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シガツェへ

1998年8月27日午前7時。昨日の夜はビールを2本飲んで酔っ払って早めに眠った(ビール2本でワインボトル1本くらいはまわってしまう。なにせ標高4040mだ)せいで早く起きた。洗顔と歯磨きを終えるとホテルの食堂に行く。朝早いためか、まだ準備中のような雰囲気があったが、食事は出来るという。普段なら朝食をとらない私だが、なぜか旅先では朝ご飯を食べてしまう。不思議な生理現象。これは何も海外に限ってのことではなく、国内旅行の際にもそうなのだから人間の身体はいったいどうなっているのかわからない。お粥とおかずを3,4品選んでテーブルについてゆっくり食べていると、突然電気が消えた。停電だ。チベットの電力事情は頼りないとは聞いていたが、ラサのホテルに滞在していた時は停電はなかった。ラサの電力は、畏れ多いことにあの聖なる湖、ヤムドゥク湖に中国が造った水力発電所のほか、遠く温泉のあるヤンパーチェンの地熱を使って作った電力をラサにまで運んでいるのだが、ここギャンツェではどこで発電しているのだろうか?停電はいつものことなのか、従業員達はびくともしなかった。薄暗闇の中、淡々と食事の仕度を行なっている。午前7時と言っても、それはあくまでも北京時間であって、ここチベットでは午前5時ごろだろう。時差がある。外はまだ暗い。
薄暗い食堂で食後のコーヒーを飲んでいると、ガイドが食堂に入って来た。
「よかったら一緒に食べませんか?」
珍しくこちらから誘ってみると、ガイドは素直にそれに応じ、同じテーブルについた。お互いじっくり顔を向かい合わせたのはこれが初めてだ。目つきは中国人らしいきつさはあるものの、まだ若干幼さが見えた。年齢は最後まで聞かなかったが20代前半だろう。
「いつもはね、朝ご飯は食べないんですよ。コーヒーだけでね。」
「そうなんですか?今日は珍しいですね。」
「会社に行く前にコンビニによってコーヒーを買って、会社で仕事前に飲むんです。日本のコンビニエンスストアーって知っていますか?」
「はい。聞いたことがあります。」
大学で日本語を専攻しただけあって彼女は日本に興味があるらしい。そう言えばポタラ宮を訪れた際、「日本語ジャーナル」なる語学雑誌を抱えていて、ポタラの僧侶にしきりと奨めていた。これからチベットにも日本人観光客が大勢押しよせた時のための準備なのだろうか?ただ、彼女の関心は東京などの都会に限ってのことかも知れないが・・・
「さっき、停電がありましたよね。」
「そうなんですよ、私が顔を洗っていたらいきなり電気が消えて、びっくりして思わずカップを落として割ってしまいました。弁償しなくてはなりません。」
ガイドとプライベートな会話(?)をしたのはチベット滞在中、この一回に限ってである。ガイドはあくまでもガイド兼監視役の服務に忠実であった。それでもやはり人間である。たまには素顔を見せることがある。この時は地元のチベット人だけでなく、中国人も滅多に泊ることが出来ない外国人向け高級ホテル(といってもツアーでギャンツェに来た外国人はみなここに泊らされるのだが)、ギャンツェ(江孜)飯店に自分も泊れたのである。嬉しかったに違いない。(宿泊料は私が払った)。しばしの間、自分の任務を離れて素顔を見せてしまったのかもしれない。このことが後にちょっとしたオマケが付く要因となる。
食事を終えて部屋に戻り、荷物をまとめてロビーに出ると、ガイドとドライバーがすでに待っていた。ギャンツェ出発は午前8時の予定。8時といってもまだ外は薄暗い。もうすぐ日の出の時間にあたる。チェックアウトの時、ガイドは割ってしまったカップの料金を払っていた。いくらだった?と聞くと100元したらしい。彼女の1日分の給料が吹っ飛んだ計算になる。ガイドは無念!といった表情でしきりと悔しがっていた。
車に乗ってホテルを出るとき、ホテルの従業員達が見送ってくれた。昨日、チェックインの時5元のチップを渡したチベット人のボーイはニコニコしながら手を振っている。
