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なぜnoteがここまで続いたのか考えてみた。

一番最初の記事から、早いもので1年と半年ちょっとが経った。

この記事を書いた当初、ただの暇つぶしと脳内の整理目的で半年続いたら良い方だなと思っていた。何をやっても三日坊主、ひどいものだと半日坊主な熱しやすく超冷めやすい人間の僕が、1年半強もnoteを継続できたのはびっくりしている。正直不思議でしかなくて、では何がここまで継続させる意欲を掻き立ててくれているのかを改めて考えてみた。

まずは、記事を書くのがたまたま好きだった。これに尽きる。本当にたまたま、考えを文字に起こしアウトプットすることが自分に合っていた。人には向き不向きが当然ながらあるんだが、僕にとってnoteはたまたま向いていた。youtubeやstamd fmなど様々なアウトプットコンテンツに触れてきたが、抜群に自分に合っているのがnoteだった。もし、自分に合っていないと思ったらここまではやれない。苦痛を伴いながらの執筆はクオリティも低い。

そして、毎日更新しようとかそういった強制の十字架を自分に背負わせないこと。これも自分には重要な要素だ。noteを書くのは仕事ではない。趣味の中の1つだと思っているし、これを仕事にしたとして書きたくないものを書くようになるくらいなら、やらない方がマシだと思っている。マイペースに書きたい内容で、自分の言葉で表現して書く。これは続けていく中で段々と培った感覚だ。

さらには、大衆のウケを狙いにいかないことと、綺麗な文章を書こうとしないことも大切だと思う。ウケを狙いにいく文章は、ネタが尽きる。毎日ではなくても3日に1本は継続して世の中に出してきたわけだけれど、たまに世間のウケを狙ったような文章も書いてみたものの、自分の執筆意欲が全く湧き立たないことに気がついた。それなら、下手くそでもいいから自分の考えや意見を書いて出す。継続的に書いて出してを繰り返していくと、コツも掴んでくるしそれなりの構成で書くことができるようにもなってくるから。


noteはある意味、自分の備忘録でもある。あの年齢のこの時期に、こんなことを書いていたなと振り返るためにもやっているところはある。心療内科で日記をつけなさいと先生に言われた時、案の定3日続かなかった。それがnoteで超マイペースな日記として活用したらなんか続いてた。そこに色々な人のアドバイスや応援、縁などのつながりが繋がっていくのも自分の性に合っていたのかもしれない。

マイペースに、無理しない執筆を今後も続けていきます。

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