「つくね小隊、応答せよ、」(47)

周囲を哨戒していたアロが“小屋”を発見したとの報告があった。

「小屋?そうか、見つけてしまったか」

残念そうなマシュー分隊長。アロ一等兵そんな分隊長を見て不思議そうな顔をする。

「え、ですが、日本人を発見するのが任務では?」

「ああ、そうさ。発見して、そしてもしやつらを皆殺しにできなけりゃ、それからは夜襲に怯える日々のおまけ付きだ」

「はい…まあ、確かに…で、ですが」

「まあいい。…聞こう」

「はい。…小屋、というか、その家は変な建物でした。窓は紙で出来ていて、屋根は黒い石のようで、壁や柱はすべて木です。
…軍用施設や先住民たちの家屋でもなさそうです」

「そうか。その家屋の様子は、明らかにニップたちの巣のように思えるな。写真で見たことがある」

「はい、そして、女がひとり、いました」

「先住民か?」

「いえ、それが、日本の服の日本人の女で…そ、その…」

「なんだ?」

「自分に、その手招きして…」

「なに?!貴様、見られたのか?
先に言えばかやろう!それで、のこのこ帰って来やがったのか?つけられてたらどうすんだ?」

マシュー分隊長はアロ一等兵に詰め寄った。

「いや、その、つけられてはいません」

「根拠は??」

「…その、実は、その女も、家も、手招きされてすぐに、その、消えた、からで、あり、ます…」

マシュー分隊長は、アロ一等兵のその言葉に、虚空を見つめて落胆したような顔をして黙り込んだ。そしてしばらくしたあとで、

「…ああ、なるほど…そうか…わかった…なるほどな…ところでアロ一等兵」

マシュー分隊長は、アロ一等兵の肩を優しく撫でる。

「うちの衛生兵はお前にモルヒネを横流しでもしてるのか?
それでお前は幻覚でも見たんだろうか?
一体どうなんだろうか?
考えても見てくれ。
もしそうなら、俺はお前にモルヒネを渡した衛生兵の尻を蹴り飛ばして、イリエワニのいる水辺に突き落とすんだが…どうだろう?さて、どう思う?」

「いえ、分隊長!本当であります!消えたのです…女も…家も…」

アロ一等兵が堂々とそうやって言った。マシュー分隊長は、しばらく彼を睨みつけていたが、やがて諦めたように力なく言った。

「そうか…本当ならこういう時は、4代目大統領の名前は?とか聞いて正気かどうか試すんだろうが、あいにく俺は歴史に疎いんでな、まあいい、今の話は聞かなかったことにしといてやる。下がれ」

「マシュー小隊長…その、四代目大統領は、ジェームス・マディソンでありま」

「聞こえたか?下がれ。こんなくそ暑い島で歴史のクラスなんぞ糞食らえだ」

マシューは、テントの中で寝そべり、煙草に火をつけ、深くその煙を吸い込んだ。

戦場ではさまざまなことが起こる。敵や味方の幽霊の噂など、もはや日常茶飯事だ。そもそもが、異常事態で生活するわけだから、幻覚や幻聴がないという方が、異常なのかもしれない。
狂気と正気の間に、自分の命を守り敵を殺す銃という凶器が重しとなり、どうにかバランスを保っている。
彼のような話はめずらしい話ではない。

マシュー分隊長は、ため息をつき、胸のポケットから一枚の写真を取り出した。
ふくよかなブルネットの髪の女性が、こちらに向けて笑いかけている。
マシュー分隊長はその女性に語りかける。

「もういい加減、疲れちまったぜ…なあ、俺の子豚ちゃん…」
そうしてゆっくりと写真に口づけをして、また深いため息をついた。

翌朝、マシューはコンロで湯を沸かし、Cナレーションのインスタントコーヒーを淹れ、タバコに火をつける。
しばらくすると、アロ一等兵がマシュー分隊長のテントを訪れた。

