無酒

酒は百害でしかない。

偏見だがそれで構わない。
私の人生に酒は必要ない。
酒は私の人生の足を引っ張るので、この世からただちに消えてもらいたいと願っている。
しかし無くならないことはわかっている。
無酒であることが理想だが、それは無理だ。
だから私は嫌酒を貫く。

嫌酒を貫くのはそれほど難しいことではない。
考えれば材料はいくらでも集まる。

たとえばアルコールは精神作用物質に分類される。
摂取すれば判断力が低下する。
知能が低下するといっても過言ではない。

転倒して頭がパックリ割れる。
意識がない状態で糞尿とゲロにまみれる。
他人と喧嘩して流血しながら奇声を発する。
幹線道路のど真ん中で寝る。
痴漢や窃盗、暴力など、枚挙にいとまがない。

ひとつ言える確かなことは、これらの行動は知能が低い人間にみられる行動だ。
つまりは幼い子供や認知症の高齢者、もともとの知能が低い大人(これは先天的なものではなく、単なる馬鹿ということ)と、精神作用物質の摂取者だ。

そしてアルコール摂取者のみ、自ら選択して知能を低下させている。

私の友達の母親はアルコール依存症だった。
私が家に遊びに行くと、最初は優しい笑顔で出迎えてくれる。
しかし友達の部屋で遊んでいると、1時間も経たないうちに怒鳴り声が聞こえてきたものだ。

「出てけ!しょうもない!いつまでおんねん!」

この短いフレーズをひたすら繰り返しながら、自室の壁を殴り続けた。
おそらくは酒を飲みながら。
そしてこれは私がいる間中ずっと続いた。

「殺してやりたい」

実の母親を恨みながら、苦しみ続ける友達の姿が印象的だった。
知能の低下により本人のみ刹那的な快楽を手に入れ、それと引き換えに他人や家族を慢性的に苦しめ、他者の人生を歪ませていく。
酒を飲むという選択をした当人のみが自滅していくならまだしも、負の影響を他に与えてくるのがこいつのやっかいなところなのだ。

精神作用物質はアルコール以外にもある。

覚醒剤
タバコ

これらはアルコールと同様の精神作用物質だ。
自滅しながら他人に害を及ぼす点において、全く一緒だといえる。

精神作用物質は害悪ではあるが、自分が好きでやるのであれば、好きなだけ摂取して構わないと私は思っている。
割を食う他人や家族はもうしようがない。
嫌なら早々に縁を切るしかないだろう。

ただし精神作用物質を人に強要してくるのであれば話は違ってくる。
そしてアルコールだけは、何故かわからない。
何故だかわからないのだが、謎の正当性による強制力で他人を巻き込んでくる。

俺の酒が飲めないのか
飲みニケーション
飲まなくてもいいからおいでよ
人と繋がる大人の嗜好品
酒は百薬の長
酒を飲めない人は人生の半分を損してる

こんな感じの謎の主張、または圧力がまかり通っている。
こんなものはフィクションに過ぎない。これを恥ずかしげもなく堂々と口にしてしまえる。
理解不能だ。
心の底から意味がわからない。

俺のタバコが吸えないのか、(覚醒剤)打ちにケーション、(覚醒剤を)打たなくていいからおいでよ、タバコは百薬の長、覚醒剤を打たない人は人生の半分を損してる。

こんなことを言われた日に、皆さんはどう感じるだろうか。
私は「ああ、馬鹿なんだな」と気分が悪くなる。

酒に関しても同様の意見なのだが、何故か酒の場合はあちら側に謎の正当性と社会性が伴ってくる。
おまけにオシャレ感と大人の社交場的な雰囲気、マナーや他者への礼儀・感謝などというフィクションまでついてくるのだからタチが悪い。
覚醒剤を使用しない、喫煙しないというこちらの価値観が乱されることはないが、酒を飲まないという価値観は否定され、あまつさえ矯正してこようとする。

「なんで打たないの?」「なんで吸わないの?」というふざけた質問はしてこないはずだ。
彼らは彼らでちゃんとわきまえている。
ところが「なんで飲まないの?なんで飲み会にこないの?」という質問はまかり通ってしまう。
彼らはわきまえることをしない。

こちらにしてみれば、「なんで打つの?(吸うの?飲むの?)」という疑問はあるが、前述したとおり個人の好きにすればいいと思っている。
もちろん本人にそんな質問は投げかけもしない。
私は私でわきまえているからだ。

しかしいくつかあるであろう精神作用物質の中で、酒だけはわきまえることをしない。

テレビの影響だろうか。

お疲れ生です!
キンキンに冷えたビール!
泡がうまい!
最初のひとくちめが至高!
仕事帰りに気の合う仲間と!
大人のひととき!

こういうキャッチコピーはすっかり刷り込まれているが、全部フィクションだ。
信じて疑えない人は、上記のキャッチコピーを覚醒剤や煙草に変換してみてほしい。

キメてかまアヘン!
適量なら逆に健康にいい!
カチカチのLSD!
余韻がすごい!
最初の一錠が至高!
仕事帰りに気の合う仲間と!
大人のひととき!

意味不明でしかない。

人の知能を低下させる中毒性物質!
持続可能な健康被害!
ひとときの恍惚と慢性的な破滅!
異性と交尾するための非コミニュケーションツール!
法でさばけないだけの危険ドラッグ!

このあたりが事実ではないだろうか。

なんにせよそろそろやめてほしいところだ。

煙草もかつては我が物顔で君臨していた。
ホームの線路には吸い殻が散乱し、電車の中に灰皿が設置され、オフィス内で喫煙する者もいたという。
俳優のくわえタバコや火の付け方、吸う仕草に憧れて真似でもしたのだろうか。
仕事のパフォーマンスが上がるとでも信じられていたのかもしれない。
当時の人間ではないため詳しいことはしらないが、相当な幅を利かせていたのだろう。

喫煙者の肩身が狭くなったという声も聞こえていたが、今が分相応の立ち位置であることを忘れてはいけない。
酒も同様だ。いずれ淘汰されていくものだとしても、私が生きている間には無理なのだろう。

ちなみに酒とタバコについては共通点がある。
それは毎年3兆円の社会的損失を出していることだ。
酒税は1兆円あるが、社会的損失は4兆円。だから毎年3兆円の赤字というわけだ。

ますますもって、なんの意味があるのだろうか?
いや、意味がある人には意味があるのだろう。
私には意味がない。それだけのことだ。

最も意味がないことは、お互いの価値観をポケモンのように戦わせることだ。

だからこちら側からは否定しない。
だからどうか否定しないでほしい。

私は嫌酒を貫く。
酒をこの世から無くすことはできなくても、自分の半径1m程度であれば意図的に無酒を作り出すことができる。

酒と関わらないと決めた瞬間から、私は将来にわたって数千時間の自由な時間を手に入れたのだ。

酒に使う時間の他に、お金も時間と捉えるのであれば、自由になった時間は1万時間を優に超えるだろう。

仕事から帰宅する。
冷蔵庫の冷えた麦茶をコップに注ぐ。
それをひと息に飲み干す。
「結局麦茶が1番うめえ!」
それを見ている妻が笑ってくれる。

無酒は私に幸せと自由な時間をもたらした。
もし酒に苦しんでいるのなら、まずは嫌酒をオススメする。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?