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チベット女戦士アデ

昨日の18時から引き続き起きている。NHKが日曜の夜23時から放映している「不滅の恋人」を見終わると日付が変わった。昨日の昼間、赤ワインの「SIEMPRE」と一緒に睡眠薬を数錠飲んで一度寝たので全く眠くない。昼間はどうも苦手だ。そう言う意味では私は夜型人間かもしれない。昼間は読書しようとしても落ち着かないのだ。部屋を暗くしてスタンドライトだけをつけたほうが読書に身が入る。
「雪の下の炎」を読み終わったので、ジミ・ヘンドリクスの「ライブ・アット・ザ・フィルモア・イースト」と「ライヴ・アット・モンタレー」の2枚のライブCDを聴きながらアデ・タポンツァンの「チベット女戦士アデ」を読む。この本は1958年から1985年(26歳から53歳)までの27年間、獄中にあったチベット人女性アデ・タポンツァンの生涯をノンフィクション作家のジョイ・ブレイクスリーがまとめた本である。女戦士というタイトルではあるが、ゲリラとして直接中国と戦ったわけではなく、彼女は夫とともに中国に対する抵抗運動にくわわったものの、もっぱら連絡係で実際の戦闘には参加していない。銃を持たない戦いではあったが、監獄と労働改造収容所で27年間生きとおすことは戦場の戦い以上に苛烈だった。拷問、レイプ、奴隷労働、飢餓(中には、死体置き場で仲間の体を食べたという人も)を乗り越え、彼女は釈放後亡命し、中国のチベット絶滅政策の生き証人としてドイツやデンマークの国会で証言をおこなっている。現在、「9-10-3 グ・チュ・スム・ムーブメント(チベットの良心の囚人の会)」などで、今なお獄中で苦しむ仲間のために活動を続けている。2019年3月21日付の西日本新聞朝刊でダライ・ラマに抱擁されている写真が載っていたので、まだ健在らしい。
アデ・タポンツァンに関しては、1999年12月11日にチベット自由と人権の集い実行委員会による「チベット自由と人権の集い」で直接話を聞いたことがある。この集いに先立ち、ダライ・ラマ法王日本代表部事務所でスタッフと一緒に開会のギリギリまで当時のカルマ・ゲレク・ユトク氏の挨拶文を日本語訳していたのだが、最後の一節「それはまるで、王女のような気高いレディに指図して一生を家政婦として働かせるようなものです」というところが、前の文脈から見て意味が分からず、結局そそまま訳して挨拶に使われた。ただ、このチベット自由と人権の集い実行委員会、いろいろと問題のある団体で、たぶん、小林秀英氏率いるチベット問題を考える会が関わっていると思われる。案内用のチラシに賛同者として名前が書かれた有名人は勝手に名前を使われたらしい。集いに参加していた観衆の多くはヤクザか右翼団体のお偉いさんたちで、最後に小林秀英氏はチベット国旗との類似性を強調して旭日旗を高々と振りかざした。
ジミ・ヘンドリクスの「ライブ・アット・ザ・フィルモア・イースト」は1999年2月にリリースされたジミ・ヘンドリックスの没後に制作されたライブ・アルバムである。このアルバムは、1969年12月31日および1970年1月1日のフィルモア・イーストにおけるバンド・オブ・ジプシーズとしての公演を記録している。「ライヴ・アット・モンタレー」は1967年6月18日 モントレー・ポップ・フェスティバルに録音されたライブである。モンタレーは、その後の1969年のウッドストック、1970年のワイト島、1971年のバングラデシュ救済、1975年のSNACKコンサート、1976年のラスト・ワルツ、1979年のノー・ニュークスなどの大規模ロック・フェスティバルの先がけとなった。
6時になって、ブックオフオンラインで、江戸川乱歩、夢野久作、小栗虫太郎、生田耕作、種村季弘、渋沢龍彦の文庫本をチェックし、持ってない本で中古があるものはブックマークし、ないものは入荷お知らせメールを設定した。これらをすべて買うと本箱を大幅に整理しないといけないだろう。数えたわけではないが大量の本になる。文庫本で、しかも中古なので1冊あたりそれほどの値段ではないが、全部揃えるといくらになるだろうか?
9時になって訪問看護師さんが来て、まもなくヘルパーさんもやってきた。今日はニラとしめじの卵炒めを作ってもらう。今日は月2回の勉強会が13時からあるので、「チベット女戦士アデ」を読むにはちょっと中途半端時間なので、キング・クリムゾンのCDを聴きながら日記を書く。前回の日記ではパンクを聴いていたので節操がない尾と言われればそうなのだが、最近はジャンルこだわらずに「いい音楽」を聴いている。
キング・クリムゾンといえば「FOOL'S MATE」の初代編集長の北村昌士が書いた「キング・クリムゾン ― 至高の音宇宙を求めて」という著書がある大学現代思想の教科書になったという噂があった。持っているCDは、「In the Court of the Crimson King」と「Red」と「Thrak」であるが、特に「In the Court of the Crimson King」は、後のロック・ミュージックを左右する雛形が詰まったと言える作品で、業界からも非常に高い評価を得る。全英アルバムチャート5位まで上昇したが、当時から雑誌のレコード・レビューなどで「1969年に、ビートルズの『アビイ・ロード』を1位から転落させたアルバム」といった内容で紹介されてしまう都市伝説も生まれた。ただ、実を言えば1曲目の「21st Century Schizoid Man」が聴きたくてブックオフオンラインで中古で買ったものである。一時期、プログレにはまっていた。「Red」の4曲目(レコード時代はB面1曲目)の「Providence」は即興曲で、プロビデンスのパレスシアターで行なわれた1974年6月30日のライブ録音。
今日の勉強会はフリードリヒ・エンゲルスの「空想から科学へ」の第2章の終わりまで。エンゲルスはこの章で、ニュートンの古典物理学者の例を挙げて、自然科学の発展とともに、その全体を個々の部分にバラバラに分解して精査する「分析」がおこなわれるようになったが、この思考形態が骨化し形而上学となったという。エンゲルスがのべた形而上学の特徴は、事物をバラバラの、不変固定のものとして扱い、その境界線の絶対性を強調するというものだった。これは今の自然科学にも言えることだろう。いわゆる木を見て森を見ないというやつである。自然科学の発展がこうした世界観に打撃をあたえ、その発展的な哲学的表現がドイツ古典哲学、なかんずくゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲルの弁証法であったとする。エンゲルスはその特徴を形而上学との対比で(1)連関、(2)発展(運動)、(3)相互浸透・相互転化とした。ヘーゲルは森を見ようとしていた。それはどこか西洋医学に対するチベット医学に通じるものがあるように思う。それはまた、ミクロな系の集まりとして解析することによって、ニュートン力学に代表される古典論では説明が困難であった巨視的な現象についても記述することができる量子力学にも似ていないだろうか?
勉強会が終わって業務スーパーによって赤ワインの「SIEMPRE」を買った。今日の予定は全て終わったので、あとはワインを飲みながら「チベット女戦士アデ」を読むだけである。

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