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第10回市原湖畔美術館子ども絵画展『人間いがいのもの 人間がつくったものいがいのもの』レポート

今日は千葉県市原市にある市原湖畔美術館を訪れました。こちらを訪れるのは「メヒコの衝撃」展以来になります。JR内房線の五井駅では、レトロな雰囲気が趣深い小湊鐵道へ乗り換え。

高滝駅から20分間ほど歩き、美術館へ到着。
今回私が観たかったのは「第10回 市原湖畔美術館子ども絵画展『人間いがいのもの 人間がつくったものいがいのもの』」という展示。

子どもたちの想像・創造が膨らみそうなコンセプト、画一的な用紙や画材を使うのではなく子どもたち1人ひとりの表現を大切にする(先生や保護者には、子どもたちへの説明をしないように伝えていたという)姿勢、そして「選ぶ」ではない形の絵画展といったアプローチに関心を抱き、「これはぜひ行きたい!」と楽しみにしていました。

「今まで選んできた基準は何なのか。私には選ぶ基準がない。選ぶということがピンとこない。」「子どもたちは本当に絵を描きたくて描いているのだろうか。」「子どもたちは絵画展に出したくて出しているのか。」「なぜみんな同じ大きさの紙に描いているのか。」というゲストアーティストである鴻池朋子さんの鋭い問いが心に響きました。

出展された子どもたちの作品はジャンル分けして飾られています。作者の名前が写らない形でなら撮影してプログに掲載しても良いとのことでしたので、いくつかカメラに収めました。

「人や動物のいない世界」〜「人間」と「人間がつくったものいがいのもの」のあいだ〜

順路に沿って進むと、まず「人や動物のいない世界」というジャンルのコーナーに入ります。素材を前にした子どもたちが生き生きと〝対話〟しながら表現を探究した軌跡が伝わってきます。きっと表現の過程において、たくさんの「そうだ!いいこと思いついた!」という呟きが生まれたのだろうなぁ…。こういった感覚や情動は、確かに人間から生まれてはくるものの、能動的に生まれるわけでも受動的に生まれるわけでもなく、中動態的な感覚なのだと改めて感じ、「人間いがいのもの 人間がつくったものいがいのもの」としてのダイナミズムを感じました。

展示されている作品には「タイトル」が付けられていませんでした。だからこそ、鑑賞者である私たちの中に多様な解釈が生まれてきます。作品は人間がつくったものであり、鑑賞者である〝わたし〟は人間です。けれど、「人間がつくったもの」である作品と「人間」である〝わたし〟との間で生まれる情動的なものは、「人間いがいのもの 人間がつくったものいがいのもの」(沸き起こる情動は必ずしも〝わたし〟が意識的に生み出したわけではないため)なのかも知れないなぁと、なんだか不思議な気持ちに浸ることができました。

様々な「太陽」

宇宙のコーナーでは、様々な太陽の絵が飾られていました。「太陽」と聞いて真っ先に描くような形のものだけでなく、その輝きや温度が伝わってきそうな質感の絵もいくつかありました。固定観念が生まれる前の、あるいは固定観念を越えて訴えかける「太陽」像。同じモチーフであっても表現の仕方は無限大なのだと感じたと共に、「太陽はこう描くんだよ」「色はオレンジか、赤か、黄色がいいね」などというオトナの「指導?」を入れるまでもなく子どもたちは全身で太陽を感じているのだと思いました。

「人間がいる!!」

順路を進んでいくと、「…あれ?」と思った瞬間がありました。そうです、「人間」がいたのです。会場にいらっしゃった親子連れの方々も「人間がいる!」と声を上げていました。また、これらの人間たちの絵の数点は、どれも跳び箱を跳んでいる場面だったのです。さらには「とうもろこし」や「調理の先生」と思しき人々が登場する絵も数点ありました。

もし保育園や学校現場で担任している子どもたちがこれらの絵を描いたら、ともすれば「ねぇ、お話聞いてた?『人間いがいのもの』だよ」と「軌道修正」の対象になったり、「お友だちの真似っこしてはいけません」などと叱責されてしまったりするのではないでしょうか。しかし今回の絵画展では「にんげんがいる!!」という鴻池さんと思しきメッセージが添えられ、これらの絵たちも作品としてしっかり大切にされているのです。

これらの作品を観て私は、子どもたちが思わずテーマを越えて表現したくなってしまうほどの前のめりなパッション、あるいは未知の問いに対して緊張しながらも友だちの表現にインスパイアされてだんだんと表現を拡げていった勇気を感じました。コンセプトに向かってアイディアやモチーフ、これまでの経験、その場にあった要素などが混ざり合い生まれるintra-active的な〝動き〟もまた、「人間いがいのもの 人間がつくったものいがいのもの」なのかも知れません。

まとめ〜生々流転のダイナミズムとしての表現〜

場内には「風の語った昔話」という物語とともに、その世界を表した鴻池さんの作品も展示されていました。

様々な世界と出会いなから変化し続けていくダイナミズム。表現するということは直線的・ゴール指向的なものではなく、出会いや発見、気付きなどの中で常に生々流転していく動的なプロセスなのだと感じました。

従来の作品展では、より具象的である作品のほうか「上手い」という評価を受けがちな印象を感じています。けれど、それを越えたダイナミズムを捉える視点の大切さを、子どもたちの作品や鴻池さんの作品から学ぶことができました。

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