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パンコル・チョルテン(ギャンツェ・クンブム)

ラサからランドクルーザーをぶっ飛ばして8時間。ようやくギャンツェに辿りついた我々3人はひとまずホテルで休憩しようということになって、チェックインすることにした。泊ったホテルはギャンツェの南端に位置する高級ホテル、ギャンツェ(江孜)飯店だ。ホテルは他にも江孜服装招待所や江孜県政府賓館といった安宿もあるのだが、中国の大手旅行会社を通じて正規のチベット旅行を手配した場合、一人旅でも一応ツアーの形を取らされるので、外国人向けのギャンツェ(江孜)飯店に宿泊させられる。エントランスを入るとトップライトのある明るいロビーが広がっていて、高級感が漂っていた。しかし、どういうわけか我々のほかには宿泊者の姿が見えない。建物は綺麗だが、人気の無いがらんとしたホテルの中をうろうろすると、気分はなんだか廃墟になった幽霊ホテルに泊るような気がしてならない。通された部屋は3階にある。ボーイに案内されて階段を上がろうとすると足が異常に重たかった。一歩一歩足を踏み出そうとするのだが思うように上がらない。息遣いもいつしか荒くなってきた。標高3660mのラサで3日間高度順化したものの、ギャンツェは町自体が4040mある。富士山頂よりも264m高い。例えて言えば富士山頂に新宿の東京都庁舎を建てて、その屋上にいるとでも言えばいいだろうか・・・
ゼーゼー言いながら部屋に着くとベッドにゴロンと横になった。窓からはギャンツェ近郊の山並が広がっているのが見える。おそらく5000m級の山々であろうが、チベットで5000mの山など小山に過ぎない。名前などはもちろんついていない(聖山を除く)。部屋に入ってまず確認しなければならないのは、トイレの水がちゃんと流れるかだ。ラサのホテルのトイレはチョロチョロとしか流れなかったので、「大」をした後は風呂の水を溜めてトイレにザバッと流し込んで処理をした。ラサでさえそうである。ましてやギャンツェでは・・・と思っていたところ、予想外にいきよいよく流れた。なんだか嬉しくなって、驚きと喜びとでしばしトイレでくつろいだものである。
4時半にガイドと待ち合わせをして、この日のハイライト、パンコル・チューデ(白居寺)にお参りをする。パンコル・チューデは1418年ラプテン・クンサン・パクパによって創建された特定の宗派に属さない僧院で、各派共同の総合仏教センターとして発展してきたが、現在はゲルク派とサキャ派が中心なって共同管理している。ホテルから市街(といっても1kmほどのメインストリートの両側に商店などが並んでいるだけだが・・・)を通り抜け、突き当たったところに正門がある。正門前では一人の少女が赤ん坊を抱いて、巡礼者からの喜捨を求めていた。正門を入って事務所のようなところで大集会堂とチベット最大の仏塔パンコル・チョルテン(ギャンツェ・クンブム)の見学と、あわせて40元の入場料を払うと、まずは大集会堂へ向う。
入り口にはチベットの僧院に共通している六道(地獄道、餓鬼道、畜生道、修羅道、人間道、天道)輪廻の曼荼羅が描かれている。堂内に入るとバターランプ独特の臭いの充満する空間で20人くらいの僧侶達が読経をしている最中だった。がらんとしている堂内に地響きのような読経の声が木霊している。奥に行くと本尊の三世仏(過去、現在、未来の三仏)を祀っている部屋があった。それほど大きな部屋では無く、高さおよそ8mくらいの仏像が部屋を取り囲むようにして安置されている。荘厳な雰囲気の部屋の中にしばらく佇んでいると、背後からの読経の声と共に遥か仏教世界にトリップしていくような気がして、頭がボーッとなってきた。ここで2時間くらい瞑想でもしてみたら、もしかしたらLSDなど遠く及ばない超越体験が出きるだろうと思わせる。
大集会堂に続いて、次はいよいよパンコル・チョルテン(ギャンツェ・クンブム)である。高さは約33m。「クンブム」は「10万」の意味で、8階建ての建物は仏塔建築史上の最高傑作とされている。塔の内部には、諸尊像や壁画で飾られた79の部屋があり、右回りに螺旋状に上へと上がっていく。私がラサからランドクルーザーをチャーターし、高いオプション料金(相手はボッタクリCITSだ)を支払い、わざわざギャンツェまで来た理由はこれを見るためである。しかし閉門時間が迫っていた。ゆっくり見て回るには1日2日くらいはこのギャンツェに滞在しないといけないが、しがないサラリーマンの夏休みではチベット滞在には限界がある。ましてやラサ以外の地方都市(そのほとんどは外国人未開放)に行くことは初めからかなりの無理があった。それでも、建築の設計を生業としていた当時の私は、ラサのポタラ宮と共にこのパンコル・チョルテンだけは是非とも見ておきたかったのである。わずか30分程度の仏塔の見学に片道8時間である。
塔の入り口では3人の僧侶と寺小僧が日本人女性に塔内部の写真を見せながら何やら説明をしていた。その僧侶の一人と立ち話をしたガイドは僧侶の話を聞くと、急に親の死亡でも聞かされたかのような表情で「信じられない!!!」といった顔をした。理由を聞いてみると、その僧侶はなんと北京からこのギャンツェのパンコル・チューデに留学に来ているギャミ(中国人=漢民族)だという。北京や上海のような都会に憧れているこのガイドはいつも自分がチベットに来ていることを窓際に追いやられた定年前(年はずっと若かったが)のサラリーマンのように嘆いているふしが見うけられていたものである。いつかは中国沿岸部の都会に行ってキャリアウーマンになりたいと思っていたのだろう。そんな人間に、憧れの北京からわざわざこのチベットのド田舎に留学に来ているということは、想像も出来ない事実なのかも知れない。かなり混乱していたようだった。
チケットを見せて持っていたカメラを預けると、一部屋一部屋を見て回る。しかし、すべてを見るのは不可能だ。東北大学の奥山直司氏によれば、1階から4階までの基壇は合計68の小部屋からなり、その上に覆鉢、平頭、相輪と呼ばれる構造物が乗り、最上階に本尊・持金剛が鎮座する。各階の各小部屋の仏像・神々は、入り口の釈迦像に始まって、順に、ゲルク派の分類になるが、所作タントラ、行タントラ、瑜伽タントラ(以上、生起次第=キェーリム)、無上瑜伽タントラ(究竟次第=ゾクリム)の密教タントラの発生から発展形、到達点に至る、各曼荼羅の歴史をふまえて配置され、密教史の一大絵巻をあますことなく展開しているとのことである。そして巡礼者は、頂上に辿りつくまでに、仏教宇宙を体感し、数々の聖典の功徳を得て、成仏への階段を登っていく仕掛けになっている。チベット密教美術のパンテオンである。

