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チベット死者の書

今日は工務店の社長のMさんにヤフーオークションで電動自転車のバッテリーを落札して欲しいと頼まれていたヤツが落札したので、連絡して来てもらい、お金をもらったついでに昼ころに仕事に行くというので、それまで近所の喫茶店にモーニングを食べに行った。その時に、病気の話になり、Mさんは肺がん、肝臓がん、喉頭がんを持っているのだが、抗がん剤の副作用かどうかはわからないが、倒れて、1週間くらい意識がなかったそうである。その時に強烈な幻覚を見たそうで、その時思ったのは臨死体験と「バルド・トゥドル(チベット死者の書)」である。
臨死体験は日本では、NHKが1991年3月17日にNHKスペシャルで「立花隆リポート 臨死体験〜人は死ぬ時 何を見るのか〜」を放送したことと、1994年に立花隆の著作「臨死体験」が出版されたことによりその言葉が広まったと言われる。
一方、海外に目を転じると、欧米では地質学者のアルベルト・ハイムが登山時の事故で自身が臨死体験をしたことをきっかけに行い、1892年に発表し先鞭をつけたが、研究が本格化したのは、1975年に医師のエリザベス・キューブラー=ロスと、医師で心理学者のレイモンド・ムーディが相次いで著書を出版してからである。キューブラー・ロスのそれは1975年に「死ぬ瞬間」で、約200人の臨死患者に聞き取りし、まとめたものである。事例に関する統計や科学的アプローチが行われるようになった。 1982年には、医学博士のマイクル・セイボムも調査結果を出版した。
臨死体験中には体外離脱現象が起こることが知られている。全身麻酔や心拍停止で意識不明となった時に、体験者は気が付くと天井に浮かび上がっており、ベッドに横たわっている身体を見下ろしたり、ドクターの側で手術中の様子を客観的に眺めている自分に気付く。そうした体験は現実世界以上の強烈なリアリティーが伴うため、幻想ではないと語る者も多い。こうした体外離脱中には幻覚的な体験が起こることもあるが、現実世界で起きた出来事を体験者が後に正確に描写できる事例も珍しくない。
また、臨死体験が起こると、まず暗いトンネルの中に浮かんでいる自分に気付き、その次に「光」を見るという体験をする者が多い。体験者の多くはこの光に包み込まれ、保護されているという感覚を抱く。この「光」は恋人や家族から感じるものとは比較にならないほどの愛情を持っているように感じられるため、遭遇後に精神的な変容を遂げる体験者が多い。
さらに、かつての自分の人生の全ての瞬間が強い感情を伴って再体験される。日常では忘れていた過去の全体験がパノラマとなり、瞬時に目の前に再現される。俗に言う「パノラマ体験」である。ムーディ、リング、グレイソンなどの調査では臨死体験者の約25〜30%がライフレビューを経験している。特に事故や溺死による臨死体験ではライフレビューがよく報告されている。
こうした臨死体験は、鎮痛作用と快感作用をもつ脳内麻薬物質であるエンドルフィンの分泌により起こる、という解釈がある。立花隆は臨死体験の数ある要素のうち「幸福感」や「恍惚感」についてのみエンドルフィンが関わるのではないか、と推測している。
次に「バルド・トゥドル」であるが、「バルド・トゥドル」は、チベット仏教ニンマ派の仏典で、パドマサンバヴァが著し弟子が山中に埋めて隠したものを後代にテルトン・カルマ・リンパが発掘した埋蔵教典(テルマ)「サプチュウ・シト・ゴンパ・ランドル」、寂静・憤怒百尊を瞑想することによる自ずからの解脱)に含まれている「バルド・トゥドル・チェンモ」、中有において聴聞することによる解脱)という詞章を指す。
「バルド・トゥドル」は付属の願文をのぞくと、前半と後半の二部から構成されている。さらに前半はふたつの部分にわかれ、全体が三つの部分からなる。これは、バルドの期間全体を、死後直後の「死の瞬間のバルド」(チカエ・バルド)と、はじめの二週間の「存在そのもののバルド」(チョエニ・バルド)、そして最後の五週間に相当する「再生のバルド」(シパ・バルド)の三種のバルドに区切り、それぞれの期間に死者の眼前に展開される光景や、解脱の方法が各部分でとかれるためである。死者はまず非常な畏怖を覚えるまばゆい光に出会う。しかし、これに勇気を持って飛び込めば、真理に融化し、成仏する。そうでないと7日後にまた別の光に直面して、同じ様な状況にたたされる。このようなことが7日毎に、49日まで繰り返される。光への融化がなければ、その後、死者の生前の行為、心に応じて地獄、畜生、人間等、6つの世界のいずれかに生きているものの胎に入って行く。
