見出し画像

東ネパールとベティ・フォード・センター

昨日の20時に一昨日と同じベンザリン5mg4錠、トリアゾラム0.125mg4錠、エビリファイ3mg4錠、ピレチア25mg2錠を飲んで寝たら、何度か寝たり起きたりして、ちゃんと覚醒したのが0時半だった。今回は4時間半眠れたことになる。昨日一日で「中国はいかにチベットを侵略したか」を読み終えたので、今は貞兼綾子の「風の記憶―ヒマラヤの谷に生きる人々」を読み始めている。ちなみに、この単行本、定価は2,800円なのだが、アマゾンで検索したら中古が71,430円で出品されていた。持っていてよかった。
「風の記憶―ヒマラヤの谷に生きる人々」は、チベット高原の南西部を東西に弓なりに縁取るヒマラヤの山脈、その山襞一枚一枚に大小さまざまな谷があり、それぞれの谷に固有の生活習慣や言語をもつ人びとの暮らしがある。そんなネパール=ヒマラヤの最も奥深いところには、わずかな森林と植生の限界を示す草地、そして大部分を占める岩と氷の世界が広がっている山裾に知られざる少数民族が住んでいる。その秘境の谷の人々の真実を求めて、気鋭のチベット学者が、三十数年の歳月をかけて、彼らの知られざる素顔と実像を、歴史的背景をも含めて明らかにする、貴重かつ画期的なフィールド民俗文化論。ヒマラヤの人跡未踏の秘境に住む幻の人々を取材した、類書のない貴重な記録である。これまで中国政府と人民解放軍がいかにチベットで酷いことをやってきたかという本を6冊連続で読んでいたので、一服の清涼剤のように読める。今はネパール最東部のカンチェンジュンガ山系の村のところを読んでいる。この辺りはかつて青木文教がチベット入国の際に通った地域である。
青木文教は西本願寺の交換留学生として大谷光瑞の命でチベットのラサ市に派遣され、ダライ・ラマ13世トゥプテン・ギャンツォの教学顧問を務めた日本のチベット研究者で僧侶である。多田等観とともにラサに滞在したが、多田等観がセラ寺で修行生活を送ったのに対し、青木文教はラサの街に居住し、特技の写真撮影の腕を活かして多くの当時のチベットの風景・文物を記録した。またチベット仏教を研究し、主にチベットの市井で多くのチベット仏教に関する文物を収集した。また、文法学や歴史学などを学ぶ傍ら、ダライ・ラマ13世の教学顧問として近代化のための助言を行った。雪山獅子旗のデザインもする。また今に言うバックパッカー的な存在だったとも伝う矢島保治郎が当時のチベットの軍事顧問であったとして共にデザインへ関与した説もある。
青木文教の「秘密国チベット」はウルンゾン(現在のオランチュン)という地名が出てくる。青木文教がウルンゾンを訪れたのは大正元年(1912年)9月18日(水)だった。ただ、その先のルートに関しては「秘密国チベット」を読んでもはっきりわからないが、どうやら主従めいめい杖一本の身軽でウルンゾン(オランチュン)を出発し、前日来たどってきたタンブル河(タムール河)上流の一支流に沿って山路を上がり、チプタ・ラ(Tiptala Bhanjyang) 国境標識79、標高5086mへ向かったらしい。ウルンゾンは元々チベット領域に属していたが、グルカが占領してネパール王国に編入した。ネパール、チベット両国の官史を派し、商務を兼ねて入蔵する旅人を取り締まっていた。
今日投稿したブログでは、アメリカのアルコール・薬物依存の治療機関であるベティ・フォード・センターを取り上げたが、関連動画を添付しようと思ったら英語の動画しか見つからなかった。もちろん字幕はない。日記を書いた当時を振り返る意味で、日本と海外のアルコール依存症対策を比較検討してみたい。
