不便さがコミュニケーションと感動を生む。
現在、フィンランドのバスの移動中にこの記事を執筆しようとしている。
なるべく、フィンランド滞在中はサウナに集中したいと思っていたが、あまりにも得られる情報量が多く、これは自分の中で整理してアウトプットしないと忘れそうで。今は時間があるので、少しだけ書いてみようと思う。
僕らはここ3日間で、延べ20個以上のサウナに入った。その中でもやはり、スモークサウナには感動した。
日本では、その手間の多さや管理の難しさからスモークサウナをやっているとこが少ない、というよりも無いのではないか?
まず、火付けをして石を300度以上まで熱する。その温度に到達するまで、大きいサウナだと半日かかる。
半日薪をくべ続け、ようやくサウナに入れるという手間がかかったサウナなのである。
チンチン(愛知の方言でかなり熱いこと)に熱せられたサウナストーンに、一点集中でゆっくりロウリュをする。すると、じんわり蒸気と共にスモークの匂いがサウナ室全体に周り、すごくリラックスできる環境を生み出してくれる。
サウナの原点ということもあり、極上の体験を得ることが出来る。だが、先ほども言ったように、かなりの手間と労力が必要になるため、いざサービスとして日本で提供しようとなると、現実的なことも含め難しいのだろう。
ただ、この手間と時間という一見不便と捉えられるものが、感動とコミュニケーションを生むのだと認識できた。
不便を解決しようと、人に聞いたり、助けてもらったりしてコミュニケーションが生まれる。そこでたくさんの学びや体験ができる。この価値はプライスレスなものだ。
ただサウナに入るだけではなく、この入るまでの不便な時間が、後の自分の成長に大きくつながっていくんだなと実感。
今の世の中は、便利だ。特に何も努力しなくても、余程のことは上手くいく。ただ、それが当たり前になりすぎて、それまでの過程=不便を味わう瞬間が乏しくなっていて、感動的な体験をすることが少なくなっているとおもった。
サービス提供として、この仕組みを上手く組み込んでいけないかと、これからの自分の取り組みに活かしていきたいと思う。
サポートしてもらえたら、いつか還元できるように頑張ります。