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【お風呂で短歌読もうぜ #1】「イマジナシオン」(toron*)、「オールアラウンドユー」(木下龍也)、「渡辺のわたし」(斉藤斎藤)

 ふと思い立って、お風呂で歌集を読んでみた。

 ぬるめのお湯に半身を浸しながら、ぼんやりした湯気と読む短歌は、いつも以上にひとつひとつの歌が沁みてくる。ぶっちゃけ、歌集ってどこでどんな心持ちで読めばいいのかいまいちわからないままだったから、自分にとっての最適解を見つけた気がする。

 ページをめくる音、ふせんを剥がす音、好きな歌のそばに貼りつける音、静かな浴室に響いて、ASMRみたいだと思う。あまりの心地よさにうっかり眠ってしまったこともあった(当然、歌集はタオルに包んで死守した)。

 やっとひとりでゆっくりお風呂に入れるようになったのだ! と感動しながら、うっとり読んだ歌集の感想をちょっとずつまとめていきます。



「イマジナシオン」/toron* (書肆侃侃房、2022)


 Twitter、あるいは「うたの日」で知らない人はいないビッグネームの超話題作、であるがゆえに妙に開き読むのにドキドキした。読み進めていけばさすが、平易な言葉で世界が描き出されて、一首読むごとにほう、と小さなため息が出てしまう。帯に書いてあるとおり、「短歌が魔法だったことを思い出してしまう」ような歌集だった。

たぶん、もう追いつけないな踊り場で見上げるきみがいつも逆光

「仮想上の観覧車」

 「きみ」を「光(ひかり)」にたとえるのは個人的短歌あるあるなんだけど、ただの光じゃなくて「逆光」、しかも「踊り場で見上げる」ほど近しい距離にいるにもかかわらず「もう追いつけない」関係ってのがたまらなさすぎてここでいったん歌集を閉じてため息をついた。まだ始まって2ページ目です。

手のひらの川をなぞれば思い出すきみと溺れたのはこのあたり

「一生分の虹を見ていた」

 同じ連作に「そういえばきみも男か今さらに手のひら合わせ比べてみれば」という歌があるので、合わせた手のひらをひとりで眺めながら思い出したのかと思うと胸が苦しい。いつからか自分にもある大きめの手相の線は確かに川のようで、その川に「きみと溺れた」なんて素敵すぎやしないか。しあわせの割合が少しだけ高い時期の恋歌の連作、全部いい。

ぎんやんまみたいに頬に触れるからしばらくわたしは静かな水面

「転生譚」

 toron*さんの短歌はいつも「みたいに」の使い方が絶妙で、この歌も読んだ瞬間にため息が出ちゃった。好きなひとがそっと自分に触れてくる様子を、「ぎんやんまみたいに」って言えるか?! 虫だよ?! 発想がもうaikoなのよ……甘い匂いに誘われたあたしはカブトムシ以来の驚き。かつ、「わたしは静かな水面」、ぎんやんまの羽ばたきに震えてしまうわけです。ぎんやんまにも水面にもなったことないけど、ダイレクトに心の動きが伝わってくる。大好き。

好きそう、とあなたが買ってきてくれるパンことごとくわんぱくなパン

「書物の灯」

 わかる~~~!!!!!! なんでそんなわんぱくなパン買ってくるの?! わたしそんなに胃腸強そうなの?!?! 食べるけどけっこうたいへん!!!!!! でもきっと「あなた」は悪意なく、純粋にそのわんぱくさとわたしに(きっと無意識に)シンパシーを感じて買ってきてくれるんだよね。自分にもよくある経験なだけに、この短歌はとても心に残った。

三面鏡じっと見つめてそのなかでいちばん強いわたしを選ぶ

「わたしは街の細胞だった」

 だいたい出勤する日はそういう心持ちで行くよな。どのわたしも同じわたしのはずなんだけど、少しでも強い自分を貼り付けて家を出たい。でも、選ばれなかった残りのわたしはどこへ行くんだろうな。

もういないバンドばかりを好きになる星のひかりは昔のひかり

「はやぶさとひかり」

 この短歌、初見はTwitterだったと思う。本当に好きでいいね100個飛ばしたかった。今いるバンドもいつの日か未来の人にそう言われるようになるんだろうなと思うと、切なすぎて本当に涙が出てしまう。でも、バンドそのものはいなくなったとしても、そのバンドが残した音楽はいつまでも星のひかりであり続けるから、それはちょっと救いかなって思ったりもする。

幾億のふせんのように降るさくらさくらあなたの好きになりたい

「群青」

 わ~~~~~~好きしかねえ~~~~~~~~ってなった。「さくらさくら」のフレーズはこれまた短歌でよく見るけど、そこに「幾億のふせんのように」って比喩をつけられると、春に桜をながめたすべての人の記憶も込められているようで、「さくらさくら」の言葉の厚みが増して、とてもシンプルな「あなたの好きになりたい」という想いが際立つ。好き~~~~~~

 他にもたくさん好きな短歌がある。定型をほぼ外すことなく、誰にでもわかる言葉づかいで、かつtoron*さんにしか描けない世界があるのは本当にすごい。めちゃくちゃパワーのある歌集でした。


「オールアラウンドユー」/木下龍也 (ナナロク社、2022)


