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38.「造反有理」結成

ZELDAのライブと前後して、自分たちもバンドがやりたいと我々落ちこぼれ軍団の中から声が上がり、中学時代にクラシックギターを習っていた私が自動的にギターを担当することになった。ヴォーカルは一緒にZELDAのライブに行ったちょっとナルシストな志村である。ベースは下宿の部屋が我々落ちこぼれ&インディーズ大好き人間のたまり場となっていた「シコ中」ことA・I。そこまではすんなり決まったのであるが、ドラムが出来るヤツがいない。初めの頃はドラムのパートだけシーケンサーで何とかごまかそうと思っていたのだが、やる音楽がハードコアパンクである。強力なドラマーがいないとコミックバンドになってしまう。そこで見つけたのが、いかにもドラムやってますって言う体格のFである。
次に問題になったのはオリジナルの曲を演奏するか、誰かのコピーをするかだが、全員そろって音楽音痴だったのでオリジナル曲は到底無理。いくつかのインディーズバンドのコピーをやっていたのだが、いかんせん楽譜がない。それで1曲を何度も聴き続けて見よう見まねでやっていた。私としては当時のUKハードコアパンクの雄「ディスチャージ」をやりたかったのであるが・・・
コピーしたのは、当時インディーズで一番人気のあったラフィン・ノーズである。途中から参加したキーボードのMがレコードを聴いて譜面を書いてくれた。才能ある秀才である。これでメンバーが全員そろった。ラフィン・ノーズは、1981年、大阪で結成。日本に確たるハードコアパンクシーンが形成される以前から、その中心的バンドとして活動していた。バンド名の名付け親は初代ギタリストのアカベー。当初のカナ表記は「ラフィー・ノーズ」であった。
轟音、粗暴、ノイジーなハードコアパンク界にあって、いち早くポップセンスを取り込み、その単純明快な楽曲は若者の絶大な支持を得た。メジャーデビュー前である1980年代前半から、THE WILLARD、有頂天と並び、『インディーズ御三家』といわれる程の人気を博した。この『インディーズ御三家』という名称こそが、現在日本語として『インディーズ』という単語が浸透するきっかけとなっている。また自分達でレーベル(レコード会社)『AAレコード』を設立し、そこから音源を発売していた。海外のパンクバンドでは定石となっていた手法ではあるが、当時の日本では珍しいものであった。
1985年4月28日、新宿スタジオアルタ前にて自分たちの作品が収められたソノシート(聖者が街にやってくる)を事前に無料配布告知したところファンおよそ1300人が集まり、全国ニュースでも取り上げられ話題となる。また、メジャーデビュー1か月前の10月26日、日比谷野外音楽堂でのライブで4000人を超えるファンを動員した人気バンドである。
いつも練習はもう無くなってしまったかもしれない函館市内の某スタジオである。防音設備が貧弱で、隣のスタジオで演奏している音がはっきり聞こえてくる。そんな状況で練習していたわけであるが、隣のスタジオから聞き覚えのある曲が聞こえてきた。どうやらGISM(日本のハードコアパンク/ヘヴィメタルバンドである。1981年結成。ギタリストであるRANDY内田死去に伴い、2002年2月10日に行われたライブイベント「+R」を最後に活動を「永久凍結」。事実上解散した。)をコピーしているらしい。こちらも負けずとラフィン・ノーズをフルボリュームで演奏していたら、隣で練習していた函館工業の連中が様子を見に来た。同じくハードコアパンクをやっているということで意気投合し、その日はセッションをやって盛り上がった。
そして夏になり、自分たちの自己満足で終わらせたくなかった我々は学園祭のオーディションに参加した。そこで問題になったのはバンドの名前である。私がバンドの代表みたいな存在だったので、メンバーに相談なしに「造反有理」と言うバンド名を付けた。造反有理(ぞうはんゆうり)とは、中国語で「造反に理有り」(謀反にこそ正しい道理がある)の意。「革命無罪」と並び中華人民共和国の文化大革命で紅衛兵が掲げたスローガンである。日本でも1960年代末の大学紛争期において、全共闘や社会主義学生同盟(社学同)や共産主義者同盟(共産同)内のML派(マルクス・レーニン主義派の略。ただし実際の思想としては毛沢東・林彪を支持していた)のスローガンとして使用されたことで知られ、日本の新左翼が自らの暴動やテロ活動を正当化するスローガンとして使われていた。
別に毛沢東思想や日本の新左翼に傾倒していたわけではない。ただ単純に語呂が良かっただけである。バンド名も決まり、放送局が主催したオーディションを受けた我々であるが、持ちネタ(曲)が少なかったことや、演奏がへたくそだったこともあり、メインの中夜祭のステージを飾ることなく、体育館でラフィン・ノーズの「戦争反対(後のGET THE GLORY)」を演奏しただけで解散してしまった。

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