「酒」を「プリキュア」に置き換えて余裕
私は酒が嫌いだ。
酒は百害あって一利なし。酒は人から時間を奪う悪魔のようなものだ。そういう意味では覚醒剤と同等の代物だと思っている。
社会人ともなると、この悪魔はあちこちに潜んでいることがわかる。そしてある日、突如として目の前に現れる。
しかもこの悪魔がやっかいなことには、天使の微笑みでこちらに近づいてくることだ。
それが「飲み会」だ。
やれ歓送迎会だ、やれ暑気払いだと、飲み会は神聖化された儀式として日本の文化に根付いてしまっている。
この文化では新しくきた人を迎え入れ、去る人を送り出すには飲み会が必要だとされている。
対象は人だけではない。あらゆる行事において飲み会はセッティングされる。
嫌いな者からすればこれはもはや「地雷と同じ」である。見えている地雷を踏みにいくようなものだ。
しかし考えてみてほしい。
酒がなくても新入社員を歓迎する気持ちは持てるし、異動する同僚を送り出す気持ちにも変わりはない。
どうしても飲み物が必要だというのなら、スタバのカフェ・ラッテで事足りるじゃないか。
苦手な人にはオレンジジュースも用意しよう。
暑気払いに必要なのは酒ではない。
そもそも宴会の席の暑苦しさは、暑気払いどころか暑気纏いといってもいい。
どうしても暑気を払いたいのなら、凍らせた蒟蒻ゼリーを口に放り込めば事足りるだろう。
だのに彼奴ら悪魔の手先どもときたら、飲み会を断る私に対して「なんで?」と野暮な返しをしてくる。
その追撃をどうにかスレスレで躱したところで、次なる一手「飲まなくてもいいから」が繰り出される。
隙を生じぬ二段構え。まるで飛天御剣流みたいだ。
そして最後にはこちらが悪魔かのように糾弾されてしまう。
神の御名において命ずる「飲み会」は受け入れられて当然のものであり、これを拒絶する者は背信者というわけだ。
なんとも恐ろしい、このうえない暴力じゃないか。
徹底抗戦といきたいところだが、人にはそれぞれ価値観がある。
「酒は人の時間を奪う悪魔」と感じる私と同様に、「酒は人生に豊かな時間を与えてくれる天使」と感じる人もいるだろう。
ふたつの異なった価値観を戦わせたり、相手の価値観を一方的に傷つけるような真似はしてはいけない。
たとえ相手がそれをしてきたとしてもだ。
だから私は、プリキュアの御名において彼らに語りかけることにする。
「明日の飲み会くるでしょ?」
「行きません」
「え、なんで?」
「私はプリキュアが嫌いです」
「は?」
「アニメ「プリキュア」シリーズの第19作目で、ごはんをモチーフにした「デリシャスパーティ・プリキュア」の劇場版は、お子さまランチのテーマパーク「ドリーミア」を舞台に、キュアプレシャスこと和実ゆいをはじめとするプリキュアたちが困難に立ち向かいます。ボイスキャストは菱川花菜、清水理沙、井口裕香、茅野愛衣などのほか、ゲスト声優として花江夏樹が参加しており、監督は本シリーズで演出などを担当してきた座古明史が務め、この上なく豪華な仕上がりといえるでしょう。「ごはんは笑顔 みんなあつまれ!いただきます!!」をコンセプトに、クッキングダムが 大切に守ってきた全てのお料理の作り方が書かれたレシピボンが、怪盗ブンドル団にぬすまれたからさあ大変。お馴染みのキャラの活躍に加えてオリキャラで新鮮味も損なわせない、子供のアニメながらによくまとまった、素晴らしい作品だとは思います。しかし、それでも私はプリキュアが嫌いなのです」
「いや…」
「おっと、「プリキュアは観ずとも映画館の一体感だけでも共有すればいい」とおっしゃりたいのでしょう。しかしプリキュアが嫌いな私が、どうして皆さんと一体感を共有できましょう。私はプリキュアが嫌いなのですから。誤解のないよう申し上げておきますが、プリキュア好きの皆さんを否定する気持ちはこれっぽっちだってありませんよ。プリキュア好きは映画館に行く。そうでないなら行かない。それだけのことなのです。」
「わ、わかったわかった。それじゃあ」
「あ、待ってください。最後にこれだけ」
「な、なにかな?」
「希望の力と未来の光!華麗に羽ばたく5つの心!Yes!プリキュア5!」
「…」
こうして私は悪魔を退けることに成功した。
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