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遠くて近い、でも遠い人。

坂本龍一さんが亡くなった。
Twitterで知った。私は声に出して驚いた。
坂本龍一さんはもうこの世にいないのだ。

私は、坂本龍一さんのすごいファンで、坂本龍一さんの音楽を
たくさん聴いてきたわけではない。
でも、とても悲しい。
亡くなったからだけではない悲しみを今抱えている。

私の家にはピアノがある。
そのせいか、坂本さんの曲を聴く機会は小さい頃からよくあった。
彼の代表作である「Merry Christmas Mr. Lawrence」を初めて聞いた時は
強い衝撃を受けた。
それからは何度も聴いて、聴くたびに感動して時には涙も流した。

高校生のときも、私はまた坂本さんから衝撃を受けた。
坂本龍一さんをはじめ、細野晴臣さん、高橋幸一さんで
結成されたバンド”YELLOW MAGIC ORCHESTRA”と出会ったからである。

YMOの音楽は私の好みにドンピシャだった。
名曲「RYDEEN」はもちろんのこと、
中国女」、「君に、胸キュン。」といったYMOの曲を
高校生になってよく聴くようになった。
音楽って凄い、をひしひしと感じた。
坂本龍一さんはキーボード・シンセサイザー・コーラス担当で、
電子機器を駆使する坂本さんの姿はとてつもなくカッコいい。
シンセサイザーの世界にも引き込まれるきっかけになった。

坂本龍一さんは活動家でもあった。
環境や平和に対して様々な活動を行っていた。
ある日、「ヒバクシャ国際署名」の署名をしたときにチラシを貰った。
そこには坂本龍一さんの名前が載っていた。
「世界のサカモト」と呼ばれる彼も平和を訴えているのだ、と驚きと感銘を受けた。

私にとって坂本龍一さんは特別な存在、と意識したことはなかった。
世界で活躍する坂本さんは遠い存在であり、交わることもない人。
だけど、いざ坂本龍一さんについて考えていると、
私にとって彼は近い存在だったのかもしれない。

坂本さんからの音楽にたくさんのインスピレーションを受けた。
彼のおかげで自分の音楽の世界は広がったと思う。
また、広島出身である私は平和活動を行っている。
そういう意味では、
私と坂本さんは同じ平和活動をする仲間だっただろうし、
坂本さんの想いを引き継ぐ一人になっているのかもしれない。
彼は、遠くて近い人だった。

それに気が付いた今、坂本さんはまた遠い人になってしまった。
今からでもできるけど、坂本さんが生きているうちに
音楽をもっと聴いておきたかったし、
彼の活動を知っておきたかったと思う。

遠くて近い、でも遠い人である坂本龍一さん。
私はまだ彼のことを何も知らない。
これから知っていくのだ。

「Merry Christmas Mr. Lawrence」を弾けるようになりたいし、
これからも坂本さんの芸術に触れていきたい。

坂本龍一さんのご冥福をお祈りいたします。

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