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こわれることについて

『さいごのゆうれい』という児童書を読みました。

「かなしみ」という感情が消えてしまった世界で、人々からその死を忘れ去られたゆうれいたちが次々と消えていく中、唯一残っていたゆうれいと、たまたま出会った少年が一緒に時間を過ごす中で、「かなしみ」を取り戻していくお話です。

あらすじ読んで、なんだか重そう、と思ってたけど、豊富なイラストの可愛らしさや登場人物のキャラがコミカルな部分もあって、楽しく読めました。そうは言っても、後半は泣かずにはいられなかったけど、良い本でした。

そんな中で考えたことが「こわれること」についてでした。

「こわれる」というのは、モノとか肉体が機能しなくなるということですが、最近、「こわれることを避けたい」という気持ちが自分の中にずいぶんあったよなあ、と思いました。

現在の疫病の影響もあるけれど、それ以前から、肉体のみならず、人間関係とか、自分のもちものとか、考え方とか、全般に対して「こわれないものを持ちたい」という思いが強くなっていたな、と思ったのです。

シンプルに生きる(=ものや考え方を断捨離して、こわれないルーティーンを確立して、穏やかに生きる)
断食、タスク管理、ゆるがない法則性(占星術)、などなど。

そういうものは、生活を豊かにする余裕を生んでくれると、私は信じているのですが、それが行き過ぎた時に「こわれるものがない(ということになっている)世界」が現れる。という想像をしてこなかったな、とこの本を読んで思いました。正確には、感じてはいても、それを危機感として捉えていなかったというか。

そんな自分に気付いて、かなりゾッとしました。
こわれないものを持ちたければ、こわれるものを持たないことだ、という考え方は、だいぶ「死」に近いのでは?と考えた時に、まったく人間て不思議だなと思いました。

苦しみと喜びは両天秤で、どちらがかけても、なぜか人間は「生」を手に入れられないのだ、という気がします。

過剰に何もかも削ぎ落として「本質」というものを追求するというのは怖いことだな、と肝に命じて、断捨離やら占星術やらやっていこうな、と思ったのでした。

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