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大阪生まれ大阪育ちなんですが、中学は奈良、高校は北海道の函館、大学は東京、職場は神奈川…

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大阪生まれ大阪育ちなんですが、中学は奈良、高校は北海道の函館、大学は東京、職場は神奈川で、病気になって会社を辞めて、3ヶ月ほどインドのダラムサラと言う町でボランティアで地元のチベット人にCAD教えたあと、大阪に帰ってきました。

マガジン

  • 2021年雑記

    2021年の覚え書き

  • 2020年雑記

    2020年に読んだ本や聴いたCD、観たDVDなど

  • 2019年雑記

    2019年に読んだ本や聴いたCD、観たDVDなど

  • 2014年雑記

    2014年の出来事の思い出です

  • チベット旅行記

    1998年の夏に生まれて初めての海外旅行でチベットに行った時の旅行記です。

最近の記事

アール・ブリュ

私が初めてアール・ブリュのことを知ったのは、ペヨトル工房が出していた「銀星倶楽部06 特集 ノイズ」の中のSPKのグレアム・レベルのインタヴューでだった。そこでアール・ブリュのこと、SPKの曲のタイトルにもなってるアール・ブリュ作家ロバート・ギーのこと、そのロバート・ギーと「アンチ・オイディプス」の関係について語っていた。 アール・ブリュはフランスの精神病院の患者、あるいは、完全な蒙昧の中で強迫観念によってアート作品を作りながら生きているのを発見された人々によって描かれた絵画

    • 名前のない女たち

      1時間ほど前から「東京貧困女子。彼女たちはなぜ躓いたのか」などで貧困、介護、風俗、超高齢社会をテーマとしているフリーライターの中村淳彦がAV専門誌「オレンジ通信」(東京三世社刊)で約9年にわたり連載された、500人以上の企画AV女優とのインタビュー集をまとめたノンフィクション書籍「名前のない女たち 企画AV女優20人の人生」を読んでいるのだが、初っ端の結城杏奈のライフストーリーが衝撃過ぎて、私も何か語らなければという使命感みたいなものに突き動かされている。登場する企画女優は結

      • 中学時代の昼休み

        中学時代、昼休みに音楽室に行って好きな音楽を聴くことが一次期、流行ったことがある。たいていはレコードをカセットテープにダビングして持っていくのであるが、その中でも思い出に残っている音楽を紹介したい。 まずは、MFSB の「K-Jee」とTrammpsの「Disco Inferno」。 小学生のころ、ちょうど1977年。私と姉は観に行く映画で戦っていた。私は同時期に公開された「スターウォーズ」の第1作目を見に行きたかったのだが、姉は「サタデー・ナイト・フィーバー」を観に行くと

        • 猥褻とは

          「現代語 古事記」の著者である、明治天皇の玄孫が自慢の竹田恒泰によると、冒頭で、「古事記を読むことは、天皇の由来を知ることであり、それはすなわち、日本とは何か、そして日本人とは何かを知ることである。」と述べているが、では、その天皇や日本が何なのか、「ある視点」を中心に古事記を読んでいきたい。「ある視点」とは、すなわち「エロ」である。 まず第1に、日本神話はセックスから始まる。しかも、かなり露骨な表現で、古事記が「現存する世界最古のエロ本」と言われる所以である。そんな古事記のエ

        アール・ブリュ

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          44本
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        • チベット旅行記
          27本
        • インド旅行記
          55本

        記事

          ハウスミュージックのエロティシズム

          ハウスミュージックを言い表すと、エロい、という言葉よりもふさわしいのはなまめかしくて、みだら、官能的という言葉だろうか。ずっしりと重いドラムとベースが地面にねばっこくからみつく。ダブやヒップホップよりも、さらに重いドラムとベースがとにかく低く、低く沈み込み、低音域をがっちりと固める2つの音の響きが特徴的で、サイケデリックの香りをまとい、古いソウルやファンク、ブルースのテイストが練り込まれた女性シンガーのヴォイス・サンプルやシンセサイザー、ギターなどの楽器の音がねっとりとなまめ

          ハウスミュージックのエロティシズム

          アフロビート

          90年代半ば、私は友人のKとジョー・クラウゼルのプレイで踊り明かすために西麻布のYELLOWに行っていた。ちょうど3時過ぎのピークの時間に、それまでのディープハウスやガラージを毛色の違うピッチ(BBM)が速い曲がプレイされた。私は初耳だったが、Kは知っていて、黒人開放の曲だという。それが私とフェラ・クティ及びアフィロビートの出会いである。曲中に、何度も「Zombie」と歌われていたのを思えていた私は、後日、渋谷の「ダンス・ミュージック・レコード」に行って、ガラージ・クラシック

          アフロビート

          関西ハードコア

          関西NO WAVEの中心的人物が関西アンダーグラウンド・シーンの重鎮、故・林直人で、当時、「アウトサイダー」というミニコミを発行・発信しており、その拠点が、大阪阿倍野にあったボロボロのジャズ(ロック)喫茶「マントヒヒ」だった。「マントヒヒ」は決してライブハウスと呼べるものではなく、ジャズ喫茶という名目で営業していて、天王寺とあいりん地区の間くらいにあった店で、防音なのか壁に発砲スチロールみたいなんがむき出しで、ようあんなところでバンドを演奏させていた。憂歌団とか阿部薫なんかが