「バルド・トゥドル」がチベットの精神世界の代表的な文献として広く知られているのは、第一次世界大戦の最中、英国の人類学者エヴァンス・ヴェンツがインド・ダージリンのバザールで偶然この『バルド・トゥドル』を発見して1927年英訳翻訳出版されて以来、東洋の神秘思想を求める人々の一種のバイブルとして受け入れられた。とくにドイツ語版(1935年)に付されたC.G.ユングの「チベットの死者の書の心理学」は、この書で語られるバルドの体験を人間の深層心理にまで結び付け、その後の本書の方向性を決定づけた。死はすべての終わりとする当時の科学観に疑問を感じていた心理学者C.G.ユングは、それを読んで、根本的な洞察を得たという。
そして第二次世界大戦後は、アメリカで勃興したベトナム戦争に反対する若者たちにバイブルとして受け入れられた。特にカウンター・カルチャーの神様とか、サイケデリック体験の伝道師と呼ばれたティモシー・リアリーは、ハーバード大学でLSDをふくめた薬物(サイケデリック)の実験を実践していたのだが、LSDを代表とするサイケデリックによる幻覚体験を「バルド・トゥドル」における宗教的な体験と結び付け、「チベットの死者の書 : サイケデリック・バージョン」を書いた。
現代では、臨死体験の研究やホスピスなどの臨床現場でのあり方、人の死をどうとらえ考えるのかを考察する上で、この死者の書の価値が見直されているといえる。
「バルド・トゥドル」に関する書籍は何冊か持っているので、それらを紹介したい。
「原典訳 チベットの死者の書」は川崎信定によってチベット語の原典から翻訳されたもので、死の瞬間から次の生を得て誕生するまでの間に魂が辿る49日の旅、いわゆる中有(バルドゥ)のありさまを描写して、死者に正しい解説の方向を示す指南の書となっている。チベット仏教では、人が死ぬ時、どんな体験が待っているかをシミュレーションする。死の瞬間から次の生を得て誕生するまでに魂が辿る49日間の旅を描写して、死者の解脱の方向を示すのだ。それは、未知の、しかし誰もが通る旅路をあらかじめ知ることで、恐怖が無くなるという機能があるのかもしれない。
訳者の川崎信定は、千葉県船橋市の真言宗豊山派の寺院に生まれ、1958年東京大学教養学部アメリカ分科を卒業し、同大学院人文科学研究科印度哲学科博士課程中退を経て東大文学部助手、インドのバンダルカル研究所などで学東洋文庫専任研究員、1975年筑波大学助教授、1986年教授、1997年名誉教授、東洋大学教授を歴任し、2006年に退職している。インド哲学・チベット仏教が専攻で、1987年「一切智思想の研究」で東大文学博士号を取得し、1994年「一切智思想の研究」で日本学士院賞を受賞している。
「NHKスペシャル チベット死者の書」は、ヒマラヤ山中の村ラダックで取材したドキュメンタリーを書籍化したものである。死にゆく人々の枕元で「チベット死者の書(バルド・トゥドゥル)」が読み聞かせられる。彼の地では、物質主義の現代社会が失った、生と死の本来の意味がいまだ息づいていた。経典の教えと共に暮らす人々の素朴で力強い生活と、その教えを現代社会の死の現場で生かそうとする取り組みを追ったドキュメンタリーだ。宮崎駿が感銘を受け、宮崎作品にも影響を与え、スタジオジブリが推薦している。
「ゲルク派版 チベット死者の書」は、従来、紹介されていたニンマ派版とは異なる最大宗派のゲルク派の秘伝書である。ヤンチェン・ガロ師の「三身解説(クスム・ナムシャク)」、及び「パンチェン・ラマの死者の書」ともいうべきチューキ・ギェルツェン師の『中有隘路の救度祈願』を題材に、チベット仏教の死生観を巾広く解説している。人生の無常について実践的に考察を深めてから、死・中有・再生の過程を詳しく検証し、輪廻転生の仕組みを明らかにする。
訳者の平岡宏一は大阪の清風中学校・高等学校の校長で、1988年〜1989年にかけてインド南部カルナータカ州バンガロール郊外フンスールにあるギュメ密教大学に留学し、ギュメ管長(位2000-2003)のロプサン・ガワンに師事して秘密集会タントラを修めたチベット密教研究者、チベット語通訳者である。