ギャンツェの町から少し離れたところで車窓を眺めると、ギャンツェの朝焼けが見えた。太陽はやっと山の陰から顔を覗かせたところで曇り空が銀色に輝いている。うっすら靄がかかったなか、小高い丘の上にギャンツェ・ゾンがひっそりと佇んでいる。そのあまりの神秘的な美しさに見ほれてしまい、思わず叫んだ。
「ちょっと車を停めてください。」
生まれて30年生きてきた中で、その光景はおそらくベスト3には入るだろう。10分ほど眺めて、カメラに収め、ギャンツェを離れる名残惜しさを感じたものである。
ラサに戻る道は昨日通ってきた道を逆戻りする。ギャンツェに近づくころはすでに疲れきっていてしまって、周囲の景色をゆっくり眺める余裕はなかったので、改めて眺めてみる。チベットではなんの変哲もない山々なのだが、そこに朝日があたると、一つ一つの山が神々しく崇高に輝き、そのすべてが絵になった。写真を撮りまくりたかったのだが、そんなことはなんだかあまりにも世俗的すぎる。神々を目の前にすると、それをこの目だけに焼けつけておくことがふさわしいような気がした。僧院内部の仏像や壁画もそうだが、高額な撮影料さえ払えば写真は写せるのだが、それはどうも不遜な態度のように思えた。ただ、頭の中のハードディスクにセーブさえすれば、それはいつでも瞼の裏に映し出せる。現にここで6年前の旅行の思い出を文章化しているわけだが、まるでたった1週間前にみた風景や映像のようにその様子がありありと浮かび上がってきたのだから・・・
ギャンツェからの道はしばらく並木が続くやや広い道だった。しかし、来る時と同様にあちこちで道路は冠水していて、その度にスピードを緩め、恐る恐る水の中を進んでいく。もうそんなことには慣れてしまっていたが、途中1ヶ所、かなり深い水溜りがあった。水溜りの先には泥が山と積まれている。これではどうしようもない。ドライバーは水溜りを抜け、泥山にわずかについた轍に沿ってタイヤをあわせ、強引に進もうとするのだが、タイヤは空回りするばかりだった。いくら4WDのランドクルーザーでもエンジン音を轟かせるだけで、ちょっとも先に進む気配はない。村人も10人ばかり出てきてあれやこれやと話し合っていて、その中の数人がシャベルを持ってきて山を崩してくれたのだが、作業はなかなか進まない。そのうちドライバーも気が焦ったのかトランクからシャベルを取り出してきてその作業に加わった。水溜りの水を掻き出し、泥山を突き崩すこと20分。ようやくなんとか通れそうな状態になったのでドライバーは車に戻り、気合を入れた。ドライバーの腕の見せ所である。昨日の橋が落ちていたところを通った時もそうだがこいつはなかなかやってくれた。辺りに泥水をぶちまけながら車はそこを通過すると、見ていた村人も心なしか安堵の表情をしている。車がここを通過するたびにこの作業をするのだろうか?4WDのランドクルーザーだったからまだよかったものの、普通のバス(シガツェ~ギャンツェ間は数本のミニバスが運行されている)やトラックなどはおそらく立往生するに違いない。西チベット、カイラス&マナサロワール方面に行くヤルツァンポ沿いの道は凄まじいと聞いているが、おそらくこんな事の繰り返しだろう。
車は一路、シガツェに向っているのだが、あと1時間ほどでシガツェに着くと聞いたところで不意をつくように尿意が込み上げてきた。ガイドとドライバーにそれを告げて途中で停まってもらい、その辺の野原ですればよかったものの、2人に見られるかと思うとそれを口にすることが出来なかった。やっぱり人に見られてやるのは恥ずかしいものである。しかもガイドはいちおう女性だ。私にも羞恥心というものがある。
(その後、インドで鍛えられた私はその程度では動じなくなったが・・・)
そうなってくると、もうまわりの風景はどうでもよくなってくる。1分でも早くシガツェに着いてどこかトイレのあるところに立ち寄りたい。シガツェを無念にも通過するようなことになれば、山岳地帯に入る手前のドライブインの公衆トイレまで待つしかない。祈るような気持ちで後部座席に座っているとようやくシガツェの町が見えて来た。
と、そこで天の声が、
「時間もありますし、せっかくシガツェに来たのだからタシルンポ僧院に立ち寄って行きませんか?でも、このことは会社には内緒ですよ。」
助かった!!!

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