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【52歳から自分らしく生きるために】野のへらぶな釣りは、他人の基準で評価され、それに適応することを要求される会社とは真逆の世界

アラフィフ責任世代のあなたへ

今週も一週間お疲れ様でした。

今日私は、前回から35日ぶりに、趣味のへらぶな釣りに行ってきました。

本当は、週末が来るたびに近所の川に釣行したいと願っていたのですが、

毎週なんやかんやと予定が入って、ずっと釣りを我慢する週末が続いていたので、「やっと行けた!」という感じです。

あなたは、週末や休みの日に楽しみにしている趣味はありますか?

ワクワクする趣味の第1位、野のへらぶな釣り

私には、自分がワクワクする趣味が色々あります。

  • 野のへらぶな釣り

  • 鉄道旅

  • 焚き火

  • オートキャンプ

  • 食べ歩き(カフェ巡り含む)

住宅ローン、大学生と高校生の2人の子供の教育費捻出のため、昇進によるベースアップも全くない厳しいお小遣い事情から、

(最近は降格しちゃったので、更に減らされてしまうかと思ったのですが、辛うじて現状の金額を維持していますが・・・。)

どの趣味も、ごくたま~にしか出来ないのですが、

中でも、一番の趣味が野のへらぶな釣りです。(私の場合はこれが一番お金が掛からないので(笑))


【私がへらぶな釣り好きになるまでの変遷】
私の釣り好きの歴史は、小学校1年生の頃の、父とのハゼ釣りに端を発しています。

それ以来、これまでの52年間の私の人生において、釣りは切っても切り離せないものです。

私がなぜへらぶな釣りにはまるようになったのかについては、以下の記事をご覧ください。


「野の」というのはどういうことかと言いますと、

お金を払ってへらぶなを釣る、管理釣り場での釣りではなく、

自然の川や沼などで野生のへらぶなを釣るということです。

何故私は野のへらぶな釣りが好きなのか?

何故それが好きなのか?

それは、シンプルな道具(ざっくり言うと、釣り竿、道糸、浮き、より戻し、板オモリ、ハリス、ハリだけ)での釣りにも関わらず、

極めようとすると非常に奥が深く、生涯を通じて楽しめるほどの研究的な要素も持っているためです。

また、釣り場の状況に応じて作戦を考え、それを試し、そしてその結果、大きく、美しい、へらぶなを手にすることが出来たとき、達成感と共に、自分の頑張りを認めることができ、自己肯定感が高まるのです。

へらぶな釣りの戦略立案や技術の習得の面白さもさることながら、私が野のへらぶな釣りをするもう一つの理由は、自然の中で水面に漂う浮きの動きに集中することで、頭の中にモヤモヤしている不安やストレスを、追い出すことが出来るためです。

これまで、会社で嫌なことがあったり、悩みで頭の中が一杯になってしまった時は、私は無性に野のへらぶな釣りに行きたくて居てもたってもいられない気持ちになりました。

それは、一刻も早く、この苦しい現実から逃避したい!という心の叫びが、何もかも忘れ、無我夢中になる一人の時間を与えてくれるへらぶな釣りに、自分を駆り立てていたような気がします。

かつて、会社の仕事や人間関係のストレスに悩んでいた頃は、家族の心配をよそに、夜中の川に一人で車を走らせ、誰もいない真っ暗な川の護岸で、一睡もせず朝まで釣りに没頭していたものです。

ちょっと異常な行動に見えますよね?

