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再び成都へ

1998年8月29日午前7時。軽い朝食を終えて荷物をまとめ、ホテルのロビーに行くとガイドとドライバーが待っていた。チェックアウトの手続きを済ませて車に荷物(と言ってもたいした荷物ではないが)を積み込むと、一路ゴンカル空港へと向かう。成都へ向う飛行機の出発時間は午前9時である。私の場合、空港までの送り迎えの車があったので当日の早朝にラサを出発しても間に合ったのだが、ラサ発の午前の飛行機に搭乗しようとすると、普通は前日の午後2時頃に民航オフィス前を出るミニバスで空港まで行き、空港近くのエアポートホテル(机場賓館)で1泊しなければならない。車をチャーターする余裕のないバックパッカーなどはそうしているが、なにせこちらは時間に追われる身である。そんなのんびりとした旅は不可能だ。
北京時間の午前7時はチベットでは早朝5時ごろにあたるだろうか?日はまだ昇っておらずあたりは薄暗い。チュシュ大橋までの中尼公路は車の数も少なく、私を乗せた車は時速100km近い速度で道路をぶっ飛ばした。左手にはキチュが流れており、その向うには薄明かりの中、岩山がぼんやりと浮かんでいる。車の動きにそって山々の景色もゆっくりと動いていくのだが、一つの山が後方へと去ったと思ったらまた別の山が姿を現した。チベットで過ごした数日間を思い浮かべながら山々が果てしなく続く光景を眺めていると、初めてチベットへ降り立った時に感じた月世界のイメージが再び浮かび上がってきた。神秘的で畏怖感すら感じられる風景。ラサの町が中国風に近代化されて発展しても、この風景さえあればチベットはおそらく秘境チベットとして存在するだろう。そんな気がする。
ヤルツァンポを渡り空港の近くにまでくると、ようやくチベットを覆う厚い雲の上に太陽が昇り、下界を明るく照らし出した。河沿いの柳の木は風に揺れている。時折、対向車がやって来たが、道路はいたって静かだ。河を行き交う渡し舟の姿も見られない。ヤルツァンポは左手でゆったり悠々と流れている。この河は西チベットのカン・リンポチェ(カイラス山)付近を源流とし、チベット高原を東西に横切り、ヒマラヤの東端ナムチャバルワの大屈曲点で180度向きを変えて大渓谷地帯を縫い、マクマホンライン(事実上の中印国境)を越えるとディホン河と名前を変え、さらにアッサム平原でブラマプトラ河となって最後はベンガル湾に流れ込むアジアの大河である。ヤルツァンポとブラマプトラの関係は長らくの間、地理学上の「ミッシングリング(欠けた環)」として謎のままであった。解明されたのは20世紀に入ってからである。
ゴンカル空港に着くと、駐車場には多くの車が停まっており、ターミナルビルの中に人々は続々と吸い込まれていっていた。中国人ガイドとドライバーとはここでお別れだ。無愛想でいつも痰をあたりかまわず吐いていたドライバーやチベット人をどこか蔑んでいたガイドとは結局最後までなんの親近感も持てず、打ち解けることはなかった。これでヤツらとおさらばできると思うと気分はすっきりする。車から荷物を持って降り、ターミナルビルに入りかけようとしたところでガイドは、
「ドライバーさんにチップをあげてください。」
と言った。好感が持てる相手であれば言われなくてもチップくらい渡したのだが、どうも好きになれない人間にチップをはずむのは気乗りしない。渋々財布から10元を取り出すと、ガイドは怪訝な顔をした。10元では少ないようだ。仕方がないので50元を運転席でふんぞり返っているドライバーに手渡し、ガイドと一緒にカウンターへと向った。ドライバーは「ありがとう」の言葉もなくぶすっとして煙草を吸いつづけている。
チェックインカウンターでは搭乗券を受け取るための長い列が出来ていた。ガイドはチベット人の列に横入りして優先してチェックインの手続きを済ませた。おそらく早くから来て長い時間並んでいたと思われるチベット人達はそんな中国人の理不尽な態度に文句も言えないのだろうか?ただ黙って中国人の横柄な態度を眺めていた。搭乗券を受け取るとさっさと50元の民航机場管理建設費(CAAC AIRPORT MANAGEMENT AND CONSTRUCTION FEE)を払って見送りの人々でごった返す搭乗ゲートをくぐった。後を振り返るとガイドがなんだか物欲しそうな様子で私を眺めている。ガイドもチップが欲しかったのだろうか?笑顔で手を振るとそんな姿を無視して待合ロビーへと向った。
