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大阪市内をサイクリング(その3)

昨日も睡眠薬を服用しないで赤ワインの酔いだけで眠ってしまったので、途中何度も目が覚めたり、また寝たりの繰り返しだったが、夜中の1時40分ころに完全に覚醒してしまった。このまま読書で朝を迎えようとも思ったが、またしても口さみしい。お茶やコーヒーでは物足りないので、近所のローソンで赤ワインの「MICHAY」を買ってきた。
ハンフリー・ホークスリーの「中国の野望」はインドとパキスタンが全面戦争になって核攻撃も行いそれにアメリカと中国が絡んでいくところで、面白いのだが、ベッドで横になってワインを飲みながら読んでいるとやっぱりと言うか寝落ちしてしまった。再び起きたのは朝の5時だった。グラスに1杯分のワインが残っていたのでグッと飲んでしまう。迎え酒の迎え酒になってしまった。
天気予報を見ると晴れの予報で、早朝の空気も冴え渡って気持ちよさそうだったので自転車で出かけることにした。今日の目的は、大阪港にある赤レンガ倉庫の確認と天保山の渡し舟である。走行距離としてはかなりある。半分酔っ払った状態で自宅を出発したのが5時40分だった。
大阪港までのルートは至って簡単で、今里の交差点で長堀通りを進み、玉造で右折して玉造筋に入り、森ノ宮で左折して中央大通りに入ると、いつもなら工事現場を探して上町筋や谷町筋で曲がってあちこち彷徨するのだが、ひたすら真っ直ぐである。途中、堺筋本町の元帝人本社跡に建設中のMJR堺筋本町タワーや本町のサンケイビル、移転したあとの日本生命病院の解体工事の現場はチェックしたが、ほとんど寄り道はしなかった。
港区海岸通の赤レンガ倉庫は、動態保存にこだわった、ヴィンテージ車(クラシックカー)を展示しているジーライオンミュージアムとハワイの老舗ステーキハウス、ハイズステーキハウスの日本で唯一の姉妹店で、USDAプライムビーフを使用し、コナラ、クヌギ、カシ、アベマキを使った独自の熾火焼によりシンプルでありながら素材を生かした究極の調理法で仕上げた熟成肉のステーキをはじめとしたグリル料理を提供しているアカレンガステーキハウスからなっている。ジーライオンミュージアムは知り合いの工務店の社長が車好きなので行きたい行きたいと言っていたところで、朝早かったし、入場料が1000円もするので中には入らなかったが、外から見ても何台かのクラシックカーが展示されていた。ちなみにアカレンガステーキハウスは大阪で一番美味しい肉が食べられるということで、以前にテレビの取材も受けていたが、最低のコースが1万円なので私には縁のない店である。誰かが連れて行ってくれるなら食べてみたい。
赤レンガ倉庫を後にして、海岸通りを一周するような形で次に向かったのは天保山渡船場である。現在大阪市内には、市の運営する8か所の渡船場があり、15隻の船が地域の多くの人々に利用されている。大阪市の渡船は全て無料である。
天保山渡船場は天保山(港区築港三丁目)と此花区桜島三丁目を結ぶ(岸壁間400メートル)。私が乗ったのは午前7時ちょうどの便である。乗船時間は10分足らずであるが、船というものは風情があるものだ。対岸にはUSJのホテル群が立ち並び、遠くには梅田や中之島の高層ビル群が朝日を浴びて輝いていた。海風が心地いい。ちなみに天保山は近年、地元市民の熱意により国土地理院に「山」として認定され「日本一低い山」として話題になった。
桜島側に渡るとUSJの外周道路を1周してJR桜島駅前でしばしの休憩。なにせUSJは広い。かなりの距離を自転車で走らなければならなかった。桜島駅前にはリーベルホテル アット ユニバーサル・スタジオ・ジャパンという大きなオフィシャルホテルが出来ていた。建物は竣工しているのだが、営業はまだのようだ。ホームページを見てみると2019年秋オープンとあるのでまもなくらしい。