確かに、周囲の人達から見ると、あの頃の私の釣行は少し行き過ぎだったのかもしれません。

しかし、私の分析はちょっと違います。

もしあの時、へらぶな釣りという現実逃避の手段を持ち合わせていなかったら、精神がどうにかなってしまっていただろう。

そう思います。

誰が何と言おうと、私自身は、へらぶな釣りによって精神が崩壊することから救われたのだと信じています。

野のへらぶな釣りには瞑想効果がある⁈

野のへらぶな釣りには、一種の瞑想的な要素が含まれていると、私は思います。

数m先の水面に出ている、長さ数cm、太さ1~2mmほどの浮きに1cm程度の間隔で刻まれている赤、緑、オレンジ色といった目盛りの繊細な動きに集中する。

そして、その浮きに、自然の波や水面のうねりによるものとは異なる微細な挙動を見るやいなや、瞬時に竿を立てて魚の口にハリを掛ける。

この挙動が出るまで、時には数時間もの間、ひたすらエサを打ち返してはまた浮きを見る・・・。という動作を行います。

へらぶな釣りを知らない人から見ると、「わざわざこんな修行じみた、忍耐を強いられることをして何が楽しいのだろうか?」

と思うかもしれません。

しかし、へらぶな釣りを愛する人達は、浮きの微動を待ち続けている時間にも、頭の中では瞬時瞬時に浮きの状態から考えられる次の瞬間に想定される状態と、その時の自分が取るべき反応について仮説を立て、それを検証しようと試みているのです。

へらぶなと自分を繋ぐ、唯一の手掛かりが浮きの動き。

それを頼りに、水中のへらぶなと、ハリに付いたエサの状態がどうなっているのか、自分がそれまでの何年もの経験の中で遭遇した状況を基に、想像し、次の動きを予想するのです。

それが、へらぶな釣り好きにとってたまらなくワクワクする時間で、まるで浦島太郎が竜宮城で過ごしている時間のように、あっという間に時間が経過していきます。

野釣りは、隣の釣り人との間隔は十分に空いている場所を選ぶことができます。どこに釣り座を構えるかを決めるのは自分の自由です。

そして、自分の判断で見定めた空間で、他人のことを気にする必要もなく、完全に自分だけの世界に没入することが出来るのです。

このように、「ひとつのものごとへの集中を維持し続けると、心が整う。」と言われています。

勿論、数時間ずっと集中しっぱなしと言う訳ではなく、目が疲れたら仕掛けを回収して一休みし、遠くの景色を見たり、空を見上げて新鮮な空気を吸ってもいいのです。

そのタイミングの決め方も、誰に指示されるわけでもなく、全て自分の自由です。

野のへらぶな釣りは、全ての判断の基準を自分自身が決め、自分の責任で楽しむもの。

これは、全てを他人の判断基準で評価され、それに適応することを否応なしに要求される会社とは真逆の世界なのです。

心が癒される、今日の釣り場の風景

今日の釣り場は、私の自宅から車で10分ほどの近所ですが、この厳冬期には、運が良いと大型(40cm以上)のへらぶなを釣ることも出来ます。

私の行きつけの釣り場

へらぶなが釣れるかもしれない、というワクワク感に加え、

私は、冬の青空と、冬のキーンと冷えた空気、枯れたススキ等がサワサワと風になびく様子、そして、空の雲や、護岸の桜並木の枝を写す、まるで絵画のような広い水面を眺めることが大好きです。

写真は今日の午後の釣り場の様子ですが、見ているだけで、心が癒されませんか?

結局、へらぶなは釣れたのか?

さて、肝心な釣果のほどはどうかというと、完全に日が沈み、空に星が瞬き始めた18時半頃まで粘ったものの、残念ながらへらぶなは釣れませんでした。

今日釣りを開始した15時からの約3時間半の実釣時間で、アタリはわずか1回のみ。ですが、私はこの唯一のアタリを見逃しませんでした。

体長35cmのマブナ

釣れたのは、体長35cmのマブナと、ターゲットの魚ではありませんでしたが、厳冬期で、ただでさえアタリがなかなかもらえない時期に、1匹でもまずまずの大きさの魚を手にすることが出来たので、満足です。

釣り好きだったあなたも、童心に帰って野のへらぶな釣りを・・・

もしあなたが、子供の頃や若い頃に、川でフナ釣り等を楽しんだ経験があるものの、ここしばらくは仕事や家族サービスばかりで我慢している内に、すっかり忘れてしまっていた。という方なら、

また童心に帰って、野のへらぶな釣りをやってみませんか?

もしかしたら、普段頭の中から離れなかった悩みや心配事が頭をリセットすることで少し軽くなるかもしれませんよ。

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