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5. 美術予備校/美大予備校というところ

一般的に、芸術大学・美術大学を受験する受験生は、一般の大学受験生と違ってあくまでも極少数派だと思われ、そのために、美術予備校/美大予備校というところが、いったいどういう予備校なのか、ほとんど知られていないと思うので、美術予備校/美大予備校の一般論と、私が通っていた美術予備校のケースについて論じてみたい。
一般に、美術予備校/美大予備校は、美術大学の実技受験指導に特化した教育機関として知られる。「日本近現代美術史事典」の中の荒木槙也の著述による 17【美術教育】「美術学校・大学の予備校」によると、日本の有名な美術大学は入試倍率が高く、受験には高度な実技能力が求められるため、予備校が日本の美術教育で果たした役割は非常に大きいとし、また受験生も講師や仲間の受験生と一丸となって受験に励むことから、社会的紐帯をはぐくむ場、友人関係を形成する場としての意義も非常に大きいとし、さらには曲りなりにもデッサン技術という美術の基礎を学ぶ場としての実績は過小評価されるべきではないとし、また多くの美術家が学生時代にこうした予備校の講師となって生計を立てていた事実を考慮すると、美術予備校は教育の単なる一段階を越えて、美術界全体に深く関わる存在意義も非常に大きいとされる。
また、荒木槙也は有名美術大学、特に東京藝術大学の入試倍率は戦前の美校時代から今に至るまで非常に高く、その例として絵画科油画専攻の倍率は1967年以降には30倍から45倍の間で推移していることを指摘。このため多くの受験生が浪人を強いられており、予備校の講師は頻繁に講評や面接を行うことで受験テクニックの指導から精神的なサポートまでを行っているとしている。 また指導方法は予備校によってさまざまであるが大手予備校には受験に関する情報が多く集まり、また基礎的なデッサン技術から個性的な絵の描き方までを体系的に指導するノウハウが存在し、したがって大手と中小予備校との間で指導能力に大きな差が生じて有名大学の合格者を大手が独占し必然的に翌年の受験生が大手に集中するという社会構造の再生産性が成立しているとしている。さらにこれら予備校が芸大や一流美大の合格者数を競うことが大学間の序列を発生させ、結果として大学の権威を支えてきた一面もあるとしている。
こうした影響から荒木槙也は、美術予備校の教育内容は現代の美術教育史を通じて議論の的であったとしており、高倍率の芸大・美大入試に対応するため、予備校は短期間に受験生を芸術家に仕立て上げる効率的かつ表層的な受験テクニックを教育しているにすぎなく、特に大学の試験時間に合わせた早描きの技術や目立つことを目的とした奇抜表現を多用するという傾向から「受験絵画」と呼ばれる独特の様式を生み出し、受験生の表現を画一化して創造性を妨げる要因として強く批判されてきたという。
このため、野見山暁治は「藝術新潮」38巻10号、「芸大入試はどうあるべきか “石膏デッサン”の功罪」1987年によると、1973年に野見山自身が芸大入試改革を試みたが、技術偏重の入試システムは大きく改善されなかったという。
しかし、荒木槙也は美術大学が学生らを一人前の芸術家として扱って実技指導を積極的に行なっていないという現状がある一方で予備校はデッサンや彩画などの実技の基礎技術を学べる場として、その存在を評価する声もあるとしている。荒木槙也は1994年頃から受験生の増加がピークを迎えて少子化の影響で減少傾向にある美大受験生数から経営難に陥る予備校も1990年代後半から現れ始め、2000年前後から業界再編の動きが加速しているとしている。
昨今、一部の美大(東京工芸大学、多摩美術大学など)では一般入学試験出願において「高等学校等コード表」のほかアンケート用に「予備校・美術研究所等コード表」を作成しており、これによって全国の予備校・美術研究所等が示されている。以下が該当する予備校である。
