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日記未満 #11

「No」というための気力。

気を張っていないと、夜更かしして朝を逃す。1日2日はいいものの、これがダラダラと続いてしまうから大変良くない。わかっている。わかっているんだ、そんなことは。なかなかうまくいかないから困ったもんである。長期休暇の前は毎回、何に取り組もうかと楽しみに目標を立てるのに、いざ始まればこのザマで、まあそれはそれで〜と楽観的な性格だから一生このまま。相変わらずダメな奴だ。まぁいいけど。

昨今の流行語である、“ハラスメント”。不当な扱いや侮辱的で軽率な言動に涙を飲まされてきた人々を助け、守る一方で、この言葉によって、私たちに備わっているべき優しさの最低ラインがグッと上がったように思う。悪いことだとは思っていない。思っていないが、かといって、強要させられる優しさほど気疲れするものはない。引き上げられたそのラインは、私たちに「No」と言う事を難しくしている。

善意を当然としてはいけない。そしてあまつさえ、可哀想でしょ、優しくしてよ、などと言ってはいけない。あなたが優しいと思っているその人は、これくらいの優しさは持ち合わせてなきゃいけないんじゃないか、私が優しくしなければこの人はどうなるんだろう、と、ただでさえキャパオーバーな心に負荷をかけて苦しんでいる。拒絶し突き放し、距離をとればいいじゃないかと、そう思ってるなら言ってくれなきゃわかんないだろと、そう思うだろうか。自分のラインを強く信じ、そこまで優しくはできないよと伝えるのには、相応の気力がいるんだ。そして伝えたとてすっきり解決とはならず、お前は最低だと自分で自分に傷をつけることになる。

善意を当たり前の前提として人に頼るな。人に優しさを求めるなら、まずその善意のありがたみを理解しようとする優しさを持て。私たちは皆、断るたびに疲れている。あなたといない今も、悩み苦しんでいる。優しさを持つ人の美しい心は、内に厳しく外圧に弱い。甘ったらしいお前の弱さで、私の大切な人たちを傷つけるな。

2023/2/23

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