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仮面夫婦より結婚しない恋愛か

日常ろくにくちもきかない仮面夫婦は2割~3割、コミュニケーションは取っているがセックスレスの夫婦は7割くらい、らしい。

これ単純に足しても言葉でも身体でもコミュニケーションが取れているまともな夫婦ってゼロか天然記念物級ということになるじゃん!?

私は結婚はしていないが彼と身体のコミュニケーションもあるし、言葉でのコミュニケーションも十分にあるので「結婚しない」彼の交際スタイルもなまじまちがえではないのだなあと妙に納得してしまった。

私自身「結婚」というものにこだわってはいるわけではないのだが、「結婚」というキーワードは愛の最上級のような響きもあり、そのキーワードがあればもっと楽なのかなあ、とか付き合いが安定的になるのになあと思うことはあった。

男にとって「結婚を前提に付き合いましょう」という言葉以上の本気度、というものはないのだし、「結婚」という青写真を目標につむぐ関係は非常に安定的で安心なのだろう。と思っていた。

恋人とはいえ相手のこころを覗くことはできない関係で、ひとのこころはつねに揺れながらともにいる関係で、「結婚はない」という前提で関係を紡いでいくにはある種メンタルの強さが必要だ。

愛とは形のないものだから結婚じゃなくても誓いを立てたい。
自分が勝手に立てても相手は立ててないかもしれない。
こころは覗けないから分からない。
その苛立ちのようなものをたまに見せてしまう瞬間があった。

人はこの不安を解消すべく、おとこは両手を挙げ降参スタイルをすべく、「結婚」というキーワードをだし、つむぎ、子を産み、家をかまえ、不確かな愛を確かなものにしようとする。

しかしすればするほどすれ違いの材料は増え、行き違いが増え、肝心の愛は一週間で亡くなるセミのようにはかなく散り、ついには「結婚」という抜け殻だけをいだき生活している。
これが9割!!!!
死ぬ。

これが人間の現在地なのかもしれない。
さまざまな心理学、コーチング、コミュニケーション術があってもこの結果。
分かり合えないのが人なのだ。
結婚と言うことばがないと不安。結婚に向かえば地獄。
では私たちはどこに向かえばいいのか。

「揺れながらともにいる」

この「揺れ」をとめようと必死にもがくがやればやるほど逆効果。

もう、「揺れ」ながらでいいのだ。
と割り切ることだ。

私の人生はすばらしい。あなたの人生もすばらしい。
お互い自分の好きなことを夢中にやろう。

交差するときはするし、すれ違う時はすれちがうかもしれない。
でも今は奇跡的に交差をして手を取り合っている。
これは奇跡的なすばらしい「瞬間」なのだ。

「瞬間」をつむげば「永遠」になるかもしれないし、「瞬間」で終わるのかもしれないし、次の瞬間ほかのひとと交差するのかもしれないし、そんなことは誰にも分からない。

どちらにせよあなたの人生も私の人生もそれぞれの幸せがあり、
まじりあう瞬間があれば天国、なくても上出来。

それくらいの気持ちがいいのかなあ。と思うのでした。


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