礒貝文子絵画教室天王寺美術学院
トーリン美術予備校
東京武蔵野美術学院
美大受験予備校KIKUNAアトリエ
横浜美術学院ドルチェ美術研究所
アトリエ新松戸
埼玉美術学院
湘南美術学院
仙台美術予備校
大阪美術研究所
ASAKAアートスクール
KILALA美術学院
専門学校中の島美術学院
新宿美術学院
美術研究所画塾
アトリエエム
九州美術ゼミナール
千葉美術予備校
福岡美術学院
宇都宮メディアアーツ専門学校美大受験科
私が浪人1年目に通うことになる総合美術研究所は、こうしたメジャーな美術予備校とは異なり、その独自の指導法も特徴があった。
総合美術研究所は、竹中保先生という、京都芸大洋画科卒業後、大日本印刷の企画部(クリエイティブセンター)にてグラフィックデザイナーの職に就かれたのち、在職中から大学などで講師として指導に当たられた経験から造形の正しい基礎教育の必要性を痛感され、指導者へと転身された先生が始められた美術学校(予備校というより美術学校といった方がふさわしい)で、河内弁の語気荒かったため多くの生徒から反発も買っていたようであるが、その内容の真価を理解した生徒からは多大な感謝と尊敬を集め、教室外では意外に憎めないキャラクターを持っていたこともあり、卒業後も先生を慕って学校の手伝いを希望するOBも多かったという。
総合美術研究所はまた、芸大の予備校という形をとっていたものの、短期間で身につけられる描写、色彩、立体の造形力は芸大受験にとどまらず、一生涯、物づくりの仕事に活かせる基礎体力となる画期的なものだった。それについては大学入学後や、建築の設計を職に社会へ出てから役に立つことも多かったが、受験対策に関しては、変な癖が付いてしまって、私にとっては弊害だったように思う。それに、そもそも芸大・美大建築コースなどもなく、それに対する立体構成のトレーニングは、1年間通って1度も受けたことがない。まあ、竹中保先生によれば、デッサンも平面構成も立体構成も、基礎は一緒であり、特別な練習やテクニックの習得などは必要ないとのことだったのだろう。京都市立芸大の約半数が竹中保先生の教え子だったというので、京都市立芸大を受験する受験生にとっては適した美術学校だったかもしれない。
変な癖とは、まず、最初の授業で、コカコーラの瓶をモチーフに鉛筆デッサンをさせられるのだが、制限時間内で仕上げるのではなく、徹底的に描き込まされた。これまでの鉛筆デッサンの経験から言えば、2~3時間もあれば完成するモチーフなのだが、いくら出来ましたと言っても、まだ描き足りないと言われてさらに描き込まされる。最終的にとりあえずの完成作と認められたのは1週間後であった。学科の予備校が終わってから夜間コースに通っていたので、平日の夜2~3時間くらいしか時間がなかったが、一つのデッサンを完成させるのに1週間かけたのである。そのおかげでどうなったかというと、細部のディテールの形状や濃度・彩度にばかりこだわってしまって時間をかけすぎ、実際の受験の試験時間の制約の中で作品を完成させることができずに、いつまでたっても未完成で終わってしまうことになった。これは、受験対策としては失敗である。そもそも美術や造形は、最終的な完成などなく、満足のいく作品にするには時間はいくらあっても足りないのが当たり前であるが、受験の実技試験では、制限時間内で最大のクウォリティーを持つ作品を完成させなければならないし、大学卒業後のデザインの実務にしても、必ず工期というものが存在する。ファインアーツの作品のように満足のいくまで一つの作品にかかりきりになっていたのでは仕事にならない。浪人2年目の美術予備校や、大学入学後の設計製図の実技課題の作製で、こうした癖はだんだん取れてはきたものの、美術作品や建築を見るときに、常にディテールや仕事量、完成度の高さが気になってしまうのは、浪人1年目の、総合美術研究所で受けた美術トレーニングのおかげかもしれない。

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