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40.ディスコ「サイクロイド」

3年生での学園祭での企画会議の時、何をやろうかと話し合っていると、同級生の誰かが雀荘がいいと発言した。しかし、教育の場での麻雀屋は拙いだろうということになり、それではポンジャンではどうかとなった。ポンジャンは、麻雀をモチーフに考案された日本独自のテーブルゲームである。ギャンブルのイメージが強く子供にはふさわしくないとされる麻雀をアレンジ、ルールを簡素化し雰囲気を味わえ、子供から高齢者まで楽しめるゲームという位置付けで売り出されたものである。しかし、その案もボツになった。
誰が言い出したのかは分からないが、結局はディスコをやることになった。ディスコならギャンブル性はないし、雀荘よりはましである。もちろんアルコールの提供はしない。問題はディスコの名前である。
時はちょうど1986年。「マハラジャ」全盛期である。1980年代後半のバブル経済期に高級ディスコブームを築いた元祖。「キング・オブ・ディスコ」や「ディスコの代名詞」と言われ、数々の伝説を残した人気店である。そこでちょうど浜という名前の同級生がいたので、それに引っ掛けて「ハマラジャ」ではどうかということになった。中にはルイス・ブニュエル監督制作の『ブルジョワジーの秘かな愉しみ』( Le Charme discret de la bourgeoisie)がいいと言い出すキザなヤツもいたが、それもまどろっこしい。「ハマラジャ」は当の本人が嫌がった。最終的には当時、数学で習っていた「サイクロイド」という名前に決まった。サイクロイドとは、円がある規則にしたがって回転するときの円上の定点が描く軌跡として得られる平面曲線の総称である。一般にサイクロイドといえば定直線上を回転するものを指すことが多い。だからディスコとの因果関係はない。単に語呂が良かったのである。
企画が決まれば教室をディスコに変える工事が大々的に行われた。しかし、私はこの工事に一切関与しなかった。バンドの練習の方が大切だったからである。当時の私はディスコをミーハーだとして見下していた。だからクラスの企画であっても無関係を装った。
私がクラブやダンスミュージックに目覚めるのはインダストリアル・ミュージックのスロッビング・グリッスルのメンバーだったジェネシス・P・オリッジ、ピーター・クリストファーソン、オルタナティブTVのアレックス・ファーガソンらによって1981年に結成されたバンドであるサイキックTVがシカゴのアシッドハウスを取り入れるようになってからだ。Psychic T V feat Jack The Tab - Tune In が発表されたのは1988年。
ちなみに1986年は伝説的なDJ、ラリー・レヴァンがプレイしていたパラダイス・ガラージュがクローズした年でもあり、ガラージュと呼ばれる音楽はハウス音楽や、テクノ音楽に大きな影響を与えた。またそのサウンドシステムもその音の質の高さから未だに伝説として語られている。
我々がスタジオや自室でバンドの練習をしている間にディスコ「サイクロイド」は着々と完成に近づいていた。自宅からステレオ機材一式を持ってきた者、窓に暗幕を張り巡らし、ミラーボールを取り付ける者、VIP席用に机と椅子を並べ、ドリンクを用意する者、プレイするレコードを準備する者それぞれがハイテンションになって教室をディスコに様変わりさせた。出来上がりを見るとなかなか立派なものに仕上がっていた。難点は窓を閉め切っていたことである。古い教室なので空調設備も換気設備も無い。北海道とはいえ函館だ。学園祭が行われた7月の半ばはそこそこ暑い。そのため、実際に営業してみると、度々の換気タイムが必要になり、音楽は止まり、窓が解放された。何故か私の持っていたストロベリー・スウィッチブレイドの「ふたりのイエスタディ」 (Since Yesterday)がへヴィーローテーションされていたのを思い出す。
企画自体は大成功だった。多少なりとも黒字になったと思う。ただ、そのお金がその後、どのように使われたのかは残念ながら覚えていない。

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