?

ジャーディン・マセソン商会は元東インド会社の船医でスコットランド出身のユダヤ人ウィリアム・ジャーディンと同じくスコットランド出身のユダヤ人ジェームズ・マセソンにより、1832年に中国のマカオに設立された貿易商社で、主なビジネスはアヘンと紅茶。

彼らはアヘンの利権をめぐって、サッスーン財閥と激しく争っていました

■サッスーン財閥財閥とは?



世界経済を牛耳っている七大財閥の一つサッスーン財閥はイラクのバクダッドに根を張る商人らが英国に移り、アヘンでインド・中国・上海に進出し銀行を支配した東洋のロスチャイルドと呼ばれています。

サッスーン財閥とアヘンの利権を激しく争っていたジャーディン・マセソン商会ですが、その後、ジャーディン・マセソン商会、ロスチャイルド家、サッスーン財閥が婚姻関係で結ばれることになります。
(詳しい経緯は長くなるので割愛)

つまり、ジャーディン・マセソン商会はロスチャイルドとかのいわゆる「都市伝説」的なあっち側の会社と言えます。

ちなみにジャーディン・マセソン商会は横浜に支店があり、幕末の日本でも活動しており、坂本龍馬もジャーディン・マセソン商会から支援を受けています。

坂本龍馬といえば、トーマス・ブレーク・グラバーですね。

トーマス・ブレーク・グラバー


トーマス・ブレーク・グラバーはグラバー商会を長崎で作り、グラバー邸で坂本龍馬たちと密会をしていました。
そして、フリーメイソンーメンバーであることは有名です。

グラバー邸のフリーメイソン印


そして、グラバー商会はジャーディン・マセソン商会の長崎の代理店でありました。

■グラバー商会はジャーディン・マセソン商会の長崎の代理店

1859年9月19日(安政6年8月23日)に幕末・明治期の重要人物であるトーマス・ブレーク・グラバーが「ジャーディン・マセソン商会」長崎代理店として「グラバー商会」を設立。

wiki

トーマスグラバーはツルという日本人と結婚をして、娘がハナと言います。

そのハナは英国商人ウォルターJベネットと結婚しているので、もしかしたら、三瓶さんを台湾支社ジャーディン・マセソン商会の所長に推薦したウォルターと同一人物かその親族の可能性が高いです。

ここまでで、都市伝説的にクラクラしてくるオールスター感が否めないキラーワードの各種ですが話を続けます。

三瓶さん台湾で働いた後、コロンビア大学で植民政策の専攻を3年学び、イギリスのグラスゴー大学へ。

そのあと、満州の大連機械製作所取締役、日本車両製造の副社長になったそうです。

大連機械製作所については以下サイトのPDFで詳しくありました。

https://nanzan-u.repo.nii.ac.jp/record/2000064/files/acashaka25_13_sawai_minoru.pdf

要約すると以下の通りです。

日本車輌製造は1920年に大連機械に出資し、満州大陸進出を果たした。
取締役の派遣には岸上憲二と三瓶勇佐が選ばれましたが、岸上が急逝し、三瓶勇佐のみとなった。
大連機械は満鉄が育てた会社であり、満洲の民間企業としてもっとも大きく成長した。
大連機械は満洲に新たな時代を切り開いたと言える。

■大連機械は満洲に新たな時代を切り開いた


ジャーディン・マセソン商会は茶や生糸の買い付け、アヘンの密貿易に従事し、大きな利益を得ていました。

前身は東インド会社で、元は貿易商社。1832年スコットランド出身のイギリス東インド会社船医で貿易商人のウィリアム・ジャーディンジェームス・マセソンにより、中国広州沙面島)に設立された。中国語名は「怡和洋行」。当時、広州は広東システム体制下、ヨーロッパ商人に唯一開かれた貿易港であった。
設立当初の主な業務は、アヘン密輸のイギリスへの輸出。

wiki

僕と陸君との都市伝説ライブ「満州特集」では『日本が満州を拠点として世界中にアヘンをバラまいており、裏でフリーメイソンと繋がりがあった』なんて話をしましたので、満鉄がアヘンをさばいていた?としてもおかしくはないかもしれないですね。

※母親がいう満鉄の社長だったというのは、もしかしたらちょっと話がずれており満鉄が育てた会社の取締役が正解なのかもしれないです。

さて、三瓶さんの人生の転機であるジャーディン・マセソン商会入りの仲介をしたとされる「ある人物」がだれだったのか。

■ひいおじいちゃんのジャーディン・マセソン商会入りの仲介をしたとされる「ある人物」とは?


インターンターネットや明治時代の本を読んでも、残念ながら詳しいことはわかりませんでした。

そこで、母親や親戚である三瓶家の方に聞いたところ、ある人物とはなんと「後藤新平」だというのです。

南満洲鉄道(満鉄)初代総裁。逓信大臣内務大臣外務大臣東京市第7代市長、ボーイスカウト日本連盟初代総長。東京放送局(のちの日本放送協会)初代総裁。拓殖大学第3代学長を歴任した。

wiki

また、ここで超大物が登場しました。

後藤新平といえばフリーメイソンのメンバーだったことでも有名です。

どうやら、横浜で経緯は分かりませんが、後藤新平と知り合った三瓶さんはジャーディン・マセソン商会入りをしたようです。

どうしても、後藤新平とひいおじいちゃんである三瓶勇佐さんとの関係についてエビデンスが欲しい。
それさえわかれば、ひいおじいちゃんがフリーメイソンだったかわかるかもしれない。

そう思った僕はインターネットを駆使して、三瓶勇佐さんが書いた「太平洋の優越者」を取り寄せました。

■ひいおじいちゃんの古書を購入してみた


しかし、読んでみたところ(言葉が古くてあまり読めない)ご自身のことはほとんど記載はなく、色々な国や島について詳しく記載されており、当時外国の情報を網羅するだけでも大変だったろうにと思いながら、顔もわからないひいおじいちゃんに思いを馳せたのでした。

マスターオブアーツがかっこいい
印鑑を押してあるのが新鮮

■結局、ひいおじいちゃんはフリーメイソンだったのか


ひいおじいちゃんである「三瓶勇佐さんはフリーメイソンのメンバー」だったのか。

はっきりとしたことは調べきれなかったのですが、少なくとも近しい仕事をしていた、関係者であったことは間違いないかもしれません。

ここで答えがはっきりとしないまま僕のルーツを知る旅は終わりました。
それも都市伝説っぽいなと思いましたが。

ここまでが嘘みたいな話ではありますが、絶対嘘とも言えない、まさに都市伝説的なわたくしPE-のルーツのお話であり、つい最近まで名前すら知らなかったひいおじいちゃんの存在がとっても近く感じた数か月の記録でした。

追伸
せっかく買ったひいおじいちゃんの本は母の本とおじいちゃんである佐藤功さんの本とともに代々我が家で大切にしていきたいと思います。

■最後に


都市伝説的に深堀りをしましたが、自分のルーツを知るということはとってもいいことなので皆様も是非調べてみてください。
もしかしたらとんでもない都市伝説的なルーツがあるかもしれませんので。


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