「現代人のためのチベットの死者の書」は、ユングが座右の書とし、カリフォルニアニューエイジに熱狂的に受け入れられ、また21世紀の生きる指針として根強く人気のある「バルド・トェドル」が成立したチベット文化・仏教の歴史的背景を詳細かつ簡潔にわかりやすく説明。仏教になじみのない欧米人を対象に書かれているために現代日本人にも理解されやすく書かれている。また原典「バルド・トェドル」(自然に解脱する書)の翻訳とそれに関する著者の解説がついているが、仏教に関する初歩的知識をもっていない読者層をも意識した工夫がされていている。
著者のロバート・サーマンは、コロンビア大学教授(チベット仏教学)で、ハーバード大学大学院で哲学を学んだのち、1964年にインドに渡り、ダライ・ラマの側近、ゲシェ・ワンギャルの紹介によりゲルク派で修行、欧米人で初めて得度を受ける。帰国後は、大学での研究に復帰、1972年にインド哲学の博士号取得。チベット語文献の英訳、チベット仏教に関する著書が多数あるほか、チベットの窮状とその文化の維持を広くうったえるために、1987年に俳優のリチャード・ギア(チベット仏教の信者)らと共にNYに「チベットハウス」を設立し、講演や展覧会など、活発に活動を展開。米誌「タイム」の「アメリカで最も影響力のある二十五人」の一人にも選ばれるなど、その活動は世界各国から注目を集めている。また、女優ユマ・サーマンの父親でもある。
「チベット生と死の書」は、チベット古来の智慧と、現代の死や宇宙の本質に関する研究成果を結びつけ、斬新な視点に立って、「バルド・トゥドル」の底流をなす荘厳な生と死のヴィジョンを解き明かす。チベット仏教の真髄から、簡単な、しかし強力な行法を提示。チベット古来の智慧と、現代の宇宙の本質に関する研究成果を元に「生」とは何か、「死」とは何かを、宗教、国籍を問わず、すべての人が受け入れられるよう解説していく。死にゆく近親者を助けるために、自身の死の恐怖から逃れるために、人はどうすればよいか。その方法を、実践可能な形で提案し、死に対するネガティブなイメージを変えていく。死に怯える現代人の魂を救済し、死に新たな意味を見出す。
著者のソギャル・リンポチェは、20世紀に最も尊敬を集めた精神的指導者のひとり、ジャムヤン・キェンツェ・チュキ・ロドゥに育てられ、中国によるチベット占領で、師と共に国外に逃れるが、1959年の師の死去後、デリー大学、ケンブリッジ大学で比較宗教学を学び、数人の指導的立場のチベット僧の通訳および補佐役を務める。また、ベルナルド・ベルトルッチが監督し、1993年に公開された映画「リトル・ブッダ」にアメリカ在住の教師役で出演している。
「チベットの死者の書―サイケデリック・バージョン」は、意識の宗教的また神秘的状態を時に誘導する幻覚剤の力と共に、LSD 、シロシビン、メスカリンといったこれらの薬物の治療可能性を調査する研究を行っていた、ティモシー・リアリー、ラルフ・メツナー、リチャード・アルパートによる幻覚剤の使い方に関する著書である。幻覚剤の影響下で一般的な体験である自我の喪失(英語版)あるいは脱個人化の比喩としての、そこで現れる死と再生の過程に死者の書を用いることを論じた。サイケデリック体験中の、自我喪失体験に適切に対処するための案内となるものである。
DJのデヴィッド・マンキューソも、1960年代中盤「サイケデリックな連中」が出入りしていたニューヨークのイースト・ヴィレッジにあるクラブに出入りし、10回ほどLSDを体験した時には「サイケデリック・バージョン」に出会い、リアリーに傾倒するようになった。幻覚剤の使い方についてのより一般的な助言や、また幻覚剤を一緒に摂取するグループにて読み上げることが目的の文章の選集も含まれる。オルダス・ハクスリーに敬愛と感謝が捧げられており、ハクスリーの著書「知覚の扉」が冒頭で短く引用されている。デヴィッド・マンキューソはウェスト・ヴィレッジにあるリアリーの霊的発見同盟の本部を訪ね、そのパーティーの常連客となり、自身も踊ることを目的としない選曲にてパーティーを開催するようになった。後に踊るための選曲をするようになっても、「サイケデリック・バージョン」に基づき、一晩中体力を維持できるように、穏やかな最初のバルド、サーカスのような第二のバルド、元の世界にスムーズに戻るための第三のバルドを意識した。

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