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各音楽の出会いと深化 ~日本のHard Core編

 今日のネタはいきなりハードコア・パンクです。いままでプログレ・アニソンの話してたのに、実に極端なことw
忘備録の方はまだ続いているのですが、今年の分を追加して、またいずれ続きはあげようと思っています。しばしお待ちを。

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で、本日のテーマ、ハードコア・パンクとはなんぞや…ということで調べてみますと、ウィキにはこうあります。

「パンク・ロックのロックン・ロール色を排し、より暴力性や攻撃性を強調したジャンルである」…だそうです。間違ってはいないとは思いますが、それでもコード弾きを主体としたロックン・ロールのワンジャンルであると、あくまで思います。それは一般のパンクロックからハードコア・パンクへの過渡期といわれるバンド…UK SUBS、THE EXPLOITED、CHAOS U.K.といったところをひも解けば明白です。
そういったパンクのテンポを上げていった極致としてのブラストビートまでいくと、下手したら音楽としての概念を越えてしまっているので、ロックン・ロールも味噌もなくなってくるんですが、これはあくまで極端なケースです。まぁ、表現としては嫌いじゃありませんけど。

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とはいえ、個人的にハードコア・パンクの世界に導いてくれた入口にあたるバンドは、日本のGASTUNKでした。いまでこそメタルコアの元祖みたいに言われますが、85~86年当時は、ハードコアのなかにもメロディアスな要素のあるあくまで“パンク”を代表するインディーズ・バンドという評価・扱いだったように思います。

きっかけは、雑誌ロッキンf誌に載っていた7"シングル「GERONIMO」のレヴューでした。今は手元に無いのであくまで記憶の話になるんですが、本来メタル寄りの編集方針に反して、物凄い超ベタ褒めの評価で、バンドへの幻想が膨らんでいきました。
そこまで言われては聴かないことには始まりません。メタルのインディーズにはすでに手を出していたのですが、こっちのジャンルも買ってみようということで、アルバム『DEAD SONG 』を買ってみたのが最初だったのです。無論、DEAD ENDのVo.MORRIE氏が、ことあるごとにBAKIさんからの影響を口にしていたのも大きいです。

音的にはハードコア・パンクのイメージ通りのうるそい曲が並んではいるのですが、ベースは凄い跳ねている、ボーカルは叫んでいるのに歌ってる、ギターは歪んでいるのに泣いている…ということで、その技量も含め非常に完成度の高い作品なのはすぐに感じました。そして、何より印象的なのは、ホラー映画のサントラみたいな冒頭のインスト(?)「黙示録」、LP最後を飾るバラード(?!)「Dead Song」の2曲で、こうしたパンクらしからぬナンバーで各曲を挟んでいるのがポイントです。
あと、件のシングル「GERONIMO」もやばかったです。マカロニウエスタンというか、のちの作品にもちょくちょく出てきますが、ネイティヴ・アメリカンを想起する不思議なメロディーで曲を構成しつつ、パンクの持つダイナミズムも見事に表現されていて、その独自の世界観に引き込まれてしまいました。

前に書いたように、自分のプログレ事始めがPFMだったのは行幸ですが、ハードコアの最初が、いろんな音楽を内含する奥深い彼らだったことは凄く幸運だったと今さらながら思います。

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さて、この頃メタル少年だった私が聴くハードコア・パンクはといいますと、このGASTUNK以外は、友人から回ってきた初期のLAUGHIN' NOSEくらいしかありませんでした。
ですが、一気にその手のバンドに興味を引き出すきっかけとして、アンダーグランドシーンにおけるメタルとパンクをそれぞれ3バンド、2曲ずつ集めたLPの発売が重要事項として挙げられます。
そう、X JAPANのhideさんがいたことで有名な横須賀のSAVER TIGERを含む、HOLD UPレコードのオムニバス盤『Devil Must Be Driven Out With Devil (毒を以て毒を制す!)』のことです。モヒカンとロン毛の骸骨が戦っているジャケが印象的ですね。

メタルサイドが、上記SAVER TIGER、スラッシュ界隈でブイブイ言わせる前のジューダス寄りだった頃のUNITED、グロウル的デスヴォイスのルーツの一つといっていいVo.羽鳥恭充を擁するCASBAHということで、メタルマニアとして興味を惹かれ購入しました。

で、パンクサイドの方ですが、当時は全然知らないバンドばかりでした。名をあげるとGHOUL、LIP CREAM、WAR-PAINTED CITY INDIANの三つだったわけなんですが、あとあと詳しくなっていくにつれ、その界隈では超大物が揃っていたとわかり驚愕します。その流れでGASTUNKのBAKIさんがリップにいたなんてこともおいおい知っていくわけです。

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そのLIP CREAMには、ほどなくしてLIVEに遭遇します。たぶん高校1年の時だったので…1987年前後でしょうか。当時名古屋に住んでいた姉の家に遊びに行き、徒歩圏内にあった大学の学園祭に行ってみたのです。偶然ですが野外ステージに爆音を鳴ら凄まじいバンドが出ていました。
素人目に見てもDs.がすごいと感じました。超速ビートなのに、それをキープしつつオカズを連打、それでいて全く乱れない…パンクは演奏が下手などと誰が言い出したのか、ここで叩いていたPILL氏は超一級品の打ち手でした。のちにFOOL'SMATE誌の達人列伝に取り上げられるのも納得です。
また、Vo.がこっちが怖くなるほどの迫力で迫ってきて圧倒されました。最初はその風貌から「馳浩みたいw」などと思ってたのですが、どんどん引きずり込まれます。他に原爆オナニーズやDEADLESS MUSSなんかも出ていたと記憶しますが、観ているこっちが恐ろしくなってくるようなパフォーマンスは、非常に危険なオーディエンス共々強く心に残ったのでした。

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翌年、彼らの新譜が発表されます。言わずと知れた名盤『Close To The Edge (危機) 』です。ライブでの衝撃があったせいもあり、発売即購入しました。
まずもって気になるのは、YESへの謎のオマージュです。プログレとハードコア・パンクはある意味一番離れているジャンルです。
何か共通点を見出すなら、極限まで構築された音の張り、観念的で哲学を感じさせる歌詞くらいでしょうか。こうした要素ががギリギリの緊張感を醸し出していたと言えるかもしれません。

LIP CREAMは、その後1990年に解散してしまいますが、以降のジャパニーズパンクシーンは少しずつメロコア方面へと舵を切っていきます。その方面にしたって好きなバンドは多いですし、それが悪いわけでもないのですが、あれだけいた多くの和製DISCHARGEフォロワーはどこにいってしまったのでしょうか。

過激な形態が多かったのは、とにかく極端を極めようとする日本人の特性でもありましょう。いみじくもANAL CUNT (AxCx) が「Don't Call Japanese Hardcore Jap Core」でリスペクトしているように、予想以上に海外に与えた影響は大きいと思っています。

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そんなわけで、GASTUNKやLIP CREAMに代表される、独自の“ジャパニーズ・ハードコア・パンク”が光っていた時代があったこと忘れまいと、改めて思いつつ今回は終わります。

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