厚生労働省研究によると、国内におけるアルコール依存症者数は約109万人と推定され、大きな社会的な問題となっている。しかしながら、精神科で専門治療を受けている患者数は4万9000人程度しかおらず、多くの治療を必要としている患者の存在が明らかでありながら、実際には依存症治療につながっていない。これはなぜか?日本人にとってアルコールの問題を抱えているということは「恥ずかしいこと」「意志の弱い性格のせい」とみなされ、その人自身の人格の問題ととらえられる傾向があるからだ。こうして依存症に対しての正しい理解や対応は進んでおらず、世間一般には厳しい視線が注がれることがわかっているため、なるべく人から知られないようにしようという気持ちが働く。
では、海外ではどうか?アメリカを例にとると、アメリカの基盤を作った移民には戒律の厳しいキリスト教会派の人たちが多く、かつては酒、タバコ、セックスなどから快楽を得ることが禁じられていた。そのような宗教的な視点からアルコール依存症になる人は「自制心(discipline)がない人」とみなされ、アメリカでも日本と同様に「恥ずかしい」ことで、病気ではなく個人の問題と考えられていた。ところが、アメリカで生まれたAA(アルコホーリクス・アノニマス)という自助グループの登場で、当事者同士が週1回ミーティングに集い、自身のお酒に関する体験談、悩み、依存症からの回復に関する話をして経験を分かち合い、長い啓発活動によってよりオープンに依存症を打ち明ける機会を増やす一因となった。また、転機になったのは、第38代アメリカ大統領夫人、ベティ・フォードの登場によってさらに理解が深まっていく。彼女は自らの依存症体験をもとに1882年にはアルコール・薬物依存の治療機関、ベティ・フォード・センターをカリフォルニア州ランチョ・ミラージュに設立した。彼女は自身の生涯をかけて「依存症は恥ずかしいことではなく、治療ができる病気であること」を発信しつづけ、そのおかげで、次第に依存症に対する否定的なイメージは払拭されていった。今では、誰もが「自分は依存症なのでこれから専門治療を受けます」と公表でき、暖かくそれを応援するような社会にアメリカは変わってきている。「Go to Betty Ford」といえば「依存症の治療を受けに行く」と理解されるほど、彼女の活動が広く深くアメリカで広がっている。ベティ・フォード・センターの動画で見られる施設の充実度と豪華さは、日本のアルコール病棟とは雲泥の差である。
8時前になっていつものように大阪の再開発関連のブログをチェックすると、対した情報はなかったのだが、「OSAKA STYLE」という情報サイトで、伝説のロックバンド「KISS」が京セラドーム大阪(大阪市西区)で12月17日、有馬記念PRイベント「伝説の有馬記念&KISSコラボレーションセレモニー」が開かれたというニュースを見つけてしまった。KISSは、仙台・東京・盛岡・大阪・名古屋の5都市で、史上最大規模で最後のワールドツアー「END OF THE ROAD WORLD TOUR」を開催中で、大阪公演を前に行われた同イベントでは、KISS4人によるトークや、ジーン・シモンズにバースデーケーキの贈呈、有馬記念の優勝馬予想などが繰り広げられた。最後にジーン・シモンズが「めっちゃすごい有馬記念を見逃すな!」と大阪弁で呼び掛けたのが笑ってしまった。
「KISS」というロックバンドをご存知だろうか?1973年から活動しており、アメリカン・ハードロック草創期から、米東海岸を代表する世界的グループで、早くからロック界に白塗りの化粧(コープス・ペイント)を取り入れ、奇抜な衣装でストレートなロックンロール、ハードロックを演奏する。世界観をギミックしたメディアフランチャイズ(マーチャンダイズ)を展開するなど、版権ビジネスモデルの先駆けともなった。2014年に「ロックの殿堂」入り。「地獄への接吻 Dressed to Kill」と「ラヴ・ガン Love Gun」の2枚のアルバムは私が小学生中学年の時に買った。なんとベースのジーン・シモンズは70歳だそうだ。ローリングストーンズも凄いがKISSも凄い。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?