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人はみなピンピンコロリがいいと思う

年末年始に急遽、わたしひとりで実家に帰省することになった。

父が亡くなって以来、
母はお友だちと元旦に宅飲みして過ごすのが恒例になっていたのだけれど、

来年はお友だちが旧友に誘われたとかで
母はひとりで正月を迎えることになり。

JALがセールをやってたので
1月半ばあたりの安いフライトを取って帰省しようかと思い立ち
母に連絡をしたら、先のくだりの返事が返ってきた。

87歳の母ひとりの正月なんて
さすがにほっとけないやん…
(普段はめったに連絡しないくせに)

というわけで、来年の正月は母と水入らずで過ごすことに。
たぶん、そんな機会は人生最初で最後になるだろうな。

母は87歳になる今まで、デイサービスとか介護を一切受けたことがない。

健康で元氣に動けるし、身の回りのこともできるし
年下の友人たちと遊びまわったり旅行に出掛けたり、
週2回はスポーツジムにも通ってるくらいで。

けどそうは言っても

「これからのことも相談したい」

とも書いてきてたし、
元氣とは言えど思うところがあるのでしょう。


わたしね、人はピンピンコロリの最期が理想だと常々思っている。
じぶんも、まわりの人も。

ピンピンコロリってことは
大切な人が急に死ぬわけだから
まわりの人は悲しみや喪失感を味わうことになると思う。

人はこれらを味わう辛さを避けたいから
死をおそれたり、死は悪いことだと思い込んでいるのではないかな。

大切な人を失うことを悲しんではいけないということではなくて。
ただ、いつまでもそこから抜けられないほどの辛さや痛みを伴うのには
心の内側にそうさせる何かを抱えているから。

普段からじぶんの感情に氣付いて感じて過ごすことで
その何かをも手放していくことができるはず。

そうなれば、悲しみや喪失感は風のように抜けていく。


死に様で大切なことを教えるのも愛。
死者を喜んで送り出すのも愛。

そう思っている。

父があまりにも大きな置き土産をしてくれたおかげで
わたしは彼の死に様からそのことを学ばせてもらうことができた。

当時のわたしはそれはもう、父をひどく恨んだものだったけど。
今は心から尊敬している。

それとね、
今は介護する、されるのが当たり前みたいな風潮があるけれど
それも思い込みだとわたしは思っている。

母のようにずっと元氣で楽しく生きることもできる。
そっちが当たり前のほうがよくないかな?


親子関係がよくなかった人が、
介護を通して親への愛を感じられたり
お世話することで親孝行できてよかったという話を聞くけれど。

それはもちろん素晴らしいことだけど
でも、どうせなら親が元氣に動き回れるときに関係をよくして
一緒に旅行するとかご飯を食べに行くとか
そういう楽しい形で親孝行できるほうがいいんじゃないかな、とわたしは思うのだけど。

そして、それすらも
親が、ではなく
子どもであるあなたが、
感情を感じて氣付いていくことで変えていけるの。

あなたの親
という現実を創っているのは、あなただから。

介護問題の本質的な解決方法はここにある、とわたしは思っている。

そしてこれは、今すぐ誰にでも始められることだから。


わたしの母も、
子供たちに迷惑かける事なく幕を閉じる事が出来れば良いと思います」

父が残した自宅を引き払ったときに
こんなメッセージを送ってきてくれた。

(そのときのことを書いた記事はこちら

わたしが年老いたときにも、同じことを思うだろう。
息子の時間は息子自身の人生のために使ってほしいから。


母と二人で過ごすお正月が楽しみ。

ほんの数年前まで母のことを
逆恨みしたり見下したりしていたじぶんが信じられないくらい。

今は母はわたしの自慢でわたしの誇り。

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