 装丁がまず美しい。布張りで箔押し、ずっと触っていたくなる表紙。しかも布の色は5種あって、本屋さんで出会えた色を購入するスタイル。ページの角は丸めてあって、1ページに一首。本の説明に「一首一首が、一輪挿しの花のように美しい」とあるけど、まさにそれ。読むのももったいなく思えてしまうような歌集。

またわたしだけが残った、そう言って花瓶は夜の空気を抱いた

 言われてみれば花瓶って、花が枯れたらひとりにならざるを得ない存在だった。夜、ふと枯れている花に気がついて、明日燃えるゴミの日だから捨てたろ、ってなった瞬間、枯れた花の悲しさに気がついてもひとりぼっちになる花瓶の寂しさにはあまり気がついてこなかったかもしれない。この気づきが短歌の気持ちよさや面白さなんだよね。

どんな色でも受け入れるために死はこれまでもこれからも漆黒

 第一歌集「つむじ風、ここにあります」を読んだときも思ったのが、木下さんの短歌にはどことなく暗さがあるということ。その暗さは決して重いものではなく、かといってカジュアルすぎるものではなく、生活の中にある暗さをそっと描き出すような印象。この歌には「死」という直接的な語が使われていながらも、「どんな色でも受け入れる」というポジティブさもあって、重くなりすぎていないのが心に残った。

後ろから抱きしめながらするキスはあなたがくるしそうでうれしい
殺さずに愛せないかと考えているうちに木を燃やし終わる火
鎮火してもらうつもりでくちづけを求めたけれど、けれど、全焼

 ウワアアアアアアアア好き!! 「くるしそうでうれしい」がひらがなに開かれてるところがもうどうしようもなく好き……この三首は連続した三首なんだけど、「くるしそうでうれしい」→「殺さずに愛せないか」→「けれど、全焼」の並びがとんでもなくないですか。手に負えなくなってるじゃないか、感情。こういう「手に負えなくなってる感情」を鮮やかに描き出すような短歌、とても好きなんですなあ。

終わりだけ記念日となる戦争が馬鹿だからまた始まっちまう
人間へ まだ1割の力しか出してないけど? 消費税より
ひとつめの扉を閉じているような祖母の運転免許返納

 戦争も消費税も高齢者の運転免許返納も、現代社会の重要課題。そういうテーマを持つ短歌を社会詠とカテゴライズしたりするけど、メンタルの調子によってはそういうタイプの短歌を読むのがしんどいときもある。でも、これくらいのライトさで読めるのは(そのスタンスの良し悪しは別にしても)とてもありがたいなと思う。消費税、おまえは3分くらいの力に抑えていろよ。

生きなくちゃ 会う約束をしたために暗に生まれる会わない日々を

 直に会うことがこんなにも困難な時代にあって、それでも誰かとした会う約束って、びっくりするくらい尊いものになってるのをいつも感じる。会うために、会わない日々を、元気で生き抜こうと思う。誰かと会う約束をするたびに思い出したい一首になってる。

 連作という形式はとらずに編まれた歌集だから、本当に一首ごとに美しく咲く花みたいだった。手ざわりのいい歌集です。



「渡辺のわたし 新装版」/斉藤斎藤 (港の人、2016)


 Twitterでおすすめされた歌集のひとつ。不思議な読後感のある歌集だった。

「だぁ~れだ?」 あなたの声とぬくもりの知らないひとだったらどうしよう

「ちから、ちから」

 当たり前だと思っていたことが突然崩れるかもしれない予感。日常が実は不安定な何もかもに支えられていることを思い出させる。これ、「だぁ~れだ?」って言った方も恐怖よな。お互いに知らない人だった!ってなる。

あるあくる朝めざめると左手は洋梨をにぎりつぶしたかたち

「第2回歌葉新人賞」

 いつもどおり朝目覚めたとき、自分の手が何かを破壊する形をしていることに気づいたらなんとも言えない。自分の中にある得体の知れない力に気づくとき、わくわくするだろうか。それとも怖れを抱くだろうか。

題名をつけるとすれば無題だが名札をつければ渡辺のわたし

「第2回歌葉新人賞」

 題名と名札、人生にとってより重要なのは題名のはずなんだけど、「わたし」は名札をつけないと他者から認識されない。もしかしたら自分でもそうすることでしか「わたし」を認識できないのかもしれない。名札をつけることで社会性が付与されることの不安定さを感じざるをえない。

お母さん母をやめてもいいよって言えば彼女がなくなりそうで

「父とふたりぐらし」

 これも「お母さん」という名札を外せば社会性を失うかもしれない存在についてだ。これは自分の実感としてあるから、つい付箋を貼ってしまった。この連作は母を喪う連作で、父親も他の人物も登場するけど、みんなどこか
曖昧な存在で、「わたし」との境界がぼんやりとしている印象がある。肉親を喪えば多かれ少なかれそうなるだろうけど、読み手にもそれを体験させるというのはやっぱり技術のなせる業なんだろうなあと思う。

イェーイと言うのでイェーイと言うとあなたそういう人じゃないでしょ、と叱られる

「このなかのどれか」

 うわあつらいシチュエーション……自分の人格に対する評価の差異がこういう状況を発生させるんだろうけど、ただただつらい。いきなりはしごを外された感。後半の破調がどこにも持っていくことができない感情を表してるようでつらさを増幅させてくるね。

 不思議な読後感、については巻末の阿波野巧也さんの解説にその答えがあるように思う。自分の中にはない<わたし>への視点が、わたしに「わたし」を問うてくるような、そういう短歌体験ができる歌集だった。


 今後も続く!

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