1階の釈迦像を見て、狭い階段を登ると2階の回廊に出る。回廊に沿っていくつもの部屋があるのだが、全部は見ている余裕は無い。適当に部屋を選んで見て回る。部屋の内部は暗く、わずかに燈された灯明だけが壁画や仏像をみる手がかりとなった。描かれている壁画や安置されている仏像は様々だが、上階に行くにしたがって、後期密教の無上瑜伽タントラ色が濃くなり、密教特有の本尊が神妃を抱いている父母仏(ヤブユム)が見られるようになる。ちなみに、究竟次第における「秘密灌頂」では、究竟次第の実修を得ようとする修行僧が、師僧に性的瑜伽(ヨーガ)タントラ行のパートナーとしての女性を献上する。師僧はこの女性と交わる観想を行うことで、通常の男女が性交時に感じるように、チャンダリー(臍のチャクラ)がヴァイブレートされて熱を発する。これを「チャンダリーの火」と呼ぶ。神妃と交わり神々を生起させる忿怒尊と化すことで、体内を巡る風(ルン)をコントロールし、「チャンダリーの火」を通常の性交では得られないくらい大きく活性化させ、空性観に基づく、とらわれのない大きな快感を呼び起こす。この観想が完成することで得られる境涯が「伹生の大楽」である。しかし、ここで実際の女性が献じられることはまずありえない。また、この「秘密灌頂」は性的要素が濃いため、厳格に秘密裏に行なわれる。
1階から2階、2階から3階へと、順に巡ってきたのだが、その足取りは極めて重たかった。疲れている上に、標高4040mからさらに上へと登っていくのである。ホテルでもそうだったが、ここでも1階登ることに息が切れ、深呼吸しなければとても上には上がれない。時計を見ると、そろそろ閉門時間が迫っていた。3階の途中で、残念ながら引き返すことにした。ちゃんと見た部屋は10に満たない。全体の1/9である。
パンコル・チューデの正門を出ると、入った時にそこにいた少女がまだ赤ん坊を抱いて立っていた。ポケットをさぐって小銭を探してみると、ちょうど2元あったので、少女に握らせた。恵んでやったという気持ちは全く無かった。こちらは「これでもか?」というくらいの壮大な仏教世界に浸ってきた身である。おそらく巡礼者からのわずかな喜捨だけで生計を立てているのであろうこの少女の上に、この世の無常と空性を教えてくれる仏の姿が重なった。

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