「分隊長、おはようございます」

「おう、どうした。歴史のクラスの続きがしたいのか?」

「いえ、分隊長。昨夜のことであります」

「ああ。わかってる。自分が狂ってるかどうか気になるから、今日確認しに行きたいってことだろ?」

アロ一等兵は、心のうちを見抜かれて、唖然として答えた。
「あ…は、はい。その通りであります」

「地図ではどのあたりだ?」

マシュー分隊長は、地図をアロ一等兵に手渡す。彼はトランプのダイヤを二つ重ねたような島の左側の、その南側の部分を指差した。
地図には升目が記されていて、縦にアルファベット、横に数字が記されている。縦横を合わせれば、Qの2やRの11というように場所を数字と記号で示せるようになっている。そしてその升目一つ一つに縦横10づつの細かい目盛がさらについているので、「C3のF4」などと言えば、Cの3の升目の中の、さらに細かい場所が伝達できる仕組みになっていた。
アロ一等兵が指差したのは、Fの9のiの2。
ここから南西へ30分ほどの距離だった。
その地域は、海にほど近い場所であり、砲撃を何度も加えていて森が薄い。だから、最初から捜索地域から外されていた。そしてさらに、マシュー分隊が進んでいる東北の方角とは逆方向になる。

「逆方向か。まあいい。安全確認のためだ。向かうとしよう」

「…はい。あ、ありがとうございます。あ、あの、信じていただけるんですか?」

「信じる?何をだ?」

「家や、女が、消えたことです」

「信じるわきゃねえだろ」

「え、じゃ、じゃあなぜ…?」

「火山性のものか、土中の成分によるものかは知らんが、もしかするとなんらかの気体が充満している地域かもしれん。お前がそれを吸ってなにか見たと思い込んだなら、そのガスが蔓延しとる範囲を報告せにゃならんだろう。その調査に行く」

「あ、そ、そうですね。はい、あの、ありがとうございます」

「誰もお前の為に行くなんて言ってねえ。
さ、俺の朝のコーヒーを邪魔するのはやめてくれねえか?そして皆に伝えろ。1時間で出発する」

「承知いたしました!」

アロ一等兵がテントを出て行こうとすると、マシュー分隊長が背を向けながら言った。

「…おい、待て」

「はい、なんでありましょうか」

「俺のじいさんのありがたい昔話を聞かせてやる。楽にしろ」

アロ一等兵は休めの姿勢をとった。

「じいさんは南北戦争で南部のやつらと戦った。
そのじいさんが言ってたよ。
夜、南部の人間たちの遺体がごろごろと転がってる中でテントを張って眠るんだと。
そして真夜中、じいさんが物音で目覚め、外を見てみると、兵隊がたくさん歩いてやがる。
味方が奇襲にでも行くのかと思って目を凝らすと、何百という南部の人間が、歩いてると言うんだ。
南部の人間たちの奇襲だと思って飛び起きるが、様子がおかしい。誰一人武器も持たず、ぼーっとした顔つきでただ、南の方へ歩いている。奇襲なら北に攻めてくりゃいいものを、パブに忘れ物でも取りに行くような足取りなんだとよ。
訳がわからないなりに、じいさんは身を隠し、やつらの動向をじっと見守った。
するとよ、やつらは、野営しているテントや、食料を積んでいる荷車も、ぜえんぶ、“通り抜けた”んだとよ。
不思議な話だろ?
この話を聞いて、俺はじいさんを憎んだ」

「憎む?な、なぜでしょう?」

「10歳かそこらの、ペニスに毛も生えてねえような子供に、夜にする話じゃねえからな」

アロ一等兵は、くすりと笑った。

「いいか。戦場じゃそういうのを見ることは普通だ。敵を殺してりゃ、良心も痛む。幻覚だか真実だか知らんが、見てしまったもんは仕方ねえ。別におかしいことじゃない。みんな少なからず、似たような経験をしてる。
さ、行け」

アロ一等兵は、安堵した顔をして、笑顔で敬礼をして去って行った。

敵を敵として見れるうちはまだいい。
正当性や大義名分があれば、敵を殺した自分を正当化できる。たくさん殺せば英雄だ。
しかし、敵に人間的な部分を見てしまえば、殺すことが急に現実味を帯びてくる。

ニューメキシコの薬局で、熱心に胃薬を見比べてどちらがより祖母の体に優しいのかどうかを吟味するネイティブアメリカンの青年の背中に鉄の弾をぶちこむことと、図書館で意を決して、ずっと気になっていた美しい娘に声をかける日本人の青年の首を、錆びたナイフで掻き切ることと、そして戦場で日本人の頭を、撃ち抜くことの差が、感じられなくなってくる。

そんな自分の心を無視して、殺すことに鈍感になっていけばいくほどに、塵のように心の奥底に、黒いなにかが積もってゆく。
その塵が幻覚を生み、そして心を犯していくのではないか。戦争で何人も殺したマシュー分隊長は、そのように考えている。
マシュー分隊長は、タバコを踏み消し、おもむろにコーヒーを啜った。

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