正論と感情論

おはようございます。
ペクちんです。

noteにもなれてきましたか?
うーんもう少し頑張ってみます笑

というわけで本日の表題は「正論と感情論」

僕が日々疑問に思ってる事。
少し前にもTwitterでとある方とそういう話になったのでここに詳しく書こうかな?と。

どういうことか?というと、
・物事を考える時、第三者やその他の情報から見て正しいか正しくないか?ということが「正論」

・そんなことは関係なく自分がどう思ったかが大切。が「感情論」

まず大前提として、
僕は正論派です。ソース付きの。
お好み焼きじゃないですよ。

だって恥ずかしくないですか?
証拠やソースもないので「自分がなんかそう思ったから〜」って。
お前は子供か!と思ってしまいます。

あなたの正義もあるし同じ人間は1人も居ないのは分かっているので、「誰々が正しいのは分かるが私はこうしたい」
これはまだ理解出来る。

「私はこう思うからお前はクソだ。世界もクソだ。」みたいに言われると、この人なんか根拠あるんかな?みたいに思ってしまう。

先日も似たようなことがありまして。

その人も僕が捉えている内容としては上記のような内容だったので、「いや、ちょっと違うのでは?」みたいに返信したんですけど(※それは余計なお世話なワケなのでそこは反省してます(^^;;

まぁそれで一悶着ありまして。

いろんな意見あるなーと思ってた矢先に。
先方からすぐに内容に関する謝罪があって、、、
元ツイートも消してて、

いや、ちょっとまてと。

そんなすぐに謝罪するくらいなら最初から言うなよ!と。

言動の責任の話なんですよね。

18歳超えてたら大人だと僕は思っているので、証拠、ソース、自分の対応できる範囲の発言をして欲しいなと思ってしまいました。

議論にならないんですよね。

個人的には
実際にあったこと・証拠・それについて思うこと
のバランスが重要で一つでも欠けている状態だと自分が不利になる。
不利になって嫌な思いをするのは自分。

嫌な思いはしたくないですよね?

ガチガチに固めてから話したほうが筋が通ってたり論理的だったりそっちのほうが相手も納得してくれそうじゃないですか?

そういう話をしたとき大体言われるのが「はいはい。どうせあなたが正しいですよ。」

正しさを突きつけられて自分に誤りがあれば「そうですね。すみません。」で済む話よね?と思う。

自分の否を認めて初めて優しくなれると思う。

感情が無いなんて人は居ないだろうし、感情論があっても良いとは思う。

ただ正論がそこで揺らぐの違うのかな?

それをお互いに噛み砕いて一旦落とし込んで議論するのが大人だと思うし、
優しい人なんだと思う。

さて今日も頑張りましょう。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?