35.理系クラスに進んだものの

今では高校の2年生で理系・文系に分かれているようだが、私の頃は3年生で理系か文系かに分かれた。私はたまたま2年生の時に理系学科が良かったので建築家を目指して理系クラスを選んだのだが、3年生になってすぐに数学・物理・化学で躓いてしまった。例えば、
(等差数列)
第10 項が2, 第15 項が17 である等差数列を{an} とし,{an} の初項から第n 項までの和をSn とする。
(1) 一般項an を求めよ。
(2) Sn の最小値およびそのときのn を求めよ。
・・・さっぱりわからない。
その他、多項式の微積分、ベクトル、指数対数、三角関数などなど、センター試験レベルの問題ならなんとかついていけたのであるが、3年生の数学となれば大学入試の過去問題の授業になる。歯切れのいい函館弁丸出しのわかりやすい話し方とチョークが砕けるほどにたたきつけるような板書で生徒に絶大の人気があった小野先生の授業は楽しかったのだが、内容がさっぱり分からない。特に清原級の大物の難問になるとさっぱりだ。
 物理では力学ならなんとか付いていけたが、電磁気、熱力学、波動になると全く分からない。例えば、力が位置関数X=X(x)として与えられる場合の一般的性質では、力の場が位置関数として与えられる場合には、積分によってエネルギー保存則を導く事ができる。しかし、その大元の積分がさっぱりわからなかったからどうしようもないではないか。
さらに最悪だったのは化学である。「定温定圧の条件で数種の理想気体を混合して1つの混合気体をつくるとき、混合気体の占める体積は混合前に各気体が占めていた体積の和に等しく、また混合気体の圧力(全圧)は各気体の分圧の和に等しい」というドルトンの法則は言葉では分かっていても応用問題がさっぱりわからない。なぜ、10mlの水と10mlのエチルアルコールを混合すると、混合後の体積は19.3mlとなり、決して20mlとはならないのだ。それに、電子が原子核を取り巻く取り巻き方は、層状をなした殻が重なるように取り巻いていると言われても原子記号もろくに覚えていなかったから最悪だ。定期試験で1ケタの点数を取った時、函館の大門でヤクザを刺したという噂のあった金井先生に「郷へ帰れ!!!」と言われたものである。金○先生はいつも教卓に腰掛けて授業をしていたが、喧嘩の仕方以外の授業内容はさっぱりわからなかった。
そういうわけで3年生になって究極の落ちこぼれになった私であるが、何とか授業についていけるように予習復習を頑張ったわけではない。いつものように「フールズメイト」を熟読し、パンク・ニューウェーヴ・オルタナティブ・インダストリアルばかり聴いていた。今になって考えると、それでよく卒業できたな~と思う。しかし、どういうわけか建築は諦めなかった。
そこで寮の教諭の海老原先生との面談が会ったとき、その事を打ち明けた。すると先生は美術大学にも建築科があると言ってくれ、学校の近くの洋画家の宮西先生を紹介してくれた。ちなみに現在では芸術科目に美術がある母校であるが、私の頃は芸術科目と言うと1年生の時の音楽しかなかった。しかも、中学の時の美術の成績はいつもだいたい5段階評価の3しかなかった。だから、美術が得意だったわけではない。本当に1からの修行になった。それ以降、私は宮西先生に弟子入りし、毎日、デッサンや水彩画のトレーニングを受けることになったのである。

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