待合ロビーでは日本人団体観光客であろう一団がいた。日本人だからと言って別段声もかけず、その様子をただ黙って眺めていると、何人かはホテルの売店やラサの町の万屋で売っている酸素ボンベを口に当てていた。高山病か?ずっとそんな調子でチベットを周ったのかな?と思うとご同情申しあげたくなった。こちらはラサ到着早々アルコールもタバコもやり放題で町を歩き回ったのだが高山病は軽症ですんだ。最後までアレ(酸素ボンベ)のお世話にならずに旅を終えることが出来たのはラッキーだったようだ。
成都へ向う中国西南航空の機内ではラサに巡礼に来ていたカム東部の出身であろうカンパの行者(異様な身なりでそれとわかった)が里帰りをするのだろうか?乗り込んでいた。おそらく陸路で帰るよりは成都まで飛行機で飛んでそこからバスで帰ったほうが早いのかも知れない。ゴンカル空港を離陸するとあっという間に雲の中に入ってしまい、窓際の席に座っていたのだが、下界のチベットの風景は雲に隠れて何も見えなかった。チベットに来た時に見たヒマラヤの姿も見えない。雲海だけがひたすら続く退屈なフライトである。乗り合わせた乗客達はみな押し黙ったまま眠り込んでいる様子だった。途中フライトアテンダントがドリンクを配りに来た時、
「CAN I HAVE A CUP OF COFFEE PLEASE?」
と英語で言ったのだが通じなかった。隣に座っていた中国人男性が中国語で伝えてくれて一杯のコーヒーにありついた他はこれと言った事もなく、約2時間のフライトで成都に着陸した。チベットに向う時は期待で心がときめいたが、帰りは「ああ、旅は終わったんだな」という心境だけが強く残った。
ターミナルビルから出ると戸惑うことなくバス乗り場の方へ向う。上海から成都にやって来た時に仲良くなった成都の学生に教えてもらったのである程度勝手は把握している。行き先が表示されているわけではないが、何となく市内にいくバスであろうことはわかった。バスに乗り込んで出発を待つ。乗客が一杯になったところでバスは成都市内に向けて出発した。出発すると車掌と思われる中国人女性が料金を徴収しに来た。料金8元。安い。ただ、空港から市内に行くバスはちゃんとバス乗り場がはっきりしているのでわかりやすいが、反対に市内から空港へ行くバスの乗り場はどこなのかいまいちよくわからない。明日の上海行きの飛行機に乗るために空港へ行く際にはまたタクシーかな?と思う。
空港から約1時間で市内に着いた。成都市一還路南四段にあるホテルまではタクシーを使ってもよかったのだが時間もあったので成都市内を歩き回ってもいいなと思い、地図を見ながらトボトボと歩いて行った。飛行機を降りた時には感じられなかったのだが、しばらく歩いていると鼓膜に圧迫感が感じられた。チベットの薄い空気と超低気圧の環境に慣れてしまうと、逆に標高500mの成都ではなんだか水に潜った時のような空気の圧力を感じる。「低地の空気ってこんなに密度の高いものなのかな?」としみじみ思った。そう言えばラサのホテルで風呂に入った際、日本から持ってきていたシャンプーを開けたところ、気圧の違いで中身が全部噴出したことを思い出す。
通りを行き交うタクシーは荷物を担いで歩いている私の姿を見るとしきりに「乗れ乗れ」と誘ってきたが、ことごとく断った。町歩きの感なのであろうか、ホテルはもうすぐのような気がしたからである。途中、大学のようなところを通り過ぎた時、上海から成都に来た時に知り合った学生に似た男を見かけたが、声はかけずに通り過ぎた。地図を見ると西南民族学院とある。おそらくそこの学生に違いない。もしかしたらチベット族の青年だったかも知れない。そう思うと、私が機内でチベットに行くことを喜んでいた彼の姿を思い出す。1時間ほどでホテルに辿りつき、チェックインして部屋に通されると、ホテルの横にあったコンビニのような売店で買ったビールを飲んで夕方まで一眠りした。
夕方、夕食を食べようと思って町を歩き回ったのだが、結局ホテルの目の前の酒屋でワインを買ってホテルに戻り、ホテルのレストランで食べることにした。レストランの一角はステージになっていて背景にポタラ宮が描かれていた。チベット民族舞踊のショーが行なわれるのかも知れない。なにせホテルの名前は「拉薩大酒店」だ。唯一英語がわかるマネージャーを呼んでいくつか四川料理を注文した。一人で中華料理を食べることほど空しい事はないがまあ仕方がない。たらふく食べて27元。またまた安かった。帰り際、チャイナドレスを着た案内係の美人のお姉ちゃんが「バイバイ」と笑顔で見送ってくれた。

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