桜島駅をあとにして、一路JRゆめ咲線に沿って走り、安治川口駅の先で踏切を渡り、限りなく安治川沿いを走ったのだが、走っても走ってもコンクリート製の岸壁に遮られてウォーターフロントの気分を味わえない。太陽もだんだん高くなってきて、日差しも強くなって、ハンドタオルで汗を拭きながら1本道をひたすら進む。国道43号線の高架を越えたところで安治川に合流する六軒家川を渡り、幅の狭くなった安治川沿いをまた真っすぐに進むと、阪神なんば線の高架の手前に安治川トンネルがあった。このトンネルができるまでは渡船で渡ってたらしいが、1944年(昭和19年)に開通した日本初の沈埋トンネルができると渡船は廃止された。正式名称は「安治川隧道(あじかわずいどう)」である。人と自転車のみが通行できる、「海底」ならぬ全長約80mの「川底トンネル」だ。ここを通れば長くて殺風景(USJ付近は除く)だった此花区にオサラバして西区に入る。
トンネルをくぐって阪神なんば線沿いを走ると、向こうに行きに通った中央大通りが見え、阿波座のタワーマンションも見えてきた。ここまで来るとマップ無しでも走れる。せっかくなので川口居留地跡の日本聖公会川口基督教会を見ておこうと思って、中央大通りからみなと通りに入るとまもなく目的の教会が見えてきた。
川口基督教会(Kawaguchi Christ Church, Cathedral)は、大阪市西区にある日本聖公会の教会堂である。日本聖公会大阪主教区の主教座聖堂=カテドラル=大聖堂で、ヴィクトリアン・ゴシック様式の美しい伽藍で知られている。旧川口居留地のシンボルだ。設計はウィリアム・ウィルソン、1920年竣工で、国の登録有形文化財に登録されている。
旧川口居留地は、1868年から1899年まで大阪市西区川口1丁目北部・同2丁目北部に設けられていた川口外国人居留地の跡地。旧大阪居留地、旧大阪川口居留地ともいう。大坂(大阪)は函館・東京・横浜・新潟・神戸・長崎とともに1858年の安政五カ国条約によって開港または開市(外国人に商取引を認めること)されることが決定された。
川口基督教会を見たあとは帰るだけで、ルートも中之島沿いでよく知ってる道なのだが、体力的にかなり疲れてきた。時刻も8時10分になっている。今日は9時から病院で頚椎の椎間板ヘルニアのリハビリを受けることになってて、それに間に合うように帰りたい。中之島に立ち並ぶビルは何度も見ているので新鮮さがなく、唯一、大阪市立中之島美術館の建設現場をチェックしただけで、中之島のシンボル的な日本銀行大阪支店や中之島図書館、中央公会堂もちらっと見ただけで通り過ぎた。ちょうどサラリーマンの通勤時間に重なってしまって、人の波が激しく、自転車をぶっ飛ばせない。まあ、オフィス街だから。
大阪城の隣のOBPも同様だった。なにせビジネスパーク。ここで人波を見ながらビールでも飲めば中島らもさんの心境になれるのだろうか?ザクザクと聞こえるサラリーマンの足音を聞きながらカーテンをそっと開けてビールを飲む。「へっつ、へっつ、へっつ、ざまあみろ」。最高に嫌な奴だが気持ちはわかる。私も組織にこき使われてドロップアウトした人間だから。
大阪城の東を走る玉造筋まで来ればゴールは近い。軽快に森ノ宮を通過して、玉造で長堀通りに入る。時刻を見ると午前9時すぎ。ちょうどいい時間に帰ってきたものである。病院の手前にある業務スーパーも開店していて、お約束のように赤ワインの「SIEMPRE」を買う。酒をビニール袋に下げて病院に行くのも気が引けたので、ワインはバッグの中に隠してリハビリを受けた。自宅に帰り着いた時には9時半を回っていた。
観葉植物群に水をやり、朝食のそうめんを食べて書物をしたりネットをチェックしたり、腐れ縁のYの相手などをしているとあっという間に夕方の17時になった。さっそく「SIEMPRE」を飲みながら読書を始めたのだが、この日は走行距離も長く疲れていたのだろう。数ページも読まないうちに寝入ってしまった。

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