          関西ハードコア

          関西NO WAVE

          1970年代後半の東京ロッカーズに対して関西NO WAVEというムーヴメントがあった。関西NO WAVEとは今では1980年前後の関西パンク/ニューウェーブ創成期に活動したバンドを総称した言葉として使用されているが、元々は1979年3月に神戸のアーント・サリー(PHEW、BIKKE在籍)、大阪のINU(町田町蔵、林直人在籍)、京都のウルトラビデ〔BIDE(現ヒデ)、JOJO広重在籍〕とSS(しのやん在籍)が行った東京ツアーのパッケージ・タイトルである。この企画の名称「関西NO

          関西NO WAVE

          少年ナイフとザ・ポップ・グループ

          先日、ブックオフオンラインで注文していた少年ナイフの「GREATEST HISTORY(1995年)」と「Rock Animals(1993年)」、ザ・ポップ・グループの「For How Much Longer Do We Tolerate Mass Murder?(1980年)」が届いたので、聴いているところである。 少年ナイフは、1981年に結成された日本のガールズバンドで、バズコックスやラモーンズ、キンクス、ビートルズといった洋楽の影響をストレートに受けつつ、中高生レベ

          少年ナイフとザ・ポップ・グループ

          生駒山

          前回、大峯奥駈道について書いたが、その続きとして、その地を修験道の修行場として開いた役行者(役小角)と、彼と関係の深い生駒山について語りたい。 ちなみに、生駒山は大阪人にとっては最も身近な山であり、大阪の東にあり、朝日は必ず生駒山から上る。幼かった頃はよく山上にある1929年(昭和4年)開園の生駒山上遊園地に遊びに行ったし、奈良県側の山腹の現世信仰で知られる宝山寺は初詣のお寺としてよくお参りした。宝山寺については後に詳しく語ることにする。ちなみに、大阪人は宝山寺とは呼ばず、「

          生駒山

          大峯奥駈道

          今から10年以上前の話になるが、夏、8月の某日に大峯奥駈道縦走にチャレンジしたことがある。 大峯奥駈道は、修験道の根本道場である金峯山寺などがある奈良吉野山と熊野三山(ゴールは熊野本宮大社)を結ぶ、もとは修験道の修行場として開かれた道であり、熊野古道の中で最も険阻なルートをなす。修験道の開祖とされる役行者が飛鳥時代に開いたとされる。今日、一般的に大峰山(大峯山)といえば山上ヶ岳を指すが、大峯奥駈道でいう「大峯」とは、吉野から山上ヶ岳を経てさらに奥の山々、そして最終的には熊野三

          大峯奥駈道

          家田荘子

          ここ数日、家田荘子の著作を立て続きに何冊か読んだ。家田荘子といえば「極道の妻たち」が有名なのだが、映画は何本か観たものの、原作は読んでいない。 まず、最初に読んだのは、「私を抱いてそしてキスして エイズ患者と過した一年の壮絶記録」である。 エイズ患者の実態を知ろうと、周囲の反対を押し切って、アメリカでホーム・ナース・ボランティアの資格を取得した著者は、やがて一人の黒人女性患者と生活を共にすることになる。自らの内に潜む病への嫌悪感を乗り越え、患者たちと自然に接することが出来るよ

          家田荘子

          イタロハウス

          さて、イタロハウスである。 イタロハウスは、ハウスとイタリアで生まれ、主に1980年代に制作された音楽ジャンルで、当時のアンダーグラウンドなダンスミュージックやポップミュージック、電子音楽、国内や海外の音楽(アメリカのHi-NRG、フランスのユーロ・ディスコ)から進化し、多様なジャンルへと発展した主に電子ドラム、ドラムマシン、シンセサイザー、時にはヴォコーダーなどを使用し、通常英語で歌われ、イタリア語とスペイン語ではあまり歌われないイタロ・ディスコを組み合わせた、イタリア、イ

          イタロハウス

          アシッドハウス

          続いてアシッドハウスである。 元々の発生は、1987年、シカゴでDJ ピエールが「Acid Trax」を製作した時、古いアナログシンセサイザー「ローランド・TB-303」のツマミをランダムに動かすことによって偶然生み出されたサウンドが、あたかもアシッドすなわちLSDの幻覚作用を思わせる幻想的なサウンドであったために、この名前がついたといわれている。ローランド・TB-303を用いた曲は、古くはアレクサンダー・ロボトニクの「Problems D'Amour」があるが。そのフィルタ

          アシッドハウス

          デトロイトテクノ

          シカゴハウスに続いてデトロイトテクノについて語りたい。 デトロイトテクノは、アメリカのミシガン州デトロイトから発信されるテクノ、またはデトロイト出身のアーティストに共通してみられる特徴を多く含んだテクノの楽曲をさす。主に「16ビートのシーケンス」「アナログシンセサイザーとドラムマシン、及びそれらのサウンドをエミュレートしたデジタル・シンセサイザーの多用」「ストリングス・パッド系音色の多用」「ノンヴォーカル」などの特徴がある。派生元のシカゴハウスと比較して、シリアスな雰囲気で複

          デトロイトテクノ

          シカゴ・シーン

          今回はシカゴ・シーンについて語りたい。 1955年、NYのブロンクスで生まれたフランキー・ナックルズは、ファッション専攻の学生だった10代の頃から当時の友人であったラリー・レヴァンと共に、「The Sanctuary」、「The Loft」、「The Gallary」、「Continental Baths」といったディスコクラブへ頻繁に通い始めた。やがて、二人はDJとしての活動をスタートさせ、73年にラリー・レヴァンが「Continental Baths」のメインDJを務める

          シカゴ・シーン